第十章 皇帝との謁見(1)
「ちょっとエルン……大丈夫なの?」
アンからエルンの世話を任されたネネは、回廊の端のほうにエルンを座らせ、手のひらをぱたぱたさせてエルンの顔に風を送っていた。
アンとシフォンは、少し離れたところでヒソヒソ話をしている。その内容まではネネの耳には届いてこない。
(どうも、この森羅宮って宮殿はいけ好かない。大きくて立派だけど、中は何百年ものホコリや澱が沈殿してる。身体衛生上も精神衛生上も不健康だわ)
「うっ、うーん……」
「あっ、エルン大丈夫?」
「ああ、ネネ……あんまり……大丈夫じゃないかも」
「……まったく。どうせまた『まともに仕事できずミスばっかりのオレが、どうして皇帝陛下に』とか考えて震えてたんでしょ?」
「え……? なんで……わかったの?」
「あんたのことなんてすぐわかる。長い付き合いじゃないのさ。最近来たばっかのルビチェックとは違うわよ」
「ははは、たしかに。リリアとは違うよなー。結局、ネネがオレのことを一番よくわかってるのかもな」
ドキッ! ネネの心臓の鼓動が一瞬、跳ねた。
(なっ、なによ、いまさら……そ、そりゃそうでしょ。どんだけいっしょにいると思ってんの。一番近くにいる「友人」として、わたしが一番エルンのこと理解してるに決まってる!……まったくもう!)
やがて先触れの使者が現れ、まもなく皇帝が謁見の間に出座される旨を告げた。エルンやネネたちも連れ立って謁見の間に移動を開始する。
謁見の間は、森羅宮を象徴する『知識のドーム』と呼ばれる青銅の巨大なドームの下に設けられている。
中から見上げるとドームは天球儀のようになっており、星々で構成される星座や、惑星や恒星の通る経路、航海や砂漠の旅で目印になる星々などが散りばめられている。
その真下の床が二段ほど高くなっており、特別製の赤い絨毯が敷かれた段上に、レガリアス皇帝の玉座である『森羅の帝座』が鎮座している。
玉座は椅子の背もたれが高く堅牢な造りで、記録結晶という黒く硬いクリスタルを集めて作られている。
背もたれの端と肘掛け部分には古代魔導文字と細かい彫刻が施され、座面と背の当たる部分は皇帝の紋章の入った赤い布で覆われている。
玉座の持ち主は、まだ入来していない。
今回謁見する人々は総勢三、四十人は居そうだ。皆、壁に沿って列を作っている。どうやら身分の高い順番で並んでいるらしい。
その列のずいぶんと前のほうに、見たことのある人物が並んでいるのをエルンは発見した。
小柄だが、強い視線を周囲に走らせ、周りを睥睨して沈黙させてしまう美少女。表情は笑みのかたちのまま凍りつき、わずかに口角が上がっている。今日は濃い紺のベルベットの法衣を身につけている。
「おい、あんな前のほうにリリアがいるぞ……ほら、あそこ」
「あ、ほんとだ……」
エルンがリリアに気がつくと同時に、リリアもこちらの存在に気がついたようだ。さかんに視線をこちらに送ってくる。
「あら、ルビチェックだけやのうて、シフォンもすぐ隣におるやないか……その後ろにはヴォルガッシュもおるぞ」
顔見知りが三人並んでいることにアンが気づく。
リリアとヴォルガッシュは、それぞれ別々の方向を向いている。お互いが視野に入らないようにしているのだろうか。そのふたりの間でシフォンが困ったように眉を下げ、表情だけでニコニコしている。
「あー、シフォンさん、あのふたりの緩衝材役として、きっとあそこに挟まってるんだろうな……」
気の毒に、とエルンが思っていると、急にリリアが背伸びして、背の高いシフォンの耳を引っぱって下ろし、強引に耳打ちするのが見えた。
「イタッ! 痛いですよ、ルビチェック様! そんなことしたら、耳がもげちゃいますよ……えっ!」
シフォンは驚き、イヤそうな顔をして身振り手振りを加えつつリリアに何か言っている。しかしリリアはこちらから見てわかるくらいツンとして、まったく聞く気がない。
シフォンは深いため息をつくと、やがてうなだれながら並んでいた場所を離れ、どこかへ消えてしまった。
「……あれシフォンさん、どっか行っちゃったよ?」
「どないしたんやろ。もうすぐ陛下がお出ましになりそうやっちゅうのに……」
「あの様子じゃ、リリアがまた無理難題を押し付けたんだろうなぁ。本当にお気の毒に……」
行列の一番後ろで三人がそんな会話をしていると、背中の方から「あの……」と声をかける者がいる。「はい?」と振り返ると、なんとそこには、さっき列から居なくなったシフォンが半笑いで立っていた。
「あれっ、シフォンさんどうしてここに?」
「さっき前のほうでリリ……ルビチェック監察官になんか言われてませんでしたか? どうせ無理難題言われたんでしょうけど……」
「やっぱり見られてましたか。お恥ずかしい。でも見られていたのなら、説明の手間が省けて助かります」
「説明? なんの説明ですか?」
「ルビチェック首席監察官が、あなたたちをこの行列の前のほうに連れてこい、とおっしゃっているのですよ。ちょうどルビチェック様とヴォルガッシュ様の間にね」
「えーっ?!」
今度はエルンたちのほうが困惑する番だった。
「つまりそれって、オレたちに『前の方に並んでる人たちなんて無視して割り込め』って言ってます?」
「まあ、そういうことでしょうねぇ……」
「言うこと無茶苦茶だなぁ……それって後ろの人たちに文句言われませんか? ……特にすぐ後ろのヴォルガッシュ首席書記官に」
「言われるかも……いや確実に言うでしょうねぇ、ヴォルガッシュ閣下は」
「それで、文句を言われる側のオレたちにはどうしろと?」
「ルビチェック様いわく、『すでにヴォルガッシュにも事情は説明してあるのだから問題ない。また、エルンは今回で特級書記官に昇格するから、並び順も問題ない』だそうです」
「……いかにもルビチェックが言いそうやな」
それに応え、シフォンが苦笑いしながら言う。
「でしょ?」
エルンが思わずリリアの方を見ると、彼女は小さな身体に付いている細い手足をぶんぶん振り回して「早くこっちへ来い!」と猛アピールしている。
「……ね? ご覧のとおりですが、皆様いかがしますか?」
「まあリリアをガン無視して即決処刑になるのもイヤだしなぁ……。けど、上司にあたるヴォルガッシュ閣下に気に入られてなさそうなオレとしては、閣下にこれ以上嫌われるのは困るんだけど。うーん……」
ここに来ても、エルンの優柔不断がなお遺憾なく発揮されている。




