裏切りの色は・5
「ここですね」
ジュリオが指差したのは、行き止まりの壁だった。
『索引を完成させた巫女のみが、ここを通ることを許す。―――扉を開けろ』
グゼイル先生が「分からない」と言った言葉が、明かされることに少しの興奮もないのか、ジュリオはそれを一瞥しただけで「どうぞ」とヴァンを前にやった。
「あー、はいはい。やりゃぁいいんだろ」
ヴァンは、すっと目を細めてその文字を見つめた。十年前に口にするはずだった言葉を、ようやく―――
「おー・ぺんす・えす・あみ」
ファン語で扉を開けろと言った。ただ、それだけで、行き止まりの壁がゴゴゴゴゴッと開く。その向こうから漏れるまばゆい光に、紫色に輝くヴァンの瞳が閉じた。
「あんたは、そこで待っていた方がいい。巫女以外が入るとどうなるか分からないからな」
ジュリオは何も言わずに、ヴァンの手首の縄を解いた。
開いた壁の向こうは、四角い部屋があるだけだった。ヴァンが足を踏みいれると、さざなみのように光が弾けた。
床には神さまを象った紋様があり、彼は迷わずその中心に立った。
大きく深呼吸する間もなく、下から生温かい風がヴァンの頬をくすぐった。
『継承を―――』
頭の中に響くのは、低い、神さまの声。他ならぬ兄の手によって眠りについた白い巨人だったが、その作った仕掛けは今でもちゃんと動いている。
ヴァンの足から、熱いものが駆け上がって来たかと思うと、あっという間に頭のてっぺんまで駆け抜けた。
『継承は終わった。お前は既に巫女となった。さぁ、表へ出て、我が祝福を受けるがいい』
たぶん、集落が滅びることなど考えていなかったのだろう。その言葉がひどく滑稽に思えて、ヴァンの唇が思わず笑みを作った。
いつの間にか、温かい風も、動くたびに弾ける光も消えていた。
「終わった」
部屋の入口で伺うジュリオにそう言うと、ヴァンは、ずかずかと大股で部屋を出た。出るなり、ゴゴゴゴッと派手な音がして、入口が再び閉ざされた。
「何か、変わりましたか?」
「いや、少し頭の奥が重くなったように感じるだけだ。……少し、拍子抜けしたな」
ヴァンは、相変わらず自分を追って光る壁に手をついて、それをいとおしむように撫でた。
「このまま、逃げてしまおうとは、思わないのですか?」
「……さぁ、な。でも、会いたいんだ。会って、その口からちゃんと、本当のことを聞きたい」
それは、とてもつらいことだと分かっているけれど。
最後の継承を終えたヴァンの目は、紫色に輝いていた。
从从从从从从从从从从从从从
「やっぱり、もう少し見張りを多くするべきでしたかしら」
雨が降って来た窓の外を見ながら、呟いたのは四十も過ぎた頃合の婦人だった。赤の混じった金髪をきれいに結い上げ、紫の扇を口元に当てている様は、本当に貴婦人のようだった。
「ねぇ、あなた?」
窓際でくるりと振り向いた彼女の視線の先には、革張りのソファに身を沈めた中年の男がいる。薄暗い部屋の中では、不気味さを感じさせるその容姿だったが、彼女には外見など取るに足らないものらしい。
「抜け目ないジュリオのことだ。ちゃんと戻って来るだろう」
男は立ちあがると、窓辺の婦人の元へ歩み寄った。頬に手を延ばすと、触れるか触れないかのところで、婦人の身体が小さく震える。脅えではなく、この上ない喜びによって。
「もうすぐだ、ジェーン。もうすぐだ……」
男は婦人の髪を優しく撫でた。
窓の外は、強い雨が吹き付けていた。
丁度同じ頃、まだ日没にも間があるにも関わらず、豪雨のために視界を奪われたジュリオは、少し、途方に暮れていた。
悪視界のために、あっさりと遺跡から抜け出すことはできたが、これから暗くなることを考えると、山を下りるのは危険だった。
「下山するのは、ちょっと難しいな」
後ろの少年――ヴァンが雨音に負けまいと大声を出した。
「そうですね、どこかで一晩、やり過ごさないといけませんね」
(途中で雨に降られて来たフリをして、門番の小屋へ行くか―――?)
そう考えたジュリオの前に、ヴァンの身体がぐっと割り込んで来た。
「こっちに小屋がある」
「はい?」
「オレが時々泊まる場所だ。風邪ひくのも御免だしな」
ジュリオの返事も聞かず、ヴァンはびちゃびちゃと前を歩く。
ジュリオはロープを握ったまま、ついていくことに決めた。
ほどなく、狩猟小屋か何かが見えてくる。錠前がかかっていたが、小屋の隣の木のウロに手を突っ込むと、ヴァンは魔法のように鍵を取り出して見せた。
ガチャンと重い音がして、鍵が開く。慌てて入ったヴァンに引っ張られるようにしてジュリオも中に足を踏み入れた。
「ちょっとそこで待ってろ」
入口に立たされ、促されてロープを解くと、ヴァンは戸棚から乾いた布を取り出し、ジュリオに投げた。
遠慮なく髪を拭うジュリオだが、ヴァンを視界の隅に置くのを忘れない。黒髪の少年はさっきから火を起こしたり、鍋に水を入れたりと忙しく動いている。
「お前の知ってることは、全部話してもらうからな!」
視線に気付いたヴァンが、びしっと指をつきつける。
そう、時はさかのぼって、遺跡でヴァンが無理矢理薬を飲まされた後のことになる。
「ん、げほっげほっ……!」
飲み下してしまった液体を吐き出そうとするように、ヴァンが身体をくの字に曲げる。
「……安心してください。ただの水、ですから」
「なんだ、……って?」
顔を上げたヴァンに、ジュリオは目を細めた。笑ったのか、笑っていないのか、そんな微妙な表情で。
「水、だと言いました。薬ではありません」
言っていることを、頭が理解しなかった。しびれの残った頭はその言葉を反芻するだけだ。
「本物はそれこそ同じ重さの銀に匹敵する高価なものですが―――」
金、と言わないところが妙にセコい、とヴァンは頭の片隅で思う。
「残念ながら、買い付けを命じられた男が、賭博でその金をスってしまいまして」
その先、何が言いたいのか、ヴァンにはまったく予測もつかなかった。
「ですから、あなたには薬にハマったフリをしていただこうと思いまして」
「はぁ?」
表情の読めないジュリオに、ヴァンは思わず聞き返した。
その後、ひと通りの禁断症状の様子を聞かされたが、それを演技できるかどうかも分からないし、何より、ヴァンにとって、そうする意味がない。
小屋のヴァンは慣れた手つきでお茶をいれると、それを火の側で服を乾かしているジュリオに差し出した。
「あなたも、服を乾かした方がいいですよ。風邪を引くと困ると言ったのはあなたでしょう」
鍛え上げられた上半身を見せつけられ、ヴァンは少しだけイヤな顔をした。だが、ジュリオの言う通りだと自分を納得させ、上着を脱ぐと、火の側に置いた。
赤々と照らされているのは、白過ぎる包帯だ。好奇の目で見られることを覚悟していたが、ジュリオは特に何も言わなかった。包帯の下から覗く傷痕についても、別に触れない。
「知っていることを、全部話せ、と言いましたね」
「……あぁ、そうだ。でなければお前に協力する意味がない」
そこまで答えたヴァンだったが、「ちょっと違うな」と首を傾げた。
「あんたが何の算段もなしに、あんなことを言うヤツには思えない。うまく取り繕おうと思えばできたはずだ。オレやグゼイル先生を騙しきった、あんたなら」
そこで、一旦、言葉を切ったヴァンは少し考え込む。
「もしかして、最初から、あのマダムと領主を裏切るつもりだった、……とか?」
ジュリオの端正な顔が、僅かに微笑んだ気がした。
「どうやら、自暴自棄の状態から、多少は冷静になったようですね。それで、何が聞きたいんですか? ファン・ル・ファンが滅んだ原因ですか?」
ヴァンは頭を上下させた。
「たぶん、あなたの予想通りですよ。マルコという協力者を得た領主殿が、私兵でもってあの集落を襲った、という話です。異教徒を『密やかに』討伐するためにね」
容赦ない真実に、ヴァンは目を伏せた。
「そんな言い訳で、私兵には口止めしたのか。……だけど、本来の目的は『神さま』の力だろう」
「そうでしょうね。だから『巫女』を探していたんですよ」
ヴァンは手の中のカップに息を吹きかけた。目の端でジュリオを見れば、さっき渡したカップを持ってはいるものの、それを飲むつもりはないらしい。
(別に何も盛ってないけどな)
熱いお茶をずずっとすすると、身体が芯からあったまった。
十年前の真実は分かった。あとは、これから、自分が何をするかだ。
(まず、何とかして、神さまを取り戻さないと―――)
「っ!」
頭の中に直接手を突っ込まれたような感覚に、ヴァンはカップを取り落とすところだった。
そう、さっきから、……たぶん、継承を行ってから、自分の頭がおかしい。
神さまのことを考えると、頭がぐらぐらとする。全然知らない単語がぐるぐると駆け巡る。
(……っくしょう。なんなんだ、これは)
心を落ちつけようと、再びお茶をすすった。
昔は考えたこともなかったけど、継承とは、何を意味するのだろう。だいたい、遺跡の壁に彫られていた『索引を完成させた巫女』というのも、よく分からない。索引、なんて―――
「索引、ですか?」
気付けば、目の前にジュリオのサファイアの瞳があった。
「うわぁっ! な、なんだよ! いきなり近付くな!」
驚いたヴァンが取り落としたカップを、彼は難なくキャッチすると、無表情に差し出してくる。
「あー、サンキュ」
受け取ったヴァンは、ふいー、とため息をつく。
「索引がどうとか、呟いてましたけど。それは、あの壁の文字ですか」
どうやら、口に出していたらしい。ヴァンはどうにかして取り繕おうとして、諦めた。何か、この男には、自分のその場しのぎの嘘など通用しない気がして。
「……そーだよ。『索引を完成させた巫女』なんて、オレは知らねぇ」
「おかしいですね。では、あなたは何を修行していたんですか?」
至極まっとうな問いかけに、ヴァンは口を閉ざした。
「何……を?」
そうだ、あの頃は、何か取りとめのない事を、延々と覚えさせられていた気がする。全てを思い出せるわけではないが、それでも、脳味噌に刻み込むようにして、必死で覚えたんだ。
(あれは、あの内容は―――)
「……索引て、普通、本の最後にあるような、あれだよな?」
「そうでしょうね。他に索引と言われても、考えつきませんが」
ヴァンはうつむいた。
(あの時、暗記させられたものが『索引』なら、継承したのは……本そのものってことか?)
半分以上薄れている記憶と格闘しながら、ヴァンは継承されたものを読み取ろうと試行錯誤を繰り返す。『本』というイメージが効いたのか、頭の中をかき混ぜられるような感覚は、頭の中でページをめくる音に変わった。
「なるほど、な。そういうことか」
「どうやら、何か掴んだみたいですね」
ジュリオは、手の中のお茶に、ようやく口をつけた。
「あぁ、これで、神さまと話ができる。……取り戻せる」
ヴァンは目を瞑った。
自分の頭の中に、遠くに離れた神さまと心を通わせる方法がある。だけど、ここに呼ぶことはできない。神さまは今は眠っている。神さまに直接触れて、自分が巫女だということを分からせないと。
その為に、領主の邸に戻る必要がある。神さまのいる場所が分からないから、ジュリオの言うように、クスリに惑わされたフリをして、油断させなくてはならない。
そこまで考えて、ジュリオの存在を思い出した。彼は、何が目的なんだろう。と。
目の前にいる、黙々とお茶をすする金髪の男。こちらの視線に気付いたか、サファイアの瞳がまっすぐにヴァンを射抜いた。
「あんた、そういえば、……あんたは、何が目的で、領主の元にいるんだ?」
「さぁ? 突き詰めてしまえば、金の為になりますが」
あまりに変わらない表情に、ヴァンの神経がピン、と張りつめた。
「本当の、お前の主人は誰だ? それとも、お前一人の―――」
「少し、しゃべり過ぎましたね」
カップを傍らに置いたジュリオは、暖炉に晒していた上着をくるり、と裏返した。そのどうということのない仕草に、ヴァンが身体を固くするのすら、楽しむように。
「あなたの推測通り、私はある方の依頼を受けて、あの二人に仕えるようになりました。目的は、デルモーグの六年前の行動を探る為」
六年前、という単語に、ヴァンの脳裏に苦い思い出がよぎった。
「ファン・ル・ファンを滅ぼした。そこまでは簡単に調べがつきました。ですが、そこで得た物については、誰も知りませんでした」
「その、得た物については、お前の本当の雇い主に話したのか?」
「えぇ、それが仕事ですから。その報告についての答えは、『壊せるようなら壊せ』ということでした」
ヴァンの手が、無意識のうちに胸の上に置かれた。目の前のこの男は、その、整った顔で、『神殺し』を口にする……。
「それが無理なら、デルモーグから奪い取って来い、そういうことです」
ジュリオは、生渇きの髪を、軽く手で漉き払った。
「と、いうことは、敵同士ってことか? オレと、あんたは?」
「違いますね」
あっさりと否定され、ヴァンは戸惑った。同じ『神』を巡って争う間柄ではなかったか、と。
「私の仕事は、デルモーグの得た物を壊すか、持って行くことです。デルモーグからそれを奪い、あなたと共に連れ出せばいいことです。別に敵とは思っていません」
「……それは、デルモーグから神さまを取り戻すまでは、ってことか」
「取り戻した後、あなたには行く場所もないでしょう? 新天地を探しがてら、王都まで来て頂ければいいことです」
(それは、取り戻すまでは、少なくとも味方だということか)
「分かった。ただ、ひとつだけ、いいか」
「なんでしょう?」
「ぶろと……マルコも、取り戻したい」
ヴァンのその言葉に、少なからず、ジュリオが驚いた顔をした。
「なんだ、その顔は。それでも、オレの……たった一人残った、兄なんだ」
「いいえ、元々そのつもりでしたから。私が連れていくのは、あくまで『六年前に得たもの』ですから」
ジュリオは淡々と答えた。




