聖地へと
この人は一体何を言っているのだろうか。私の目は何度もぱちぱちと瞬きをしてしまう。神殿についての知識は、マナーや国の歴史と同じように重要だと教えられていた。私はリジェにきてからバルバラに教わった神殿に関しての知識を呼び起こす。確か大神殿といえば聖地であるナディアにあるとされていたはずだ。道のりは馬車で2週間ほど。
(駄目だ、遠すぎて目眩がする)
それでも相手は神である。私如きがこの天啓を断ることは出来ない。
「エルシャ神様が……?光栄ですわ。では式が終わった後すぐに」
「何を言っているの? これから直ぐに出発するよ。移動で2週間もエルシャ神をお待たせするというのに」
「何を……、言って……」
「アレクシス。彼女に直ぐ旅支度をさせて」
アレクシスは苦虫を潰した様な顔を大司祭様に向ける。
「アレクシス。神が彼女をお呼びだ。式ならいつでもやれるだろう?」
もう招待客の日程合わせや食材の準備、城下町や場内の装飾だって終わっている。単純に延期、といっても沢山のお金がかかり、準備もまたし直さなければならない。
「陛下」
私の呼びかけにアレクシスは眉間のシワを深めた後舌打ちをし「用意させよう」と感情を押し殺した声で言った。
行きたくありません、と声を上げるのは簡単だが、私の意思が反映される事は無いだろう。神殿が結婚の誓いを執り行わなければ、婚姻が成立しないのだから。神殿が式を行わなければ、神に祝福を受けぬ結婚を行なったとして、批判を浴びるだけでは済まない。大司祭様が今はやらないといえば、やらないのである。
「なるべく手短に頼むよ。はぁ、ここにやっと着いたと思ったらまた馬車に乗ってとんぼ返りなんて、ついてないなぁ」
大司祭様はわざとらしく溜息を吐く。
溜息を吐きたいのは私の方だ。まさか、神様に結婚を邪魔されるなんて。
バルバラが超特急で詰めたであろう荷物を護衛騎士のジークが受け取り、次々と荷馬車に乗せてゆく。淑女には必要最低限のものです。と言うが大量にある荷鞄は一つ一つが重たく、よくもまぁこんな短時間でこんなに用意出来たものだと感心してしまう。
「ありがとう、ジーク。重たいでしょう?」
「いいえ。力仕事ならお任せ下さい」
「貴方達の荷物は積まなくていいの?」
「うん」
私の問いに答えたのは、ジークではなくいつのまにか背後にいた大司祭様だった。
「エルシャ様が呼んでいるのは雨乞い師だけだからね。オマケは要らないよ。護衛ならこちらにも手練れはいるし」
ジークは驚きに目を見開く。
「は……? えっ? し、しかし、大司祭様。私達はドロシー様の専属騎士で……」
「リジェでの話をされても困るんだよなぁ。護衛騎士は要らないし、俺がそれを君に納得してもらう必要もない」
あまりの言い様に、ジークが呆気に取られていると同じく荷物を運んでいたシモンが慌てて駆けつけ頭を下げた。
「この者が失礼しました。大司祭様」
「うん。ちゃんと躾くらいしておいてね」
ひらひらと手を振って大司祭様が黒い司祭服を着た人たちの方に去っていくと、シモンはジークの頭に思いっきりチョップを放った。
「いっっっっった。シモン様、何するんですか」
「お前死にたいのか?大司祭様に口答えするなんて。いつも笑顔でおられるから、気が緩むのかもしれないが陛下に口答えするようなものだ。今はお目溢し下さったから良かったものの……」
「それでも一国の姫に護衛も付けさせないなんて。いくらなんでも横暴すぎるでしょう」
「納得いかないが、大司祭様がお決めになったのなら仕方有りません」
シモン達の悔しそうな顔を見て、私ははたと気付かされた。
(そうよ。私がこんな沈んだ顔をしていてはシモン達は安心して見送ることさえ出来ないわ)
「シモン、ジーク。私は大丈夫よ。式の準備はこれからまた頑張ればいいし、神殿の大司祭様もおられます。私なら大丈夫」
「ドロシー様……」
言葉とは反対に私から漂う不安の気配を察知したシモンがさっきより心配そうに私を見る。安全は安全なのだろうが、突如聖地に一人行けと言われて狼狽しない人間は少ない。だけど、本当は誰かに付いてきてほしいなどと子供染みた我儘を喚き立てるほど、私の立場が安いものでもない。
嘘でも、自分を鼓舞しなければ甘えた自分が出てきそうだ。
「えっと、往復一月くらいかしら? 道中でヘリオス国への雨乞いをしたいから、舞の用意だけは忘れないようにしないとね。帰ってきたら温かいお風呂に入りたいわ。絶対クタクタだもの」
努めて明るく振る舞うけれど、シモン達の顔は一向に晴れない。むしろ言葉を重ねれば重ねるほど、騎士達の不安は増しているようだった。比例するように私の心にも不安が募る。
(あぁ、なんて言えば……!)
すると、いつのまにか側に来ていたアレクシスの大きな手が私の頭にポンと乗った。
「心配しなくていい」
「え?」
アレクシスは少し離れた大司祭様に聞こえるように声を張り上げた。
「大司祭。ヘリオスから預かっている婚約者を一人にする訳にはいかない。まだ彼女の籍はヘリオス国にある。彼の国は神殿とは関わりのない国故、彼女の聖地行きには良い顔をしないだろう」
大司祭様は面白そうにアレクシスの言葉に耳を傾ける。
「そうだね。極論、君が結婚を取りやめるとでも言えば、ヘリオス国の王女を我が神殿へ連れて行くのはかなり難しくなるだろうね」
いくら神の招致が有ったからといって神殿と関わりのない国の王族に無理強いするのは国際問題であり神殿の沽券に関わる。
「君は結婚を取りやめるとは言わないだろう?」
「まさか。しかし、ヘリオス国を安心させてやる材料は必要だろう」
「アレクシス。騎士の同行は許可できないよ。そもそも君も知っての通り聖地は他国の武装を許可していない。リジェは神殿を信用してくれるだろう?」
「ああ。こちらは、ドロシーに侍女を2人ばかりつけさせれればそれで良い」
大司祭様は呆れたように息を吐いた。
「わかったわかった。それで君がヘリオス国を『安心』させてくれるなら、そのくらいの条件を飲もう。言っておくけれど、君の頼みだから聞くんだからね」
アレクシスはバルバラに目配せをし、頷いた彼女はその場を離れた。恐らくはバルバラが付いて来てくれるのだろう。そう思うと少しホッとする。
出発準備が整い、私は大司祭様の乗っている馬車へと促される。今頃だったら、式の段取りを打ち合わせしているはずだったのに、と気落ちせずにはいられない。神さまだかなんだか知らないが、何故今私をお呼びになったのだろう。
恨めしい気持ちで馬車に乗り込もうとしたその時、アレクシスに呼び止められた。
「ドロシー」
「どうしました、陛下?」
(あぁ、アレクとも一月程会えないのね)
そんな事をぼんやり思った瞬間、私はアレクシスに抱きしめられた。
(えっ、なになに!?)
アレクシスは人前では決してこんな風に私に触れることは無かった。いくら少し会えなくなるからと言って大胆すぎではないだろうか。
「ア、アレクシス様!?」
人の目が気になる。アレクシスの近衛騎士の一人とバッチリ目が合ってしまい気まずいことこの上ない。
「ドロシー、返事はしなくていい。よく聞け」
アレクシスは私の耳元に囁いた。その声に甘さなど一切ない。
「万が一、異変を感じたらすぐに逃げろ。私が責任を持つ。大司祭は信用するな」
アレクシスは私を放す。私は何事も無かったかのように、笑顔で手を振って馬車に乗った。そして、大司祭様の向かいに座る。目の前の男は頬杖を付きながら「もういいの?」とからかいを帯びた声色で私に問いかけた。
「また直ぐに会えますから」
「そう」
バタンと馬車の扉が閉められ、どきりとする。これで、私は暫く神殿に身を預けなければならない。
(私はアレクのパートナーになるのだもの。こんなことで怖気付いてたまるものですか)
「道中よろしくお願いします。大司祭様」
「こちらこそ、よろしく。雨乞い師」
こうして、聖地への旅が幕開けとなった。




