第十二章 決戦前夜(2)
レガリアス帝国の穀倉地帯と呼ばれるアカシック平原。
北の砂漠地帯と南の山岳地帯と間の平原で、その地形から適度な降水量と温和な気候に恵まれている。
そのアカシック平原の穀物の集積地として発展した街であるケレースは、周辺を代表する都市であるばかりか、いまや帝国有数の商業都市でもある。
そこに前触れもなく理法共和国の大軍が押し寄せたのは、ほんの一昨日のことであった。
帝国はごく僅かな守備隊をこの街に配置していたが、守備隊はロゴス軍の接近を帝都に知らせると、すぐにその僅かな戦力ごと帝都へと引き上げた。
春先のことでもあり、ケレースにはそれほど多くの収穫物はなかったが、市内にはそれなりの食糧は確保されていた。それらはすべて侵攻してきたロゴス軍の管理下に置かれることとなった。
エルンたちが深夜に皇帝に呼び出された前日の夜のこと。ロゴス遠征軍司令部に指定された高級ホテルの一室。
「ここまではまず順調のようだな」
二メートル近い高身長で直線的な姿をしたサングラスの男が、近くに座っていた高級軍人に話しかける。
「フン、こんな大軍を率いて来ているんだ。たいていの無理は通って当たり前だろうが」
そんなのは当然だ、と言わんばかりの反応をしたのはノモス・ベック。今回の遠征軍の総司令官だ。
「そうですよ校正官。兵力ならウチが圧倒して当たり前なんですから。今回仕込んでいるエルンスト対策さえうまくいけばチカラ押しで戦闘は終了、ウチらの出番はなし!ってことも考えられますからねー……ふわぁー」
校正官にとって戦闘時に眼の役割をする戦闘検字官エン・ニョウが退屈そうにあくびする。
「…………」
校正官と呼ばれた男、『伝説の校正官』ことゼブラ・レッドラインは黙して特に反応しない。エン・ニョウとの共闘はこれが初めてではなく、それゆえにゼブラは彼の有能さをよく理解している。
(合理的に考えればエンの言うとおりだ。だがなぜだろう。私個人はエルンストと戦ってみたい……たぶん実現はしないだろうがな)
「明日はここからさらに前進したアカシック平原で野営ですからね。今日はベッドでゆっくり寝たほうがいいですよ。そんなわけで、お先に失礼しまーす」
そう言うとエン・ニョウは、立ち上がって軽く手を振りながら司令部の部屋を出ていった。
「まったく緊張感のないヤツめ。『校正評議会』のやつらはどうもピリッとせんヤツが多すぎる。……おっと、ゼブラ殿は別だぞ」
ベック将軍が口を滑らせたのを訂正したところで、コンコン、とドアをノックする者がいる。
「何者か?」
「作戦部より総司令官に至急お目通しいただきたい文書が届いております。いかがいたしましょうか?」
「わかった、目を通す。入れ」
すぐにドアが開き、兵士は室内に入るや正しい姿勢で敬礼した。ベックは答礼を返し書類を受け取ると、直ちに内容を確認する。
「……ふむ、よかろう。それでは明日わが軍がアカシック平原に陣を構えた段階で、この要求を帝国に伝えよ」
「ハッ!」
総司令官の意向を聞いた兵士は敬礼し、すぐに踵を返すとドアから外へ出ていった。
「まあ、そうやすやすと敵が言うことを聞くとは思えんのだがな……」
「いったいなんだったのだ?」
ベックに問うゼブラ。その質問にベックは正面から答えず、こんな喩え話をした。
「そうだな、ボクシングで言えばジャブを打つみたいなもんだ。当たればよし、当たらなくとも敵を怯ませるくらいの効果はあるだろう、そんな要求だ」
それから丸一日後の帝都ルブリウム。
皇帝陛下との深夜の謁見のあと、新たに総騎士団長に任命されたバルガス将軍は払暁、今回の対ロゴス戦に向けた作戦会議を開いていた。
会議は森羅宮内の広間の一つで行われ、大きな円卓に軍団の幹部と帝国中枢の関係者が一同に顔を揃えている。
軍編成と陣振りが済んだあたりで、通信兵がコソコソと広間に入って来ると、ヴォルガッシュに小声で何かを報告した。その報告を聞いたヴォルガッシュは「な、なんと!」と大きな驚きの声を上げた。
(……あの驚き方、なんかわざとらしくないか)
(うむ。たしかに芝居がかった驚き方やったな)
エルンとアンが怪しむ中、ヴォルガッシュが挙手して発言を求める。
会議の主催者であるバルガス将軍が発言を認めると、ヴォルガッシュは発言のために立ち上がる。
「今、理法共和国軍より驚くべき要求が吾輩のもとにもたらされた。なんと敵軍は条件を飲めば戦わずに帰還すると言っている。わが軍の現状に鑑みれば望ましい提案かと思うが、いかが思われるか」
「そんな都合のいい話があるものか! 条件は領土の割譲か、あるいは高額な賠償金か。どちらにせよ簡単に飲める条件ではあるまい!」
第一軍団長のドラグナーが吠えた。
「いや、さにあらず。ただひとりを引き渡せ、という要求なのだ。それも畏れ多くも皇帝陛下や政府高官などではないのだぞ。これから生じるであろう犠牲を考えれば、一考に値すると吾輩は考えるのだがな」
「ただひとりだと……?」
遊撃連隊長であるノクスが、胡乱そうにヴォルガッシュを睨みつける。
「いったい誰を人身御供に差し出せ、と言って来たのか、ヤツらは」
「ほれ、居るではないか。新参者でありながら、昨今あっという間に地位を上り詰め、あまつさえ称号すらも得た者が……」
「……き、貴様っ! 誰を名指ししようとしておる! たとえ首席書記官と言えども、言ってよいことと悪いことがあるわ! エルン殿は救国の英雄であるぞ! それを敵に引き渡すなど!」
エルンと共に砂漠戦線の苦労を駆け抜けた第二軍団長バハラムが、ヴォルガッシュに対してブチ切れる。その他の旧第二重装騎士団出身者たちも、ほぼ同様の反応を見せる。
これに対して、帝国中枢の官僚たちは比較的ヴォルガッシュに近い反応を示す。帝都が守られ、森羅宮が、そして皇帝陛下が安泰を保てるならば、エルンひとりの引き渡しなど安いものだ、と考えているのだ。
もちろん、首席監察官として会議に参加しているリリアは他の官僚たちとは異なり、騎士団側の立場に立ってはいたのだが。
こうして、ロゴス軍の提案を巡り会議は大きく二派に分断された。「エルンの引き渡し」というジャブは当たらなかったが、「帝国幹部間の対立」という効果を生じさせたという点で、ベック将軍の狙いは見事に当った。




