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第十五章 一括全消去(デリート)(2)

(アン・アンサーに、感謝されちゃった……あのアン・アンサーに)

 

 驚きつつも嬉しそうなリリアを尻目に、アンは今度はエルンに向かって一喝する。


「エルン、しっかりせい! あの光のリングのグルグルを、『一括全消去』を止められるかもしれんぞ! だから今、おまえの力が必要なんや!」


「……と……止められる?……止められるの、ほんとに?! あれが、あのグルグルが止められるの?!」


 それまで呆然とし、心ここにあらずの状態に陥っていたエルンが、アンの発言を聞くや、たちまち意識が戻ってきた。

 

「どうやって?! どうやれば『一括全消去』が止められるの?!」

「簡単や。おまえがいま持っとる羊皮紙の束、それな」

「うんうん、これを?」

「めちゃくちゃ、ぐちゃぐちゃ、けちょんけちょんに……好き勝手にラクガキしたれや!」

「はぁ? ラクガキ?……これにそんなことして、大丈夫なの?」

 

「むしろそれが必要なんや。時間がないから簡単に言うと、ゼブラは今、過去情報を再読み込みに来とる。再読み込みを妨害するため、関係ない情報を急いで大量に、魔道ペンで羊皮紙に書き込む必要があるんや」

「なるほどなるほど……」


「再読み込みが失敗すれば『一括全消去』はエラーで落ちる。つまり『一括全消去』を止められるんや!」

「よし、わかった! オレ書くよ! 思いっきり!」

 

「頼んだで、エルン。できればそこに、何かおまえの『想い』を込めて書き込んでな。『事実』より、論理的ではない『感情』や『願い』や『気持ち』が混乱を誘発する。だからエルン、今の『想い』を思いっきりぶつけてや!」


「はい、エルン……私の背中を机代わりに使って」

「ええっ?!」

 リリアが、紺色の戦時正装に包まれたその小さな背中をエルンのほうに向けている。


 砂漠戦線の戦いの際、エルパラン山頂でバハラムの鎧の背中を借りてエルンが羊皮紙に書き込んだとき、それをとてもうらやましがっていたリリアだ。

 ここぞとばかり、エルンに華奢な背中を突き出してくる。

 

「あ……まあ、この辺には適当な台とかないから……ではちょっと背中借りるね、リリア」

「はい、どうぞお好きに。エルンさま♡……」

 

 エルンが『死亡者報告書』の羊皮紙をリリアの背中に当て、魔道ペンで想いを書き連ねていく。

「あっ、あんっ♡……あっあっ、そっそこ、くすぐったい……♡ あっあーっっ!!……」

 魔道ペンのペン先がリリアの背中を這い回る。

 その度にリリアがなまめかしく反応し、エルンはとても困惑してしまう。


「こら、エルン! もっと真剣にやらんかい! もっともっと想いのたけを魔道ペンに乗せて、グリグリ書き込むんや!」


 アンの叱咤激励に、エルンは自分の想いに集中し、思考の沼へと沈み込む。

 そして着任からここまでで感じた、ありとあらゆることを振り返り、その想いを羊皮紙の上に綴っていく。


(騎士団に着任してからの驚きと、素晴らしい上司との出会い。自分がなすべきことができない不安。自信がなくて震えることしかできない劣等感。いつ処刑されるかわからない恐怖……)


(周りの人から自分に向けられる期待。偶然スゴい結果が出たときの周囲の評価と自己評価のギャップ。それでも向き合わなきゃならない現実の厳しさ。自分で答えを出さなきゃならない孤独感と苦しさ……)


(人に対する責任感。自分の行動を自分で決める決意と決断力。誰かに助けられる感謝とその人への信頼。与えられる勇気と希望。そして与える側としての喜びと達成感……)


(何より心に残るのは、ともに苦しみ、ともに戦い、ともに悲しんで喜んだ仲間たちとの思い出だ。仲間がいてくれたから今のオレがある。ひとりではここまで来れなかった……)


(アン、ネネ、リリア、バルガス将軍、バハラム殿、騎士のみなさん……オレに関わってくれたみんな、みんなには本当に感謝してます! 本当にありがとう!)


 そんな数々の想いが溢れ、その想いが魔道ペンとインクを通して、たくさんの羊皮紙にランダムに記録されていく。


 その過程でエルンの手のひらにこびりついていた、汗や涙、よだれや血など、いろいろな付着物もたっぷりと羊皮紙にくっついていく。

 

 いまや数々の羊皮紙は、エルンの想いとたくさんの付着物の情報で溢れ、一枚一枚、異なる状態で異なる情報が混じり合うカオス状態を形成していた。


「ふう……こんなところかな……」

 思考の沼の奥底から、ようやく浮かび上がってきたエルン。

「おう、ようやく戻ったんやな……ごくろうさん。よう集中しとった。よくがんばったな、エルン」

 アンがニコリと微笑む。

 

「いや、いろいろと思い出してたら想いがとめどなく溢れて……オレだいぶ長い時間、潜ってた?」

「いや、そんなことはないぞ。数分といったところやろうな」

「数分か。それにしては……」


 エルンは、自分の足元にへたり込んでいるリリアの姿を不思議な面持ちで眺めた。

「いったいどうしたんだ、リリア?」


 リリアの顔は湯気が出そうなほどに上気し、耳まで真っ赤になっている。膝折れの状態になって地面に内股で座り込み、ハァハァ……と荒い息遣いが止まらない。


「ちょっと……エルン……、激しすぎるわよ、いきなり……。魔道ペンのペン先が……肩甲骨とか、背骨のあたりをスーッと……あああ、わたし……もう、ダメになるぅ♡」


「いや、そんなこと言われても……単に机の代わりになってもらっただけだし……なんていうか……ゴメン」

 リリアの反応に困ったエルンが、よくわからぬまま謝っていると……。


「おい、ふたりとも! 羊皮紙をみろや!」

 アンが騒ぎ出し、エルンとリリアのふたりは、エルンの持つ羊皮紙の束に目を向ける。


 エルンが想いのたけを隈なく書き込んだ羊皮紙の束は、いまや紙の一枚一枚が真っ黒になり、書いてあることの区別もできず、表も裏もすべて真っ黒になってしまっていた。


「もはや一枚一枚が、まるで黒いカオスの塊や……こんなの人間が読み込んだら、途端におかしくなるで。ルビチェック、すまんが魔道書庫にでも入れて隔離しといてくれ……うちはこの近くにいるだけであかんわ……」


 アンは見るのすら苦しげに、羊皮紙の塊から目を背ける。

 慌ててリリアは魔道ペンをくるくるっ、と回して羊皮紙の束を魔道書庫に取り込んだ。


 それと時を同じくして、ガガガガッ! と世界がきしむような異音が響く。見ると上空の光のリングは次第に回転スピードを落とし、やがてピタリと回転を止めた。


「あ、止まった……光のリングの回転が止まったで!」

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