裏切りの色は・3
その一室に、彼は座っていた。
この邸で一番狭いものの、彼にとっては、十分広く感じるその部屋で、壁によりかかって膝を立てて目を閉じている。
部屋には小さな窓が二つあるだけだったが、それでも外の明るさから時間は計ることができた。
コンコン
丁寧なノックの音に、彼は顔を上げた。焦茶の髪が軽く揺れ、その
ハシバミ色の瞳がたったひとつだけのドアに注がれる。
「失礼します、ナサニエルさん」
入って来たのは金髪の顔の整った青年ジュリオ。そして、力なく連れて来られた黒髪の少年ヴァンの二人だった。
「……よっ」
ナサニエルが、黒髪の少年に向かって軽く手を振った。閉じ込められているにも関わらず、そこには焦燥や悲愴感はかけらも見えない。
「ナット……、お前だったのか」
予想通りの人質に、ヴァンの眉がしわを作った。
「それでは、ナサニエルさん。そこにある枷を、ヴァンさんの足首にはめてくれませんか」
床に転がったそれを顎で示すジュリオに、ナサニエルは「ざけんな」と返事をした。
「そうなると、まず、ヴァンさんを抵抗できないように殴り倒して、あなたも邪魔されないように蹴り飛ばしてから、私が枷をはめることになりますね。それでは、手間がかかります」
淡々と物騒なセリフを吐くジュリオに、「この猫かぶり野郎が」と舌打ちして、ナサニエルは枷を手にとった。じゃらり、と重々しく鳴った黒い鉄鎖の先は壁に繋がれていた。
「脅してしまったようで、すみませんね」
まったく謝罪の感情を込めずに呟いたジュリオに、ヴァンは頭突きか肘打ちでもくらわしてやろうかと考えた。だが、ヴァンの行動ひとつで、ナサニエルにも被害が及ぶかもしれないと考えると、それもできなかった。
カシャン、と音をたてて、枷がヴァンの左足にはめられた。座ったままのナサニエルの足にも、同じものがはめられている。
「それでは、どうぞごゆっくり」
ヴァンの腕を放したジュリオは、すぐに部屋を出て行った。
残ったのは、囚われの二人。
「……ナット」
「なんだ?」
「お前、どうしてここにいるんだ?」
「あぁ、俺? 山でさ、ジュリオに脅されてさ、なんか、そのまま」
「……どうして逃げなかったんだ! 別に一回こっきりの仕事仲間なんだから、見捨ててればよかっただろう!」
片耳をふさいだナサニエルは、「いやー、俺もそうしようと思ったんだけどさ」と呟いた。
「ジュリオの野郎が、いつの間にか、手勢をぞろぞろ引き連れててさ、あれ、絶対に計画立ててたんだと思うけど、ヴァンと遺跡の見張り役の命だけならともかく、自分の命まで向こうに握られてたんだよなー」
あっさりと答えた彼に、ヴァンの胸がずきりと痛んだ。結局、「見捨てるつもりだった」と言われたも同然だ。もちろん、ドリフターとしては正しい意見だと思うのだが。
「じゃぁ、なんで、アーニャの店に、仕事完了の報告に行ったときに、そのまま逃げなかったんだよ!」
「そりゃ、ジュリオも一緒に付いて来たからに決まってんだろが。……あいつは、ヤバい」
ナサニエルがそこまで言うのなら、さぞや腕が立つのか、ヴァンはぎりっと唇を噛んだ。
「あいつと一緒に歩くと、可愛い女の子の視線が全部あっちに行っちまうんだよ。ありゃヤバいどころじゃねーや」
「……あほう」
「何だとー? これは俺のアイデンティティに関わる重大な問題なんだよ。仕事から戻ったら、お前のバイト仲間のかわいこちゃんに声かけようとしてたのに、それもパアだ」
やってらんねぇよな、と笑うナサニエルに、何かを言いかけたヴァンは、ふっと口を閉ざし、
「……すまない」
「なんだ? いきなりしおらしくなっちまったな」
「結果的にオレのせいで、あんたまで巻き込むことになった」
目を伏せるヴァンを見て、ポリポリと頬を掻くナサニエル。
「えー……っと、何か悪いもんでも食わされたか?」
ヴァンは答えない。ただうつむいて、ナサニエルと目を合わせようとはしなかった。
「……泣いてるのか?」
「誰が……っ!」
顔を上げて声を荒げたヴァンの目から、ぽろり、と透明な液体がこぼれる。それがきっかけとなったのか、次から次へボロボロと涙がこぼれ始めた。
「や、これは、違く……て」
慌てて目をこするヴァンに、ナサニエルは肩をすくめて両手を広げた。
「……?」
「胸ぐらいは貸してやる。本来はかわいこちゃん専用なんだけどな」
「いらねーよ」
涙声で答えた黒髪の頭を、ナサニエルは問答無用で自分の胸に押しつけた。
「他人の優しさぐらい受け取っておけ」
ヴァンは、今度は拒絶しなかった。頭を撫でる彼の手も、今は、どうでもよかった。ただ、哀しくて、悔しくて、嬉しくて、もてあました様々な感情を全て涙にして流してしまおう、それだけだった。
「……なんか、いろいろあったみたいだな」
しばらく経った後のナサニエルの呟きに、ヴァンは素直に頷いた。そして、すがりついた胸板から自分の身体を引きはがした。
そして、さっきまで自分のいた場所を見つめる。
「すまない、服、濡らしちゃったな」
ナサニエルの深緑のベストに、いびつに黒くなった楕円を見つけた。
「ま、どってことないさ。この部屋が寒いわけでもないし」
「……死んだと思ってた人に会った」
ナサニエルは「そうか」とだけ答えた。
「村が襲われた日に、死んだ、そう思ってた」
「やっぱり、ファン・ル・ファンの出身だったんだな」
「あぁ、あのときは、地獄に来たんだと思ったよ―――」
―――ただ、屍だけが横たわる、かつて村だった場所。養い親と二人で、たかって来る鳥を追い払いながら、墓を作った。鉄錆色の大地と、どこまでも遠く青かった空。時には知った顔を、時には知らない顔を、かつて村の墓所だった場所に埋めていった。
腕が棒のようになり、涙も涸れ果てていたが、それでも手を休めることはなかった。養い親が泣いていたかどうかは知らない。ただ、ヴァンのことも放って、ただひたすらに墓を作り続けていた。
あのとき、ヴァンは彼の顔を見つけていなかった。養い親は、きっと生きている、と言ったが、顔すら判別のつかないものがある中で、それを信じることはできなかった。
「たぶん、オレと同じように、どうにかして逃げのびたんだと思う。どうして、ここにいるのかは分からないけど」
「……友人かなんかか?」
ハシバミ色の目が、ヴァンをまっすぐ見つめた。
「いや、実の兄だ。オレは、……色々あって、あの日は別々にいたんだ」
「六年前だったか? なんだ、ケンカでもしたのか?」
「違うよ。結構仲がいい兄弟だったし、そういうことはない。ただ、あの日は、特別な祭の夜だったから……」
そうだ、どうして祭の夜を狙ったように襲撃があったんだろう。
「祭の夜、ねぇ。偶然にしちゃぁ、できすぎだよな」
「じーさんも、そう言ってた。でも、内通者がいた、なんて、疑うのは……」
突然、ガチャリと扉が開き、ヴァンは言葉を止めた。
「ぶろとへる!」
駆け寄ろうとした彼を、ガシャンと足の鎖が阻んだ。
「やっぱり、エーダ、か?」
ゆっくりと近付いた黒髪の男――マルコがヴァンの頬を両手で挟んだ。
「よかった、オレ、あのとき死んでしまったかと―――」
涙目で見上げてくるヴァンの視線に、マルコが目を伏せた。
「ここから逃げろ。いいか、巨人を取り返そうなんて思うな。逃げるんだ」
「……ここに、いるの?」
呆然としたヴァンの顔に、マルコは頷く。
「これは、お前に返そう」
ポケットから取りだした葉っぱのアクセサリーを、マルコは今にも泣き出しそうなヴァンの首にかける。
「いいか、邸の外までは送ってやる。……ここから逃げろ。お前の人質になった男と一緒に」
ヴァンの後ろ、成り行きを眺めていたナサニエルに視線をやったマルコは、その口を閉じた。
「なんだ? 俺の顔に何かついてるか?」
飄々としたナサニエルの声が聞こえた。
「お前は、見覚えがある。―――そうだ、確か邸の中で……っ!」
マルコはポケットから小さな鍵を取り出すと、ひざまずいてヴァンの枷の鍵穴にねじこんだ。
「そいつもグルだ! 逃げろ、エーダ!」
驚いたヴァンが振り向くと、カチャリ、と音を立ててナサニエルの枷が外れたのが見えた。鍵もかからない、ダミーの枷だったのだ。
マルコはヴァンをドアの方へ突き飛ばすと、ナサニエルと対峙する。
「いいから早く逃げろ!」
「でも―――」
『もし、俺を助けようと思うなら、継承し、神様を呼べ。お前なら、それができる!』
ナサニエルに分からぬように、ファン語で言われたその言葉に、ヴァンは力強く頷いた。
そして逃げるヴァンの手が、ドアノブに触れるその瞬間―――
「残念ながら、そういうわけにはいきません」
抑揚のない声が響いた。
思わず立ち竦んだヴァンの目の前で、ゆっくりとドアが開く。そこにいたのは、ジュリオだった。
「マルコを尾行していたのは正解でした。これは、すぐにマダムにお知らせしないといけませんね」
ジュリオに気を取られたマルコが、ダンッとナサニエルに組み伏せられた。
「よう、なかなかいいタイミングじゃねーか」
「その様子ですと、何かいいことが聞きだせたようですね」
呆然とその会話を聞いていたヴァンの心臓が、バクンと跳ね上がった。
さっき、自分はこの『ウラギリモノ』に何を話した―――?
从从从从从从从从从从从从从
「そうなの、『実の兄』と、そう言ったのね」
マダムの声に、ナサニエルが「はい、そりゃもう」と頷いた。
「と、いうことは、あの子が巫女予備軍だというのは間違いないわね」
紫色の扇を口元に当て、彼女はくすくすと笑う。
「マルコの持っている巨人の知識は、全てあの子から教えてもらったことですもの。エーダ、とあの子を呼んだのよねぇ?」
「はぁ、確かに、お互いを『エーダ』『ぶろとへる』って呼んでましたね」
「ふふふ、『拾った』ばかりのマルコは、何回も『エーダに教えてもらった』と言っていたわ。あの頃は、疑うことも知らずにかわいいものだったのにねぇ」
扇子をテーブルに置き、代わりにティーカップを持ち上げるマダムの次の言葉を、ナサニエルはじっと待った。隣にはジュリオが何を考えてるのか分からない表情で、同じように立っている。
一口、紅茶をすすったマダムは、ゆっくりと視線を二人に向けた。
「ナサニエル、お下がりなさいな。あとで褒美を届けます」
「あー、はい。分かりました」
ナサニエルはその焦茶の頭をぺこりと下げ、部屋を出て行った。
ジュリオはそれに続かず、立ったままで見送る。
バタン、とドアが閉まって、ようやくマダムがジュリオに声をかけた。
「何か、言いたいことでもあって?」
「いいえ、今回は彼のお手柄ですから」
「あら、その『手柄』を横取りすることもできたでしょう、あなたなら?」
紫の扇子を持ち直し、口元にあてて、またくすくすと笑う。
「そうかもしれませんね。ですが、たった一つの手柄を奪いあって、その結果、マダムの好まない結果になったかもしれません」
感情を交えず呟くジュリオに、彼女は満足そうに微笑んだ。
「―――全ては、マダムと旦那様の利益のために」
その言葉に、彼女は頷く。
「賢い子ねぇ、いつものことながら。そう、全てはあの人のために……」
夢見るように虚空を見つめる彼女のエメラルドの瞳が、まるで恋する少女のように輝いた。
「旦那様は、いつ頃いらっしゃいますか?」
「明日の朝にはここへ着きます。その後、あなたには遺跡へ赴いてもらうことになるわ。見張り役の隙を突くルートは調べたのでしょう?」
「はい、もちろん」
「あと、最終的に決めるのはあの人だけれど、たぶん『アレ』を使うことになると思うわ。準備をお願い」
「かしこまりました」
それでは準備がありますので、と退室するジュリオを見送って、マダムは一人、部屋に残る。
「さぁ、あなた。早くいらして。全てを用意しておりますのよ―――」
立ちあがった彼女は、おもむろに鏡台の前に座る。
鏡に映る顔は、やや老いも見える、自分の顔。素早く化粧を落とすと、さらにそれがはっきりとした。だが、年齢に逆らうために、彼女は鏡台に乗った一つのビンから乳白色の液体を手に落とし、顔になじむように塗りはじめた。
ここで、女主人として生活を始めたのは、もう何年前になるか。
あの頃は若さも美貌も持っていた。あの人の愛人となり、邸をもらい、子供こそ産めなかったけれど、幸せだった。
王都に行ったまま戻らないことが多くなり、それが本妻の妨害ではなく純粋に飽きられたと知った時、彼女は変わった。変わらざるをえなかった。
隣に座るだけの人形ではなく、あの人の抱いた夢をかなえるために、ファン・ル・ファンの巨人の話を伝え、いろいろと自分でも動いた。それが、ようやく実を結ぶ。そうしたら、きっとあの人は自分を隣に置いてくれる。
結い上げていた髪をするり、とほどくと、赤みがかった金髪が流れるように落ちて来た。やや輝きを失ったその髪に、何度も櫛をいれつつ、彼女は鏡の向こうに呟いた。
「もうすぐ、あなたの夢がかないます―――」




