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裏切りの色は・4

 暗い中で、お兄ちゃんのことを考えていた。

 最近のお兄ちゃんは、ちょっと冷たかった。せっかく、たくさん覚えて、たくさんお兄ちゃんに教えて、ようやく――できるって決まったのに。

 何か、怒らせるようなことをしちゃったんだろうか。もしかしたら、私がこの間、あげた耳飾りが気に入らなかったとか?

 でも、結局、耳にしてくれているから、違うんじゃないかな。


「まだかな……、お母さん」


 ここで待っていてと言われてから、どれくらい時間が経ったんだろう。ちょっとお腹が空いてきた。

 ――の『ギシキ』が終わったら、ごちそうだから、そう言われたから、朝ごはんも控えめにしてた。

 考え始めたら、ものすごく、お腹が空いてきた。もしかしたら、お母さん、私のことを忘れてお祭で遊んでいるんじゃないか、そんな気がしてきた。


「ちょっと、外に行ってみようかな」


 様子を見るだけ、見るだけ、そう思って立ち上がったら、さっき来た、よく知らない男の人のことを思い出した。もう、誰の声も聞こえないけれど、たぶん、道の途中で転がっているんだろう。

 罠は、神さまの言葉を使っていれば、かかることがない。

 私は、壁に刻まれていた文字を思い出した。たぶん、それが罠を解除するためのことば。……たぶん。


「だって、お腹すいちゃったもん」


 言い訳じゃないけど、さっきから、お腹がくうくう鳴り始めていた。


『トゲは生えることはない。トゲが貫くのは、誰もいない、空気だけ』


 声に出してみると、他のどこでもない、頭の中でカチリ、と音がした。

 ごくり、と唾を飲んで、そろそろと右足を踏み出す。……何も起こらない。

 少し勇気を出して、今度は左足を踏み出す。……何も起きない。

 両足を交互に出しているうちに、いつしか早足になった。


「ひゃうっ!」


 柔らかいものを踏みつけて、つい悲鳴をあげた。罠にかかった男の人を思い出して、恐くなって早足で先へ急いだ。途中、二、三回、同じように踏みつけたけど、とにかく走った。

 暗闇の中、どん、と突き当たりに衝突した。右も左も分からなくなって、恐くなって、そのまま動けなくなった。

 いい? 神殿に入ったらね、右の壁を見るの。そこには明かりを灯すための合言葉が書かれているから、それを声に出して言うのよ?

 そうだ、確か、ここへ入ったときに、お母さんも何か言っていた。あれは、確か―――


『光を、もっと光を』


 また、頭の中でカチリ、と音がした。それと同時に、自分の周囲の壁だけがぼんやりと光る。

 視界の端に映った、知らない人の真っ赤な青白い身体から目を逸らし、私はどっちに歩いていけば外に出られるんだろう、と迷った。


「あれ、これは?」


 床に、何かを引きずったような赤い筋があった。それが人の血だとわかって、耳の後ろに寒いものが駆け上ってきたけど、きっと、この先が外に通じているんだろう、そう思った。

 歩き始めると、壁の光は自分についてきた。おもしろい、そう思った。

 赤い筋を踏まないように気をつけて歩いていたら、すぐに外へ出られた。

 外は、ちょうど朝日が顔を出したところだった。

 少し、肌寒い中を、とことこと歩く。村に帰ろう、そう思った。だって、お腹も空いてるし。


「なんだぁ? 死に損ないか?」


 いきなり、ぬぅっと出て来た男の人達が、外の言葉で声をかけてきた。全部は聞き取れなかったけど、「死ぬ」っていう単語が入ってた気がする。


「こんなチビじゃ、売ってもたかが知れてるな、どうする?」


 一人が別の男の人に声をかけた。私は何か、恐くなった。どうして、神殿の方まで外の人達が来てるんだろう。いつもなら、絶対に来させないのに。

 そっか、この人達はこっそり来たんだ。だったら、村に急いで知らせに行かないと。

 そう考えて、私は走り出した。


「あ、逃げた」

「どうせ、逃げてものたれ死ぬだけなのにな」


 げらげらと笑う男の人達の声を背中に、一心不乱に村へ急ぐ。

 もうすぐ、もうすぐだ。あの木の向こうに村が――――



从从从从从从从从从从从从从



「だめだ、行くなっ!」


 自分の声に目を覚ました。

 首の後ろ、胸元、握りしめた手のひらに、冷たい汗が吹き出す。

 夢だと気付いてほっとした。いや、夢なんかじゃない、過去の記憶の焼き直しだ。

 そう、またあの悪夢に呼ばれた。

 記憶が色褪せることを許さぬように、色褪せる記憶に新たな色を乗せるように、繰り返し演じる、あの日の出来事。

 彼はゆっくりと身体を起こした。ジャリ、という耳慣れない音がする。右足首につけられた鎖が鳴った音だ。


「……なん、て」


 眠る前のことを思い出して、ヴァンのはらわたが沸き立った。

 ジュリオだけじゃない、ナットにまで裏切られた。

 あのあと、ここへ繋がれ、兄と離れ離れにされた。

 首にかけられた葉っぱのアクセサリーをぎゅっと握りしめる。イヤな夢を思い出した。

 ファン・ル・ファンが滅んだ直後、ハイエナのようにやってきた山賊。彼らから逃げた自分が見たのは、まだ、ところどころ煙を立てているかつての村。呆然としているところに、笑いながら追いかけてきた山賊に背中からバッサリと斬られ、……そこに、養い親が現れなければ、たぶん、そのまま死んでいたのだろう。


「じーさん……」


 養い親は、村のただならぬ様子に、ふもとの町から駆けつけた。そのときには、全てが終わった後だったが。


「兄ちゃんは、あの日、何があったか知ってるのかな」


 お父さんと一緒にいたはず、でも、お父さんの……死体の近くには、その姿はなかった。逃げのびたとしたら、あの時のことを、知っているのかもしれない。それに、神さまがここにいる、というのも気になる。あのとき、突然姿を隠した神さまは、どうして―――、自分たちを見捨てたんだろう。


「真実、に、近付いたのかもしれない」


 だが、もう一歩踏み込めるかどうか。

 じっと考え込んだヴァンの耳に、丁寧なノックの音が響いた。



从从从从从从从从从从从从从



 迎えに来たジュリオに、無理矢理に引きずられた先には、知らない男がいた。

 やや白髪混じりの栗色の髪からすると、四十過ぎだろう。きちんと整えられ、カールしたヒゲが、その神経質さを表しているようだった。

 正直に言えば、そんなことに気付いたのは、その男を見てから、しばらく経ってからだった。

 誰しも、初めて彼を見たときは、思わず目を逸らしたくなるだろう。白くもっちりした肌、ででん、とせり出した腹、背も低ければ、手足も短い。何より、顔のパーツが、すごいことになっていた。目は小さく、眼光は鋭かった。鼻は大きい鷲鼻。唇はぶ厚く、てらてらと光っている。ブサイクと言うには、それ以外のブサイクが可哀想なくらいだった。

 その男の顔を見ること一秒、考えること五秒。ヴァンは彼に『デブサイク』というあだ名をつけた。デブ+ブサイク、である。


「お前が、巫女の末裔か」


 デブサイクに声をかけられたとき、ヴァンは必死で笑いを堪えた。すごくカン高い声なのである。元々、男にしては声が高いと言われるヴァンをぶち抜いて、むしろ、ひっくり返ってしまったような声。


「ふん。マルコと同じような目をしよるな。……お前は、これから遺跡へ行き、本物の巫女になってくればいい」


 デブサイクは一方的に言い放つと、視線をヴァンから後ろのジュリオに移した。


「お前は、これと一緒に遺跡へ行け。忍び込むルートは調査してきただろうな」

「はい、もちろんです。旦那様」


 ジュリオは小さく頭を下げた。


「やむをえん場合は、見張りを全て殺せ。ちゃんともみ消してやる」


 デブサイクの口から出たその言葉に、ヴァンはギッと彼を睨んだ。


「何言ってんのか分かってんのか! だいたいお前は、どこのど……」


 どこのどいつだ、と言いかけて、ヴァンの脳裏にとある噂がよぎった。

 ファン・ル・ファンを含めたこの近辺一帯を治める領主は、自分の顔を嫌って、つねに仮面をかぶるようになったとかなんとか。顔を馬鹿にした子供を斬って捨てたとか。密かに顔を変える方法を探させているとか。陰で囁かれているあだ名は「目隠しデルモーグ」。その由来には、自分の目をつぶらなければ話もできないという説と、顔を仮面で覆っているからという説がある。


「まさか、お前が、あの領主なのか?」


 デブサイク改めデルモーグは「ふん」と鼻をならして、くるりとカールしたヒゲを指でつまんだ。指が離れた途端、みょんっとカールする。


「ジェーン、お手柄だったな」


 ようやく向けられた言葉に、彼の後ろに控えていたマダムが、ぱぁっと顔を輝かせた。うっとりと彼を見つめるマダムに、ヴァンは内心「まじかよ」と呟いた。


「さて、こんなものだな。ジュリオは準備ができ次第、すぐ出発しろ」

「は―――」

「待て! ぶろと……マルコはどうしたんだ」


 ジュリオの返事を遮って、ヴァンは目の前のデルモーグに噛みついた。


「お前には関係ないな」

「オレが本物の巫女になったら、もう用はないんだろ。そしたら解放してくれ!」


 ヴァンの言葉に、驚いた顔を見せたデルモーグは、まじまじと彼を見つめた。


「ふん、その様子では、何も知らないようだな」


 いいだろう、教えてやる、とデルモーグがまた自分のヒゲをいじる。


「ファン・ル・ファンが滅びたのは、祭の夜だった。本来、神殿の中にいる巨人は、その日だけは外へ出てくる。だが、それを知ったところでどうなる。巨人の圧倒的な力の前では、人間など無力だ。違うか?」


 彼の言葉に、ヴァンは頷いた。


「だが、例外がある。それは巫女だ。巨人を従えた最初の巫女の血を引く者。その中でも特殊な修練を積んだ者だけが巫女として、巨人を従えることができる」

(なんで、そこまで知って―――?)


 喉まできた疑問を、ヴァンは飲み下した。それは、分かりきったことだった。でも、口に出してはいけない。何かが壊れてしまう。


「もちろん、今回のように巫女が全ていなくなる事態を考え、巨人が暴走しないような仕組みになっている。……巫女の修練を積んだお前なら知っているだろう」


 デルモーグの分厚い唇が、笑みを形作った。


「巫女ではなくても、巫女の血を継ぐ者が、その血を以て命令をすることが可能だ。その命令は、たった二種類に制限されてはいるが、な」

(やめろ、あいつの口を閉じさせろ)


 ヴァンの中から警報がけたたましく鳴った。


「ひとつは、次の命令までの休眠。そしてもうひとつは、全て、今まで通りに続けよという継続の命令。」

「あ……は、は――あ」


 待ち受ける真実に、呼吸も上手くできない。心臓は壊れてしまったのか、ひたすらに大きな音を立てる。


「祭の夜からこれまで、巨人に休眠の命令を出しているのは、マルコだよ」

「……」


 パリン、と何かが砕け散る、音がした。


「そうだ、ジュリオ、アレを使え。失敗は許されないぞ」


 デルモーグの声が、一気に遠くなった。


「はい、マダムからも同じことを」

「そうか、ジェーン、お前も分かってきたな」

「えぇ、あなたの為ですもの」


 自分を取り残して、話は進む。それすらも、耳から耳へ通り抜けて行った。


「万事、ぬかりなく、な」

「もちろんです、旦那様」


 そうして、ヴァンはジュリオに促されるがままに、その部屋を出た。



从从从从从从从从从从从从从



「あそこから、裏道へ入ります」


 ジュリオの言葉に視線を移せば、そこには細い山道があった。それは、獣道と行っても差し支えない、本当に人ひとりがやっと通れるぐらいの幅しかない。


「あれは、行き止まりだ」

「えぇ、途中で道を離れますから安心してください」


 淡々とした会話の後、引っ張られるがままに歩くヴァンの心はここになかった。

 発覚した数々の裏切り、合い過ぎる符丁がそれを真実だと裏付ける。そう、それは、それこそが、彼の養い親が求めていた真実だったという絶望。


「くれぐれも見張りにバレないように、下手なことはしないで下さいね。無益な殺生はできるだけ、したくありませんので」


 ジュリオの何度目かの注意に、ヴァンは頷くでもなく、ただ、足を動かしていた。

 この状況で、最後の継承を終えてしまえば、あのデブサイクの思い通りになってしまう。今のヴァンには、それを防ぐ手立ても思いつかなかった。ただ、引きずられるがままに、歩くだけ。

 ジュリオは立ち止まり、道なき道を指差した。事前に準備をしておいたのか、背の高い草が踏み倒された跡が、まだ新しい。

 音を立てないように注意しながら歩くジュリオの後ろを、両手首をロープで繋がれたヴァンが同じように歩く。

 風が茂みを絶えず動かしていたからか、幸いなことに気付かれないまま、神殿の入口付近まで来た。


「ちょうど、昼の休憩時間に間に合ったようですね」


 見張りはニコラ一人だけだった。もう一人の見張り当番は誰か分からないが、たぶん、小屋の中で昼食をとっているんだろう。ニコラも、暇を持て余して、手に持った槍の柄で、地面に落書きをしているようだ。

 二人が藪を抜けて出て来たのは、小屋よりも神殿に近い位置だったから、ニコラがこっちを向かなければ、見つかることはないだろう。


「さて、そろそろですが……」


 ジュリオの言葉が終わらないうちに、見張り小屋の向こう、集落跡の方から誰かがやって来るのが見えた。陽光に照らされた焦茶色の髪と、それを束ねるバンダナにとても見覚えがある。

 ニコラは、見たことのある顔に、緊張を解き、やってきた彼に声をかけた。


「今です」


 ロープを引っ張られ、ヴァンも遺跡へと忍び足で滑り込んだ。

 昼とは思えないぐらいの暗闇で、ジュリオがカンテラに火を入れようとするのが見える。


『光を、もっと光を』


 ファン語を呟いたヴァンの方が、少しだけ早かった。何度と見る悪夢のおかげか、ヴァンが巫女として刻み込んだ記憶が、表層に浮かび上がっているのだ。


「これは……」


 ヴァンの周囲にある壁だけが、ぼんやりと光を放ち、二人を照らし上げる。

 驚くジュリオに「先に行くんだろ」とヴァンが捨て鉢に呟いた。

 ひたひたと歩くジュリオに合わせて、ヴァンもひたひたと歩く。壁の光も、二人を追いかけるように動く。

 先を歩くジュリオが、道に迷わないかと少し期待してみたが、彼は道をちゃんと覚えているらしく、特に迷う素振りも見せない。


「ところで、ヴァンさん。あなたが巫女になる前に、言っておかなければならないことがあります」

「……なんだ?」


 ジュリオはヴァンに背中を向けたまま、自分の鞄から小さな小瓶を差し出した。


「どうあっても、このクスリを飲んでもらわなくてはなりません」


 手のひらにおさまってしまうほどの、その小瓶には、白濁した液体が入っていた。


「ふん、クスリで意志を奪おうっていうのか。拒否権ぐらいはあるのかな」


 完全にヤケになったヴァンが肩をすくめると、「もちろん、ありませんよ」と冷静な言葉が返って来た。


「ただ―――」


 ジュリオは何かを言いかけ、言葉を止めると、ヴァンを押し倒した。狭い通路の中で、倒れる先を計算していたのか、ヴァンの頭が壁ではなく床にゴチンとぶつかった。


「っ! ってぇな……」


 馬乗りの体勢になったジュリオが、ゆっくりと瓶のフタを開けるのを見て、ヴァンは慌てて自分の口を固く閉じた。


「ここまで来て抵抗ですか。完全に自暴自棄になったわけでもないようですね」


 ジュリオの手がヴァンの鼻をつまみ、呼吸する逃げ道を奪う。


(こん、の―――)


 心の中で悪態をつくものの、抵抗の終焉は見えていた。呼吸を止めるのだって限界がある。このまま死ぬまで息を止めることができたら、どんなにいいか。


(少し、だけ、なら……)


 そう思ってしまったのが間違いだった。微かに開けた口を見逃さず、問答無用で瓶の口を突っ込まれた。

 トクトクとひんやりした液体が口腔に満ちる。

 せめて、飲み下さないようにと思ったが、ジュリオはつまんだ鼻を放す気はない。再び呼吸が妨害される。


(ち、くしょ……っ!)



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