大司祭
「なんて豊かな土地だろう」
リジェ大国の小さな村。俺は緑あふれる田園風景を見回す。そこかしこに小花が咲き畑には立派な作物が実っているのが分かる。
少し離れた場所で、俺に気づいた村の女の子達がきゃあきゃあと可愛い声を上げている。俺はにこりと彼女たちに笑いかけた。
より一層大きな声をあげ喜ぶ女の子たちがとても可愛らしい。
「休憩は終わりです。さぁ、もう行きますよ。大司祭様」
「はいはい」
俺はお付きの男に促され再び馬車に乗り込む。
(報告通りだ。これも純度の高い魔力の雨が降り注いだ結果だ)
「雨乞い師、か」
▽
厳しい冬が終わり、季節は春となる。まだ朝晩はひんやりとし、冷気が肌に冷たい。ヘリオス国よりもリジェ大国の方が全体的に気温が低く朝起きるのも辛い。そう、布団から起き上がれないのは私がヘリオス国出身だからだ。決して眠気に負けているわけではない。
そんな言い訳を脳内でしていると、寝室の扉が勢いよく開き、黒いお仕着せを着た女性がカーテンを勢いよく開けた。
「ドロシー様。本日は大司祭様がいらっしゃいますよ。いつもより時間を掛けてお支度致しませんと」
そうだった。私は飛び起き女性に挨拶をする。
「おはよう。バルバラ」
私がバルバラと呼んだこの美しいグレイヘアの女性は私の新しい侍女である。60過ぎとは思えない美貌と伯爵夫人という確かな家柄、そして完璧な仕事。アレクシス陛下の人材選びは本当にすごいと思う。
「さぁ、早速準備をいたしますからこちらにお座り下さいませ」
「はぁい」
私はバルバラがいる鏡台へと向かう。
「全く。もうすぐ国母となられる方がこの様に甘えてばかりでどうします」
「甘えているのは陛下とバルバラにだけです」
バルバラは「まったく……」と仕方無さそうに、でもどこか嬉しそうに呟いて、鏡台の椅子に座った私の髪を梳かす。
陛下と私の結婚式はもう目前に迫っていた。その為、司式をしてくださる神殿の司祭様をお呼びしていたのだ。
リジェでは……というよりこの大陸のほとんどでは冠婚葬祭から王の戴冠式、はたまた魔法術式の管理まで彼らが取り仕切っている。神殿とはそれほど大きく巨大な力を持つ組織だ。そして、式を行うためお願いしていた司祭様なのだが何故か神殿の意向とやらで大司祭様が来て下さることになった。大司祭様といえば、神殿の中でも5人しかいない大変有難いお方である。そんな方が結婚式にわざわざお越し下さるとの報せが来た時は城内が上を下へと大騒ぎとなった。
そんな方をこれからお迎えするのだから、こちらは目一杯の歓迎の意思を表さなければならない。大体の支度を終えた所で、私のお腹が鳴った。
「バルバラ、お腹が空いたわ」
「フルーツで宜しいですか?」
「紅茶もね」
「承知しております」
バルバラは、ふっと笑って扉の向こうに姿を消した。母が生きていればこんな感じなのだろうかと、つい彼女には甘えてしまう。
(駄目駄目、これから大司祭様にお会いするのだから気を引き締めないと)
私は両頰を軽く叩き、気合いを入れる。
「絶対に失礼の無いようにしないと」
準備が整った私は護衛騎士と共に陛下の待つ謁見室に行く。婚約者のアレクシスはいつもと違い緊張した面持ちをしているように見えた。私の育ったヘリオス国には宗教がなかった為か、ただ単純に偉い人が来るといった認識でしかないのだが、やはり、大司祭ともなるとアレクシスでも緊張するらしい。
私達は王座には座らず、立って到着を待つ。すると「猊下御入室」と騎士の声が聞こえた直後に、一人の男がドアをバーンと開けて入ってきた。
「やあやあ、久しぶりだね。アレクシス。遂に君まで結婚なんて感慨深いよ」
にこにこと純白の服を纏った男がこちらに近寄ってきた。年の頃はアレクシスより少し上だろうか。金のキラキラした髪に、色気のある流し目。彼の後ろには黒いマントを羽織った司祭達が10人程控えている。一目で白い服を着たこの男が階級の高い人間なのだと誰もがわかるだろう。
「大司祭。この度は私どもの式にご足労頂き感謝します」
アレクシスが無愛想ながらも、軽く頭を下げ挨拶を述べると、大司祭様はギュッとアレクシスを抱きしめた。リジェ大国において、ハグの挨拶というのはかなり仲の良い間柄といえよう。神殿とアレクシスは良い関係を築いている様だ。
「わざわざ君の為に駆けつけたんだよ。そんな他人行儀はよして欲しいなぁ。俺と君の仲じゃないか。ここには堅苦しい大臣達もいないしいつも通りに話してよ」
アレクシスが軽く抱きしめ返すと、大司祭様は満足したように王から離れた。
「式だって俺の知らないところであげようとしてしまうし。俺がたまたま気付いたから良かったものの……。ちゃんと手紙を書いて欲しかったよ」
大司祭様はアレクの仏頂面を物ともせず不貞腐れた顔でぺらぺらと話している。
(あぁ、アレクが気が張っていた訳がわかったわ)
撥ね付けることが出来ない立場の人と気が合わないというのは大変だ。アレクシスから、なるべく関わり合いになりたくないと、心の声が漏れ聞こえてくるようだ。勿論、誰かに悟られないように振舞っているけれど。
「あぁ、おめでたい式の前にこんなことを言っていても始まらないね。君の婚約者を紹介してくれるかなぁ?」
言いたいことを全部吐き出し終わったのだろう、大司祭様はにこりと私の方を見た。その笑顔にぞくりと背筋が凍る。誰が見ても、素敵な笑顔だ。それなのに、私はどうしてこんなに胸がひりひりとするのだろうか。
「失礼した。ヘリオスの姫、ドロシー・ヘリオス王女だ。大司祭もヘリオスの雨乞い師は知っているだろう?」
ジークやシモン、アレクさえも大司祭様に警戒の色を示さない。私だけが異常なのだろうか。
「当然だよ。よろしくね、雨乞い師」
握手のため差し出された大司祭様の手が、得体のしれないものに見えてくる。それでも、彼に失礼を働く訳にはいかない。私はこの感情を悟られぬ様、笑顔で彼の手を握った。
すると、何か冷たく恐ろしいものが体を一瞬で巡った。何ともいえぬ感情に心が乱される。冷たく心細く不安を掻き立てられるようなその感覚に涙が勝手にほろほろと流れた。
(これが大司祭様の力……?)
ふと、大司祭さまを見れば彼も同じ様に涙を流していた。
「何故……?」
貴方も?
目があった瞬間大司祭様は、ハッと目を開き、握った手を振り払った。
「ドロシー様!?」
護衛であるシモンの慌てた声が聞こえる。
この場に居るもの全員が私達の突然の涙に虚を突かれていた。
大司祭様は長い袖で一瞬自身の顔を隠した後、和かな顔を現す。
「今、主神エルシャ様から天啓が下りました」
大司祭様は私に向かい、こう告げた。
「エルシャ様がお会いになるそうです。ドロシー・ヘリオス王女は私と一緒に大神殿までお越しください」




