第十二章 決戦前夜(3)
「エルンスト書記官を、いや皇帝陛下から救国の英雄として『聖書記官』の称号まで与えられた英雄を、黙って敵に引き渡すなどあり得ない。恩知らず、恥知らずにも程がある」
そんな想いを持つ騎士たちと、ヴォルガッシュが誘導する非戦派――エルンの身柄を引き渡すことで戦いを回避しようとする一派――との対立は、容易には収束しなかった。
最終的にはバルガス総騎士団長が押し切る形で、ヴォルガッシュを中心とする非戦派の主張は抑え込まれた。これにより、参加していた多くの官僚たちは会議の席を立つことになった。
リリアと、軍人であるガストロノフ総参謀長を除いて。
「後で陛下に泣いて許しを乞うても遅いのだぞ、この不忠者め!」
ヴォルガッシュがそんな捨て台詞を吐き、ドスドスと大股で広間を後にする。何人かがその後に続く。たちまち円卓は櫛の歯が欠けたようになった。
「なんだかすみません……オレのせいで作戦会議が紛糾してしまって……」
自分が悪いわけではないのだが、自身の身の振り方が帝国内部に亀裂を生じさせる結果となったことに、エルンは居心地の悪さを感じていた。
「なあに、聖書記官殿。この会議は純軍事的な『作戦会議』で、本来は帝国中枢のエライさんが参加するものではない。ヴォルガッシュの申し入れがあったとはいえ、参加を認めたわしの判断が間違っていた。すまんな」
バルガス将軍がそう言ってエルンを慰める。
「さて、ここからは騎士道の時間だ! 正々堂々、敵を打ち破る方法を考えようではないか!」
バルガスが残った仲間たちに訴えかける。
ウオォォーーーーッ!!!
円卓を囲む騎士たちは、バルガス将軍の発言に応えて雄叫びを挙げた。いよいよ具体的な作戦計画の検討が進み始める。
ガストロノフが事前に細かい出動計画を練ってくれていたおかげで、出動案は午前中のわりと早いうちに完成した。
先発隊として、ノクス率いる遊撃騎士連隊が歩兵や長槍兵らとともに出発し、その後、三つの軍団と総司令部が相次いで出発、翌日にはアカシック平原で敵と対峙することになった。
「敵軍はわれわれがアカシック平原に着くまで、そこに留まっているのでしょうか。オレなら一万五千の兵を分けて、各方向から帝都へ攻め上ると思うんですが……アンはどう思う?」
「そんなん知らんがな! うちは辞書精霊や。軍人やない!」
「ハッハッハ。今回の敵の目的は、大軍をもってわが軍を一気に叩き潰し、この地の抵抗勢力を一掃することだ。だから大軍を展開できるアカシック平原でわが軍を待ち構えるだろうな」
「なるほど……」
バルガス将軍はまるで士官学校の教師のように、エルンの質問に答える。
「おそらく敵が望んでいるのは、短期決戦でわが軍を完膚なきまでに打ち破ることだろうよ」
「そうであれば、わざわざ敵の思惑に乗ってやる必要はないのでは? 少しでも長引かせて敵に出血を強いたほうが良いのではないですか?」
「敵に出血を強いることは、味方も出血を強いられることだ。援軍が来る予定がなければ、味方は数少ない戦力を徐々に削られてジリ貧になる。さあ、どうする」
「うーん……」
「そやなあ……」
エルンとアンは答えに詰まり、バルガスはニヤリと笑う。
「聖書記官殿、砂漠戦線ではどのくらいの敵を倒したか覚えておられるか?」
「あー、記憶が定かではありませんが……一万人くらいでしたか……」
「そうだ。敵は必勝を期して一万の大軍を出し、敗れた。そして今度は一万五千の大軍を出してきた。そんな大兵力を簡単に用意できると思うか?」
「いえ、それは……」
「おそらくだが、敵の当面の兵力はこれで底をついた、とわしとガストロノフは読んでおる。そこがつけ目だ」
「と言いますと?」
「皇帝陛下の前で、ガストロノフが報告した敵情を覚えておるか? 総参謀長はこう言った。『敵は首都近郊を守る最精鋭部隊が中核だ』と。これが何を意味するか」
「…………」
「敵は首都防衛戦力を中核に大軍を起こした、ということだ。敵の首都コンセサス周辺にはもう兵力はないだろう。敵もこの戦いに負ければ後がない。だからエルン殿を差し出させ、戦いを有利に進めようとしたのだ」
「なるほど……敵にはそないな狙いがあったんか」
「……オレには難しくて、よくわかりません」
「敵も背水の陣であるということさ。後がないのはお互いさま。一万五千対五千なら差は一万。ちょうど砂漠戦線で貴官が倒した兵の数だ。貴官を戦力と考えると、実は敵味方の戦力は拮抗しているとも言えるのだよ」
「…………」
「まあよい。エルン殿、深く考えるな。必死に生き残れ。自分のためでも誰かのためでもいい。何かを守るために精一杯戦おう。わしらができるのはそれだけだ」
午後になり、各軍団が続々と想定戦場へと出発していく。それを森羅宮の『記録の尖塔群』の一室で窓越しに眺めている女性がひとり。
ネネであった。
応接間でエルンたちと別れたあと、ネネはリリアに伴われて尖塔のひとつに導かれ、その上層の部屋に入ることになった。前に居た客室に比べれば狭かったが、調度や設備は遜色なく、快適に過ごせそうな部屋だ。
ただ外へ繋がる扉には厳重に鍵がかけられ、彼女の自由は奪われていたのだが。
「拘束、といっても別に手荒なマネはしない。軟禁という方が正しいわね。しばらくの間、あなたにはここに居ていただきますわ。何かあったらその紐を引いて呼べば宮廷使用人が対応するから、生活に不自由はないわよ」
この部屋に案内したとき、リリアはそう言った。
「聖書記官の専属秘書官ですもの、あなたを粗略にはしない」とリリアは言って、部屋を出て行こうとして立ち止まり、振り返って改めてネネを見る。
「ところであなた、さっき……サラッと大変なことをエルンに言わなかった?」
「……あら、何の話かしら」
「とぼけるつもりね。でも私は聞き逃さなかったわよ。あなたエルンのことが『だ・い・す・き』なのよね?」
リリアが一文字一文字を区切って発音するのを聞いて、たちまちネネの顔が真っ赤に沸騰する。
「なっ、あなたなんでわざとそういう言い方するの?! 信じられない!」
「信じられないのはこちらのほうだけれど? 仕事として秘書官を務めている者が、そんな事を口にするほうがよほど信じがたい話よ。そもそも聖書記官殿と秘書官風情とで、バランスが取れるはずがないでしょう?」
フン、とリリアは鼻先で笑った。
「まあ、私もまもなく戦場へ赴くわ。エルンとともに。あなたはここでおとなしくしていることね」
リリアはそう言って部屋を出ていく。
ネネはただ黙って唇を噛み、その後ろ姿を悔しそうに睨みつけるしかなかった。
「……では、彼女の保護は頼みましたよ」
「ハッ! 承知しました首席監察官殿!」
この尖塔を統括する警備隊長にそう命じたリリアは、出動準備のため颯爽と歩いていく。
(あなたが安全に守られることがあの人の願い。だから私はその願いを叶えるため全力を尽くす。あなたが羨ましいという思いはある。でも私はあなたには負けない。絶対に!)




