第六章 転戦(2)
エルンとネネ、アンの三人は、皇帝の命令に従って帝国北東部の砂漠地帯へ向かうべく、ドラグナーら追撃部隊の帰還を待つ騎士たちに先行して、馬車で出発することになった。
「エルン、あんたほんとに大丈夫なの?」
「まあ……なんとかね」
「それにしてもあんた、どんだけ自己評価低いのさー。たしかに誤記がきっかけだけど、あんたは間違いなくこの騎士団を救ったのよ? もっと自信持ちなさいよ」
「うーん……まあ、結果としてはそうなんだけどね……」
エルンのうなだれっぷりに、アンもエルンをなぐさめるように口を挟む。
「ま、あんだけの規模のやらかしになったのは、エルンだけのせいやない。うちが宿っとる魔道ペンで書いたからや。だからそんなに自分を責めんことや、エルン」
「……え、そうなの?」
驚くエルン。アンはエルンに言い聞かせるように語りかける。
「魔道事象の発動規模と内容は、書き手と辞書精霊と魔道インクの質・残量で決まる。いくらエルンがとんでもない内容を書いても、精霊とインクのどっちかがあかんやったらスゴいことは起きん」
アンは少し自慢げに、しかし少し申し訳なさそうに言った。
「だからある意味、うちのせいでおまえを悩ませてるかもしれん。でも辞書精霊と書記官は一心同体。そこは早よ諦めてくれ」
「そ、そうなのか? こんなスゴいことが起こせるのは、オレのやらかしのせいだけじゃないのか……ま、俺みたいな新米書記官が、とんでもないことを次から次に起こせるのは不思議だったんだが」
エルンは「なるほど、なるほど」と少しホッとした顔つきだ。
「自分で言うのもなんなんやが、うちの力はそんじょそこらの辞書精霊とはレベルが違う。齢数百年、伊達に生き残っとらん。魔道インクも多島海国家産の高級品を独自ルートで仕入れとるしな!」
アンが胸を張って、さらに自慢げに語る。
「ちなみに、さっき言った書き手・精霊・インクの関係の話は絶対ぜーったいヒミツやで。バレるといろいろ差し障りがあるんや。誰にも言わんと約束してや。ネネもな」
「あ、ああ……わかった。他の人には絶対秘密にする。誓うよ」
「わたしには意味わかんないけど……わかった。秘密にするわ」
「ふたりとも、頼んだで」
この時アンは、かつて見たことのないような真剣な表情になっていたが、すぐにいつものおどけた様子に戻った。
「そやけど、ルビチェックはぜーんぶエルンが意図してやったことやと思とる。『もはや報告書の枠を超えた、現実に牙を剥く叙事詩』とかなんとか言うてな」
「そ、そうなんだよ、アン。オレがそんな深遠な意図とか持ってるワケないじゃん!」
エルンは思わず、素直な気持ちを吐き出した。
(あれ、待てよ? それってオレが意図を持って何かしたいと思えば……イヤイヤいかんいかん。わざとそんなことしたら……あわわわっ)
エルンは今さらながらとんでもないことに気づき、急に動きがギクシャクする。
「……ホ、ホントにオレ、こんなんで皇帝陛下に処刑されたりしないかな?」
「んー、監察官であるルビチェックがエルンを処罰してないんだから、まあ大丈夫じゃないの? 知らんけど」
「ネネ〜、またそんな無責任な……オレ真剣に悩んでるんだけど……」
「だって、知らないものは知らないわよ! そんなに心配だったらルビチェックにでも聞いてみれば? フーンだ!」
「な、なに急に怒ってるんだよぉネネ。オレなんか、おまえが怒るようなコト言ったか?」
「あんたさー……ほんっとにそういうトコ、よく考えたほうがいいわよ」
「えー、理不尽だよ〜……ワケわかんないんだけど……」
「そういや、そのルビチェックは何しとるんや? まだ騎士たちといっしょなんか?」
「あー、それな。なんだか他でやることがあるから先に行く、とか言ってたぞ」
「うん。……そんなこと言ってた」
「ふーん……」
アンはやや訝しげに答えた。出発する直前、リリアがネネを密かに呼び出したことを知っていたからだ。
それに今のネネの反応は、それまでのエルンに対する会話と比べて必要最低限で、不自然なほどおとなしかった。
(ネネとルビチェックが話しとったのはわずかな時間やったが、何の話か、おおよそ察しがついとる。たぶん『レッドライン』一族の話やろう)
前にネネがリリアに突っかかっていったとき、リリアが話したレッドライン一族の話。敵である理法共和国ロゴスの『校正官』の一族がレッドライン家であるという。そしてネネのファミリーネームも『レッドライン』。
『校正官』という役職はレガリアス帝国にはないため、それがどんな役目なのかアンにはよくわからない。
(語感からすると、言葉や文章をチェックしたり修正する役職なんか? もしこれが官職名やとするとネネのヤツ、実はええトコの嬢ちゃんなのかもしれんな……)
(それより、ネネとルビチェックとの間でどんな話が交わされたんやろ……うちにもいずれわかるときが来るんやろか)
「ところで行き先の北東部の砂漠地帯だっけ、それどんなとこ? アン、何か知ってる?」
ネネがアンに質問する。
「この国の北東部は年間通じてほとんど雨が降らん。内陸で遮るものもない平地でな。夏は高温、冬は零下になる。風は結構吹くから自ずと土地は荒れて砂漠になるっちゅうわけや。これから行くトコはそんなところやで」
「砂漠って、やっぱ砂ばっかりなの?」
「ま、そうやな。一部には岩山があったり、硬い岩盤と柔らかい地層が何層か重なったトコもあるが、基本は砂、砂、砂……が続いとる」
「そうなんだ……」
「気候や土地も過酷やが、砂漠で一番恐ろしいのは砂嵐や。ひとたび巻き込まれれば、まず命はない。砂漠に近い都市が砂嵐に巻き込まれ、わずかな時間で住人もろとも完全に埋もれた例なんぞ、山ほどあるで」
「砂嵐か……。なんかわたし、だんだん行きたくなくなってきた……かも」
ここに来てネネが不安を漏らし始める。
「それもな、これからちょうど砂嵐が発生する季節になるんや。正直ヤバいかもしれへんな」
「ネネ、オレたちは仕事だから仕方ないけど、嫌なら無理に行かなくていいんだぞ? もっと安全で安心なところにいられるよう将軍閣下に頼んでみようか。今ならまだ間に合う」
「うーん……」
ネネはしばらく考えるそぶりを見せた。
わずかに沈黙したあと、ネネはかぶりを振った。
「いや……やっぱりいい。やっぱりわたし、エルンたちと行く」
「なんでだよ。ほんとに無理する必要ないんだぞ?」
「だってさー、わたし……エルンの専属秘書官だもん」
ネネはエルンを見て、ニマッと笑った。
「だってエルンったら、わたしがいないとダメダメじゃん? 戦勝式典で歩けなくなったとき、わたしが後ろから蹴飛ばさなきゃ動けなかったし? それに……」
「?」
「それに、あんたと出逢う前みたいに……わたしひとりになるほうが、砂嵐に遭うよりもっと嫌だから」




