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第十一章 伝説の校正官(1)

「なお、この莫大な事実改変により、すでにわが国にも影響が出始めております」

 理法共和国ロゴスの首都であるコンセサスでは、報告者が苦渋に満ちた表情で『校正評議会』への報告を続けている。

 

「広域検字官の観測により、昨日、コンセサス市内において基準を上回る誤字感染が確認されました」

「誤字感染だと?! 被害は? 感染拡大は防げたのだろうな?」

「幸いにも検字官および住民による早期発見と、検閲所への早期通報があり、感染疑いのある者は速やかに隔離しました」


「それで、どんな感染症状なのだ?」

「症状としては『コーヒー(Coffee)』を『棺桶(Coffin)』と取り違えるという高レベル感染とのこと。そのままだと周辺への感染拡大は避けられない状態だったとのことです」

「なんと……」

「『コーヒー』を『棺桶』と取り違えただと……」

 感染状況の深刻さに、評議会出席者の間でざわ、ざわ……と動揺が走る。


「もはや一刻の猶予もならん。『未定義の特異点』の排除に全力で取り組むべきだ。かのバグ・テロリストの早期排除策について、政府はどう考えておるのか?」

「政府としましては、早くから秘密裡に対応を進めており、帝国内の反体制勢力などとも連携して排除に向けた検討を加速させております」

「『検討を加速』など手ぬるい! 確実な着手と実効性ある遂行が必要だ。『特異点』の早期排除への具体策の早期提示を求める!」

 議場に「そうだ!」という複数の声と、少なくない数の賛同の拍手が上がった。


「落ち着きたまえ諸君……少しよろしいか」

 その時、よく通る声が会議場に響く。

「おお、ゼブラ殿だ……」

「なっ、ゼブラ殿が発言されるぞ?!」

「ついに『伝説の校正官』のお出ましだ!」


 会議場の前方にある演台に向かって、異様な風貌の男が歩いて行く。静まり返った会議場にコツ、コツ、コツ……という足音だけが響く。

 背が高い。二メートルくらいはあるだろうか。細い白と黒のストライプの外套に身を包み、まるで定規を飲み込んだような直線的な身体をしている。

 

 ゼブラ、と呼ばれた男は演台に登壇すると、会議場の参加者をぐるりと見渡す。

「『事実は観測されるものであり、記述されるものではない』。諸君も知ってのとおり、これはわが理法共和国ロゴスの国是である。したがって事実を改変するような記録は、論理的にも倫理的にも到底許されない」


 丸いレンズのサングラスをかけ、眉間にはカタカナの「メ」の文字に似たシワ。整った顔立ちではあるが、表情と言えるような表情はなく、感情が欠落したような無機質な顔だ。


「わが国の国是に挑戦するような企ては、すべて潰さねばならぬ。今こそ『未定義の特異点』、いやエルン・エルンストを斃すときである。諸君、臆せず侮らず最善を尽くそう。以上だ」

 興奮も挑発もない淡々とした意見表明。だがこの発言で『今なすべきことは何か』ということが明確に示された。

 

「そうだ! エルン・エルンストを倒せ!」

 会議場の誰かが叫んだ。

「そうだ!」

「『特異点』エルンストを倒せ!」

「エルンストを倒せ!!」

「エルンストを倒せ!!!」

 いまや会議場のすべてが「エルンストを倒せ!」「エルンストを倒せ!」と声を揃えて叫んでいた。

「そして、エルンストを倒すのは、われらが『伝説の校正官』ゼブラ・レッドラインだ!」


 レガリアス帝国が「事実を『記録』することを重視する国家」であるならば、理法共和国ロゴスは「事実を『観測』することに特化した国家」である。

 記録が事実と違った場合、帝国は事後修正に寛容な部分があるが、ロゴスは一切の修正を許さない。

 帝国でも記録改ざんは即決処刑に当たる重罪だが、ロゴスの記録改ざんに対する考え方はより徹底している。ロゴスでは記録改ざんは「刑罰上の罪(Crime)」であると同時に「倫理上の罪(Sin)」でもある。

 

 徹底した観測主義国家であるロゴスでは平時から「広域検字官」の職を置き、国内・国外で記録改ざんが行なわれていないか常に監視している。

 伝統的に正しい記録を残してきたレガリアス帝国に異変が初めて観測されたのは約五年前。ちょうど現皇帝ギルガメス・ド・レキシカ1世が即位した時期である。


 事実と記録のズレは最初はわずかなものだったが、次第に、特に軍事面で大きなズレを観測するに至った。

 帝国は「帝国軍は周辺諸国に比べ最強である」とのあいまいな記述で現実を補正し、密かに勝率を書き換えていた。ロゴスは分析の結果、「帝国軍の勝率は、記述統計学的に明らかに異常バグである」と断定した。

 その後もその異常の度合いは悪化の一途を辿ったことから、ついにロゴスは記録の論理的正当性を取り戻すため帝国に宣戦を布告。電撃的に帝国へ侵攻した。


 その侵攻にあって、帝国の書記官を次々に制圧していったのが、校正官であるゼブラである。その戦いぶりは鬼神のごとく、ついに『伝説の校正官』の二つ名で呼ばれることとなった。

 帝国軍各部隊が次々と敗れる中、1級、2級書記官など書記官の主力クラスは軒並み欠員となり、のちに5級だったエルンが戦場に登場する原因ともなったのだが。


 会議場から筆頭校正官室に戻ったゼブラは、袖机から魔道六法を取り出す。

「グロサリア、頼むぞ」

 ゼブラは、自分の赤い魔道ペン『ジャスティス・レイ』の辞書精霊であるマダム・グロサリアに声を掛ける。

「はいゼブラ様、お任せくださいな」


 ゼブラは魔道六法を開き、開いたところを『ジャスティス・レイ』でぽんぽん、と軽く叩く。たちまち魔道六法の上空がゆらぎ、空間の向こう側がこちらからはよく見えない状態、つまり『歪んだ空間』と化す。


「こちらコンセサスのゼブラだ。応答されたし」

「……こちら……ウムの……だ。画像と……の具合が悪……。そちらの状況……伝えてほ……」

「うまく伝わるかわからぬが、本日の『校正協議会』の状況を伝える。不明点は次の定時連絡で確認せよ」


 ゼブラは『歪んだ空間』を通じて、本日の『校正協議会』で取り上げられた議題と帰結について、相手に語った。

 理法共和国ロゴスがいま斃すべき敵はエルン・エルンストである、という共通認識が会議の参加者に刷り込まれた事実については、特に入念に。


「うむ……今日は何か、疲れたな……」

 『歪んだ空間』を閉じたゼブラは、情報端末である丸いレンズのサングラスを外すと目を閉じ、目の周りを軽くマッサージする。

 目の奥に、幼い女の子の姿が浮かぶ。


「ああ……おまえはまだ生きているのか、死んでしまったのか……いや、いまさら思い出すのは歳を取った証拠か。いずれにせよ、俺の心になおそんな未練が残っているとはな。自分で自分に驚かされることよ」

 

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