第八章 ねじ巻きとスイーツ(2)
バハラムの決死隊は、エルンの活躍(?)により、ひとりとして欠けることなく、無事に前線司令部に帰還した。
「エルン殿、いやエルンスト2級魔道書記官殿! 騎士を失わずに帰還するどころか、敵先鋒と主力に大打撃を与えるとは! いやはや、さすがよのう! 実に見事なものだ!」
バルガス将軍は手放しの喜びようだ。
それはそうだろう。
斥候の報告によると敵兵力は決死隊の、というかエルンのおかげで、昨日よりはるかに大きく数を減らしていた。今回の夜襲で数千の敵が、高速回転しながら地平線の彼方へと飛び去っていたのだ。
それでも敵兵力が味方の数倍いることは変わらないが、騎士たちや兵士の気分高揚、士気の高さは敵に比べると圧倒的であった。
そんな騎士団に対してエルンたちは、と言えば、それぞれに複雑な感情が入り乱れる状態であった。
「まぁエルン、そんなに落ち込まんと……おまえは今回は書記官として正しく仕事をして、それでもちゃんと勝てたやないか」
「……羊皮紙にいくら正しく書いても、記録したことと違う事実が発生しちゃう……そんなの書記官失格だ……生まれて、すみません……」
「文学的素養を自ら破壊して、新たな地平を開拓するという飽くなき挑戦……ついには文学を飛び出して今回は物理学的な領域へと侵入……ああエルン、私にも深く深く侵入してほしいわ……」
「みんな本当に自分勝手っ! わたしがひとりはイヤって言ってるのに、どーしてそれがわかんないのっ?! ひとりにしないでっ! ひとりはイヤッ!」
アン、エルン、リリアにネネ。四人が四人ともそれぞれに思うところに捉われ、心は千々に乱れていた。
だが目の前の現実が、いつも人の心に平衡を取り戻させる。
夜襲成功による戦勝気分の消えない午前中早く、すぐに作戦会議が開かれ、前線司令部には騎士団長以下、分団長、副官、参謀が集まった。
エルンも最近の慣例どおり、バルガス将軍のすぐ隣という上席に座らされている。
少し違うのは、今回の作戦会議にはリリアが同席していることだ。バルガスやエルン、ヴァイスハイト卿といった騎士団幹部とは並ぶ席ではないが、かなり上席の、エルンの顔がよく見える位置にリリアは陣取った。
そして壁際の椅子には、ネネが面白くなさそうな顔をして座っている。
「勇敢なるわが同胞よ。我々は圧倒的な劣勢であったところから、敵を浮き足立たせることに成功した! 次はわが領土から敵を叩き出すのだ!」
ウオーーーーッ!!!
バルガス将軍の檄に対して、一同は士気高く、口々に怒涛の喚声を上げる。
「だが数だけみれば、烏合の衆といえども、なお我々の数倍の敵兵が存在する。窮鼠猫を噛むの例えもある。油断するなよ。速やかに敵を駆逐するぞ!」
オオオーーーッ!!!
「これより全軍出撃。全力をもって敵を粉砕する! 各分団は敵を中央突破、包囲殲滅戦から追撃戦へと移行するのだ! 連携を密にせよ、良いか!」
応っ!!!
(……全軍出撃って言ってもオレたちは文官だから、また前線司令部で待機だな。また『歪んだ空間』経由で想定戦場を……)
「エルンスト書記官殿、今回は書記官殿にも我々とともに出撃いただきたいが、差し支えなかろうな?」
「は? え? えーっ……」
「昨夜、決死隊参加を直訴されたときはわしも心配したが、なんのなんの、考えも及ばない大戦果を引っ提げて生還された。今回はぜひ、我らとともに出撃してもらいたい。ともに敵を撃ち破りましょうぞ!」
(い、いや、待って将軍閣下! 昨晩はネネが脱出する時間を稼ごうとしてムリしたんですけど?! ほんとは戦場になんか行きたくないんですけど?!)
「昨夜はバハラムとともに馬に乗って進まれた、と聞いておる。今度はわしの自慢の駿馬にお乗せしよう、ワハハハハ! おいっ、馬の準備を怠るなよ!」
「はっ、閣下承知しました!」
そうまで言われてしまっては、エルンとしても断ることもできない。
「あは……あはは……よ、よろしく……お願い、します……」
エルンはもはやバルガス将軍の言葉に涙目で従うしかなかった。
(だから昨晩「アホなこと考えるな」言うたのに……ま、しゃーないなぁ……『書記官と辞書精霊は一心同体』やからなぁ……でもこんなこと続けとったら、うちもエルンも命がいくらあっても足らんなぁ)
エルンの胸ポケットでアンがぼやく。
こうして、エルン(とアン)は今度はバルガス将軍とともに戦場の真っ只中に立つハメになった。
「……エルンまた戦場に行くの? あんた書記官なんでしょ? なんでそんな危険なところに行くのよ?」
作戦会議が終わり、参加者はあらかた天幕から退出すると、前線司令部の天幕の壁際に座っていたネネが立ち上がり、すぐにエルンを問い詰める。
「うっ……それはまあ、将軍閣下にじきじきに言われたら、断りようもなくて……」
「あんたバルガス将軍の部下じゃないでしょ? オレ紋章院所属なんです、文官なんですって断りゃいいじゃん! 何やってんの、死ぬつもりなの?! バカッ!」
「ごめん……」
「それで、またわたしに心配させるの?!……エルン、これだけ言っても、まだわたしを……ひとりにするの?」
「…………」
ネネは目に涙をいっぱい浮かべて、エルンを悔しげに見つめていたが、突然キッ!とエルンを睨みつけると言い放つ。
「エルンなんてもう知らないっ! もうどこへでも行っちゃえ! 戦場でもどこでも行って……のたれ死んじゃえばいいんだっ!」
そういうとネネは、前線司令部の天幕から駆け出して行ってしまった。
「ネネ……」
「……たしかにあのお嬢さんの言うとおりだわ」
「リ、リリア……」
ネネとのやり取りを見ていた戦時正装姿のリリアが、エルンに話しかける。
「あなたは紋章院所属の書記官。だから本来は騎士団長に従う理由などなくってよ。でも……」
リリアはほんの一瞬目を伏せ、すぐに目を開く。
「でも、魔道書記官は戦時記録を書くのが仕事。どうしても現場指揮官と行動をともにすることが多くなる。だから指揮官との良い関係はとても大事。指揮官の頼みは断れなくて当たり前だわ」
「…………」
「大丈夫。あのお嬢さん……レッドラインは私に任せなさい。この『生ける断罪』が責任もって守ってあげる……エルンのために、ね」
そう言うとリリアはプイッとソッポを向いて、そそくさと天幕を出て行った。
「……へっ?」
エルンがリリアの発言の意味を自分の中でしっかり理解できたのは、リリアが天幕を離れてしばらく経った後だった。
まもなく、砂漠戦線における第二重装騎士団の総攻撃が始まる。
エルンは、バルガス将軍騎乗の白馬に同乗し、将軍の「前進開始」の命令が発せられるのを固唾を呑んで待ち構えていた。




