第五章 エルン、本領発揮(2)
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エルンが羊皮紙に書いた言葉。
まずひとつめの『剣』の発音は『ソード』、その綴りは『Sword』である。
これに対し、エルンが実際に書いた文字は『Sward』。
『Sward』は『芝生』である。
「あ……」
一文字。たった一文字、母音を間違えた。
その瞬間、騎士たちが構えていた崩れかけ折れかけの長剣が、シュルシュルと音を立てて「新鮮で青々とした芝生」に変貌した。
「な、なんだこれはぁぁぁ?! 剣が……剣が目に優しい……?!」
「おお、神よ! 敵はもう、すぐそこに迫っています! そんな我々に、神はなぜ今、ガーデニングを強いるのですか?!」
騎士たちがパニックに陥る中、敵の重騎兵軍団が猛スピードで突っ込んでくる。その場に居合わせた勇猛で鳴るグリムウォールでさえ「終わった」と目を閉じた。芝生で騎馬や騎兵に勝てるわけがない。
しかし、奇跡はそこから始まった。
突撃してきた敵の騎馬たちが、自分たちの鼻先に突然現れた「最高級のオーガニック芝生」の誘惑に勝てず、猛烈な勢いで急ブレーキをかけたのだ。
「ヒヒィィィン!(うまっ、この芝生、超うまっ!)」
「なっ、何をしている?! 突撃だ! 止まるな!」
落馬する敵兵、しかし芝生をむさぼり食う騎馬。戦場は一気に「のどかな牧場」と化した。
前線司令部の天幕内。魔道六法の上、光に包まれた『歪んだ空間』がもとの光景を映す状態に戻ったとき、戦況は一変していた。
戦場が、なんと「のどかな牧場」と化していたのだ。
「え……? なに、これ……どんな状況?」
エルンを始め、天幕にいたネネ、アン、リリアの四人には、最初は何が起きたのかまったくわからなかった。
ネネがふと羊皮紙を見ると、エルンのミミズのぐにょぐにょとした這い跡のような読みにくい文字で、黒々と『Sward(芝生)』と書かれている。
「こ、これ……まさか、これが牧場化の原因……?」
驚愕するネネに対し、同じ文字を目撃したリリアのほうはといえば、なんと感極まって叫んでいる。
「……ま、まさかあなたは、敵の機動力を奪うために、あえて殺生を禁ずる武器を選ばれたというのですか?! なんという慈愛、なんという博愛……! エルン、あなたは本当に素晴らしい! これぞ『神の校正者』の真髄!」
リリアは感動に打ち震え、涙さえ浮かべている。
しかしそれだけでは、敵である重騎兵連隊の攻撃は避けられない。オーガニック芝生がいっぱいの「のどかな牧場」であっても、敵の手元には剣や槍などの武器がある。そのままでは味方は一方的にやられてしまう。
だが現実がそうならなかったのは、エルンの書いたもう一つの言葉に原因があったのだ。
エルンが羊皮紙に書いたふたつめの言葉は『鎧』。発音は『アーマー』、綴りは『Armor』である。
これに対し、エルンが実際に書いた断末魔のミミズがひっくり返って這った跡のような文字は『Amore』としか読めないものであった。
『Amore』は『愛』である。
エルンはまるでムンクの絵のように、苦悩に満ちた叫び声を漏らす。
「……オレは、つづりを間違えたわけじゃないんだ! 単に字が個性的なだけなんだ! オレは……オレは、正しく文字を書いたんだよ!」
やがて羊皮紙から白い光が溢れると「どかーん!」という爆発音が牧場じゅうに響きわたった。
この記載によって、絶対絶命のノクスたちが装備していた崩れかけの鎧は、突如として眩いピンク色の光を放つと、ハートマークの装飾が散りばめられた「愛の鎧」へと塗り変わった。
「か、神様ぁっ?! なぜこの決死の瞬間に、我々をこのようなラブリー&キュートな格好にさせるのですか?! は、恥ずかしいんですけどっ!」
ヒゲヅラの味方の騎士たちが、今度はラブリー&キュートのためにパニックに陥る。そこに、騎馬をあきらめた敵の騎士たちが「死ねぇ!」と叫びながら剣をふりかざし、徒歩でノクスたちに突っ込んできた!
本来ならノクスたちは一瞬で細切れになるはずだったが、新たな奇跡はそこから始まる。
「ノクスッ、避けろ!」
敵騎士からノクスが斬撃を受けるのを見たグリムウォールが思わず叫ぶ。
「うぉっ! くそっ、避けられん!……ダメだ!」
敵の斬撃は鋭く、ノクスは避けきれなかった。
その時、ノクスの胸元で『Amore』の文字と巨大なハートマークがピンク色に光り輝く。
ポンッ!
鋼鉄が肉を断つ音ではない。それは、シャンパンの栓が抜けるような、乾杯のときに軽くグラスが接触したような、あまりに陽気な音だった。
「……は?」
敵騎士が目を見開く。彼の剣は、ノクスの「愛の鎧」に触れた瞬間、グニャリと曲がって一輪の深紅のバラに変わっていた。
『Amore(愛)』の設定は、「敵への攻撃」を「相手への情熱的なアプローチ」へと強制変換していたのだ。
「……貴公、美しい良い目をしているな。なぜにそんなに優しい瞳をしている? なんと愛おしい……」
「……なっ? なんだ? よ、寄るな、気持ち悪いぞ、なんで擦りよってくるんだ! やめろー!!!」
そこここで阿鼻叫喚の光景が展開されている。
敵軍の精鋭たちは次々と武器を捨て、我が軍の騎士たちと無理矢理、手を取り合おうとする。
熱烈なハグをする者、兜の顔の前の面頬を開けてキスしようとする者、中には戦場の中央で指と指を絡め合って「愛のダンス」を踊り始める敵もいる。
「う、うぇ〜……や、やめてぇ……う、あんっ♡」
禁断の愛が、のどかな牧場に花開く。
バルガス将軍がようやくその場に駆けつけたとき、戦場は敵味方が入り乱れ、組んずほぐれつしているというカオスな状態になっていた。
「こ、これは……なんだ、何が起こっているのか?」
「わかりませぬ。ただこれは……こんなことができるのは……我が騎士団では唯一無二、おそらくただひとりだけでございましょうな」
バルガス将軍の隣でヴァイスハイト卿が呟く。
「まさか!……まさか、またエルン殿が、我が騎士団をお救いくださったのか?!」
その頃エルンは、前線司令部の天幕の中でひざを抱え、ひとり落ち込んでいた。
「『剣』の綴り、『Sward』じゃないのかよ……あとオレ、ちゃんと『Armor』って書いたつもりなのに……ぐすっ……」
その正面にリリアが立つ。
思わずエルンはその姿を見上げる。なぜか彼女は悔しげな表情をしている。
「なぜ……なぜあなたは真意を隠そうとするのエルン! やはり……私が監察官だから? 今さら誤字を装うのは、もうおやめなさい!」
「え、えーと……何言ってるのか、よくわかんないんだけど……」
エルンは戸惑いの声を上げる。
「今日のあなたのなさった戦争のやり方の恐ろしさに、私は言葉を失ったわ。あなたは既存の『戦争(War)』という定義そのものを文法的・概念的に破壊した。そんな戦い方は……あなたにしか出来ない!」
「えっ、えーっ?」
「鉄を愛(Amore)に、死地を慈しみの緑(Sward)に書き換える……。これはもはや戦術ではありません。これは、世界という名の不完全な物語に対する、あなたなりの『全面改稿』なのでしょう?!」
「あ、あの……」
「認めざるを得ません。秩序と論理こそが正義だと信じていた私は、あなたの描くピンク色の混沌の前に、今、無価値な紙屑と化しました。……エルン、どうか私という存在も、あなたのその自由なペン先で、めちゃくちゃに……その、書き換えてくださいませんか……?」
恥ずかしそうに目を伏せたリリアは、震えるエルンの手を両手で包み込み、顔を至近距離まで近づけて、熱い吐息を漏らしながらそう言った。
「ひ、ひぃぃぃ……な、なんでそうなる? オレは誤字しただけなのにぃ……あ、オレ、もう、ダメかも……」
エルンは悲鳴にならない悲鳴を絞り出して、その場で気絶した。




