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第十三章 アカシックの戦い(1)

 帝国軍が帝都を立った翌日。

 ジリジリと照りつける日差しの下、アカシック平原では両軍合わせて二万を超える人々が激突へのカウントダウンに息をひそめ、ピンと張り詰めた静けさの中に包み込まれている。


 理法共和国軍は平原という地の利と圧倒的な兵力を背景に、何層もの厚みを有する中央の大軍団と包囲・殲滅を意図した左翼・右翼の軍団を配し、隙のない構えを見せている。


 一方の帝国軍は、三つの軍団がそれぞれ前衛に長槍兵や歩兵を置き、そのすぐ後ろには騎馬隊が三角形の陣形に整えられ、三角形の頂点部分に突破力のある騎士たちが配されている。


 勇猛で知られる各軍団長――蘇って不死となったドラグナー、バハラム、グリムウォール――も頂点に近い前方に位置しており、敵軍へ食い入り喰い破る意図を見せている。


 後詰めとして遊撃連隊を率いるノクスと、総騎士団長直属の親衛隊ならびに幕僚を従えたバルガス将軍の司令部が後方に構えられ、戦場全体を睨む。


 さらに後方の林の一角には、目立たぬよう擬装した天幕が置かれ、そこにはエルンと補佐官のシフォンが護衛兵とともに配置されていた。


「平和のうちに過ごしてきたわが国を突如として侵略し、諸君の親や祖父母を、子や孫を、良き隣人たちを塗炭の苦しみに遭わせた悪の権化ロゴス。屈辱を晴らす時は今だ! 闘え! 侵略者を倒せ! 全員奮闘せよ!」

 愛馬に乗ったバルガス将軍が、各軍団の前で騎士や兵士たちを叱咤激励する。


 うおおおおーーー!という地響きのような唸り声、叫び声が沸き上がり、将軍の声に答える足踏みで周囲に土煙が上がる。


 バルガス将軍が司令部へ向けて退くと、三つの軍団のうち、中央に配置された第一軍団の長槍兵と歩兵に対して、第一軍団長のドラグナーがついに最初の命令を発する。


「第一軍団、長槍兵ならびに歩兵、並足にて、前へ進めっ!」

 ここに『アカシックの戦い』と呼ばれる戦闘の火蓋が切られた。


「おっ、エルン殿。いよいよわが軍が前進を開始したようですね」

 帝国軍の最後方、擬装された天幕内の大テーブルに置いた魔道六法で『歪んだ空間』を出現させ、リアルタイムで戦場の様子を見ているエルンとシフォン。


 これまでなら「戦闘が始まった」と聞いた瞬間から、エルンの瞳には恐怖と動揺が宿るのが常であったが、今回エルンの瞳には動揺は見られない。

 代わりにエルンの瞳の奥には、迷いがあった。


(果たしてオレはここに居ていいのだろうか……オレひとり敵に降伏すれば、多くの騎士や兵たちがここでお互いに殺し合う必要はないのではないか?)

 そんな迷いがエルンの頭の中をぐるぐると回っている。


「おや……? 聖書記官殿、どうなさったのです? 浮かない顔ですが……何かお悩みですか?」


 シフォンが不思議そうに目を細め、その細めた目がギラリと妖しく光る。気がつくとシフォンの顔は、唇の両端がまるでピエロの仮面を被ったかのように釣り上がり、いつもの好青年ぶりとはまったくかけ離れた顔つきになっている。

 エルンはそんな変化には気づいていない。

 

「……いや、オレひとりのために騎士団のみんなを戦いに駆り立ていいのか、いくさで傷つけていいのかと改めて思ってしまって。それだけじゃない。戦えば味方だけじゃなく、敵にも犠牲者が出てしまう……」


「……確かにそうですねぇ。もしエルン殿がひとりで敵軍に出向いていたら、今の状況にはなっていなかったでしょうねぇ……」


 シフォンの唇は奇妙に赫く、話すたびにぬめぬめとした舌が別の生き物のように妖しく蠢いて見える。


「ああ、まもなく敵味方が衝突しそうですね……もしかすると、今ならまだギリギリで間に合うかも……今ならまだ……エルンさん、あなたが自らロゴスに出向くことで、この戦争は止められるかも――」

 

「エルン! シフォンの口車に乗ってアホなこと考えんなや! そんなわけないやろが。いまさらおまえが出て行っても、この戦いが止まるはずがない。そんなの――ウウッ!!」


 エルンの胸ポケットの中、シフォンの発言に危険なものを感じたアンは、エルンとシフォンとの話に強引に割り込んだ。しかし割り込んだ途端、アンは金縛りにあったように動けなくなる。


「……なっ……なんやコレ……これ、前にも一度、たしか……くっ、これはっ……」

 アンは過去の苦い経験を思い出す。

「これは……お、おまえか、グロサリアッ!」


「……あーら、もうわかっちゃったのアン・アンサー。一度はわからないフリするとかないわけ? 何百年ぶりの再会だけど、相変わらず品がないわねぇ……そうよ、御名答。わたくしよ。マダム・グロサリア」


 急に『歪んだ空間』が乱れたかと思うと、それまで映っていた戦場に代わり、薄暗い場所が映し出された。


 その薄暗がりの中に浮かび上がるのは、銀髪の髪をシニヨンに結い上げた貴婦人。首元から顎のあたりまでの立ち襟のある、漆黒のドレスに身を包んでいる。ふわふわ上下しているのは、宙にでも浮いているのだろうか。

 

「おまえ、まさか……シフォンの……辞書精霊……やったんか……?」

「はぁ? 何をバカな。わたくしがそんな小物の辞書精霊ですって? そんなことあるわけないじゃないの。第一そいつ、魔道ペンすら持っていないわよ」


「そ、そんなはずは……シフォンさんは特級魔道書記官だ。魔道ペンは必ず持っているはず――」

「持ってないわよ。帝国の誇る『聖書記官』殿がその程度のこともご存じないなんてねぇ。『聖書記官』が聞いて呆れるわ」


 鼻先に引っかける手持ちメガネ――ローネットという――を左右に振りながら、グロサリアが小馬鹿にしたように言う。


「シフォンよかったわねぇ。見事に『聖書記官』殿を騙し通せて。立派なものよ」

「ふふ、マダムにお褒めに預かり光栄ですねぇ……魔道ペンなんぞなくても、私はちっとも困らない。どうせこの仕事ももうすぐ終わりますからね。もっとも、まさかこんな手荒な結末を迎えるとは思いませんでしたが」


 シフォンの声に、ハッ!としてエルンが振り返る。

 そこには細身の長剣の先をエルンに向け、わずかに腕を伸ばせばエルンの胸を貫ける姿勢のシフォンの姿があった。


「ヴォルガッシュ閣下から、わざわざエルン殿の務める軍団魔道書記官長の解任命令書までもらってきたのに、無駄になっちゃったなぁ……閣下ったら最後の最後でビビっちゃって、もらうの大変だったんだけど……」


「なっ、まさかヴォルガッシュ閣下が……帝国の裏切り者だってこと?!」

「そうだよ。っていうか最初からだよー。ルビチェック憎し、吾輩が帝国の魔道記録を牛耳るんだーって、ずーっと言ってたよあのおっさん。でも帝国なんてもうすぐ無くなっちゃうのにね。バッカだー」

 面白そうにシフォンはそう言うと、目を細める。

 

「それじゃ『聖書記官』殿、これでお別れだ。心配しなくても、辞書精霊もすぐ後を追わせてあげるから寂しくないよ。ヴァルハラ……だっけ? そこから帝国の倒れゆくさまをよーく見ててね。じゃ、さよーならー!」


 剣を持った腕を引き、前へと突き出すシフォン。

 グサッ! ドビュー……ぼたぼたっ……

 天幕内は、たちまち血の臭いで溢れた。


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