第十三章 アカシックの戦い(2)
「くっ! ……痛うっ!」
ぼたっ、ぼたぼたっと、床に落ちる血のしたたり。
シフォンは突き出した右腕に、どこからか飛んできた短剣が刺さるのを目にした。右腕から鮮血がビュー、っと溢れ出す。
逆に、エルンを差し貫いたはずの長剣は空を切った。
エルンはといえば、背中から強引にノクスに引っ張られたせいで数メートル先に放り出されている。
「ちっ、失敗したか……ウッ!」
腕に走る強烈な痛みに、長剣を取り落とすシフォン。
その腕をむんずと掴んだノクスが、巻き込むように全体重をシフォンに預ける。
「ぐえっ!」
カエルが潰れたような声を発し、シフォンは血だらけの床に顔から叩きつけられた。
他方、ノクスの後ろから飛び出したリリアは、大テーブルの上に開かれた魔道六法目掛けてダッシュする。
表紙の下に手を入れて、力を込めてバタン!と閉じると、魔道六法の上の『歪んだ空間』は掻き消える。
同時にアンの金縛りも解けた。
「エルン!! 大丈夫なの?!」
「あ……リリア? オレは大丈夫だ。いったいどうして……ここへ?」
「戦闘開始に合わせてここへ来たら、なんだか様子が変で……急いでノクス連隊長を連れて戻ったら、エルンが刺されそうになってて……」
「ルビチェック監察官よ、コイツたしか……ヴォルガッシュのところで見かけたような気がするんだが……」
ノクスがシフォンを押さえつけたまま、リリアに質問する。シフォンはノクスに勢いよく体重をかけて押し潰され、もはや失神していた。
「ええ、この顔はたしかにシフォン・メル・ドロワ特級魔道書記官だわ。ということは……まさかヴォルガッシュがエルンを?!」
「いや違うんだリリア。実は……」
エルンはリリアに事情をかいつまんで話す。
「……つまり、シフォンがロゴス側のスパイだったってこと?」
「それだけやない。ヴォルガッシュもシフォンの素性を知ったうえで、あえて近くに置いとったちゅうことや」
「そう言えば、シフォンさん……は魔道ペンも持ってない、って敵の辞書精霊が言ってたな……」
「……そんな書記官資格のないヤツを特級書記官に任命するなんて。それだけでもヴォルガッシュの重罪は確定だわ」
リリアが憎々しげな表情で、吐き捨てるように言う。
「ヤツはもう護衛兵に任せた。傷を手当てしてから、自殺なんかさせんように厳重に拘束するように命じておいたぞ。敵の陰謀の生き証人だからな」
シフォンから抜き取った短剣の血糊を拭き取り、刃こぼれがないことを確認したノクスが、短剣を鞘に落とし込みながらリリアに告げる。
「私があとで尋問する。久々に『生ける断罪』の恐ろしさ、見せてやるわ!」
(怖っ……あの顔、初めてオレを尋問したときと同じ顔だ……シフォンさん、ヤバいぞ……)
内心でエルンはリリアの表情に震え上がった。
「おい、それよりも戦闘は始まってるんだぞ! 今どうなってるか確認したほうがいいんじゃないのか?」
「そうだったわ。すぐに見ましょう」
リリアが一度閉じた魔道六法を開き、魔道ペンでトントンと叩く。魔道六法の上の空間に『歪んだ空間』が開き始める。
「……もう。ほんとにあの子は出てこないのね」
「リリア、前にも『あの子』とか言ってたけど、それって何?」
「ああ、私の魔道ペンにももちろん辞書精霊が宿っているのだけれど、その子が極度の恥ずかしがり屋で……あっ、戦場が映ったわ!」
そこには、帝国軍第一軍団の長槍兵が敵中央軍と激戦を繰り広げている様子が映し出されていた。
敵中央軍は第一軍団に押し込まれているように見える一方、敵左翼と右翼は第一軍団の両端から圧力を加え、挟撃しようという意図が見える。
「ヤバいな……長槍兵を出来るだけ長く保たせないと。後続との連携が絶たれるぞ!」
ノクスが危機感もあらわに呟く。
その時、低く抑えた声が天幕の中に響いた。
「……リリア、『軍備補充申請書』をくれ。今すぐに」
「エ、エルン……?」
「聖書記官……殿……」
「エルン。ようやくお目覚めのようやな」
エルンの様子を見たリリア、ノクス、アンは、三者三様の反応を示した。
これまでなら、こんな事態にはただガタガタと震え、挙動不審に陥っていたエルンの様子が一変している。
『歪んだ空間』を見つめるエルンの目は冷たい怒りに燃えている。一時の感情ではなく、心底から湧き上がってくるエルンの怒りの強さを感じ、リリアが一瞬怯む。
「ただ平穏でありたいだけなのに、なぜそれが許されないんだ? 大事な仲間が、なぜ他人の都合で戦いに巻き込まれる? オレは決めた。オレはこれからそんな理不尽と戦う。大事なものを守るために。だから――」
「ハイ、あなた……いえ、エルン様。『軍備補充申請書』をお渡ししますわ。お書きになって。あなたのお望みのとおりに……」
リリアが『軍備補充申請書』の羊皮紙を取り出し、頬を染めながらエルンへと手渡す。
「リリアありがとう。……ここからの戦い、オレは本気で行く。フォローを頼むよ」
「はい。エルン様」
「アン、まずは長槍兵の兵装強化だ。どうしたらいい?」
「うむ、では第一軍団の長槍兵の、いや違うな、すべての帝国軍の鎧を強化鋼に塗り替えるよう、羊皮紙に書くんや」
「了解だ。……すべての帝国軍の鎧を強化鋼に……」
エルンが魔道ペンで『軍備補充申請書』に書き込む。
書き終えるとすぐ、羊皮紙がカッ!と白い光を放ち、ドゴーン!と何かが爆発するような大きな音が戦場に響き渡った。
ガキンッ!
「え……? 急に、どう……なってるんだ?」
第一軍団の長槍兵のひとりは驚いた。
敵の長槍が自分の胸板を貫いた、と思った瞬間、鎧が白い光を放つと、敵の長槍の穂先が突然折れたのだ。
隣で戦っていた戦友も驚いている。そいつにも同じことが起きたようだ。逆に敵の長槍兵には動揺が広がっている。
「よし、なんかわからんがいけるぞ!」
「チャンスだぞ、突っ込めっ!」
長槍兵たちは俄然勢いを増す。
「ゼブラ様、敵が動きました! 敵軍に対しての魔力による情報改ざんを検知しました! 改ざん情報の発信源は……敵中央後方付近!」
ロゴス軍主力部隊の後方、『校正評議会』分室の天幕。
戦場の魔力監視を行なっていた戦闘検字官エン・ニョウが、嬉しそうにゼブラに向かって声を上げる。
「ついに……動いたか。待ちかねたぞ、エルン・エルンスト」




