8.道
神戸――。尼崎には泳げるような海はない。
一番近い海と言えば神戸の須磨海岸、須磨海水浴場だ。毎年夏になるとJRに乗って神戸まで泳ぎに来ていた。須磨浦公園駅で降りると直ぐ目の前に海が広がっている。
皆がイメージする"普通の海"とは違って、ペットボトルや花火の残材、コンビニで買った袋等ゴミが漂う少し汚れてる群青色の"澱んだ海"という印象が強い...。
ただ、都会に近く利便性は抜群い良いので、真夏ともなると砂浜は足の踏み場が無くなる程ビーチパラソルが林立し、賑やかになる。
大人は泳ぐというより明らかに別の目的の場として集まっている傾向が否めない、が、それでも一番近い海はここしか思いつかないので毎年来ていた――。
僕は幼稚園時から中学2年生まで水泳を続けていたので泳ぎだけは得意だ。
沖の方まで泳いで行くと、"これ以上向こうは危険です"と、ロープと目印のブイが設置されている。
ゴミも無く、人も疎らな所で仰向けになりながら、ぷかぷか浮いているのが好きだ。だから神戸と言えば電車に乗って行くような、少し遠出のイメージが強い。
当然、自転車とはいえ人力で神戸まで行く事は今まで想像さえした事がない。辿り着けるイメージが全く湧かなかった...。
鉄道オタクの中西は"道"にも強いのか、迷わず僕の先を神戸へ向かってぐんぐん進んで行く。途中見慣れた新幹線の高架橋も3か所ほど倒壊していた。ここから真っすぐ1km程西へ行くと右側に見えてくるのが僕達の母校だ。
この道に来ると必ず思い出してしまう――。
(...咲...。)
ここを真っすぐ行かずに左に曲がると"咲の家"があるのだ。
過去に家の前までは何度か行ったことがある。が、中に入ったことは一度もない。
住宅街にひっそり佇んでるような特に目立つような一軒家ではない。お母さんが花好きなのか、紫陽花や葉牡丹、小手毬が所狭しと植えられている。
僕は昔から小手毬が好きだ。春先になると、風に揺られてそろそろと漂う白い花で、長く伸びた枝先をじっと見ていると、春の陽だまりでうとうとしたくなる、そんな気分になってしまう。
(...咲...。)
咲は僕達と同じ高校には進学しなかった...。
学年1、2を争う程の美人で足も速かった咲は、中学生の頃吹奏楽部でフルートを吹いていた。ピアノも上手くて文化祭ではクラスのピアノを担当した。
僕は歌が小学生の時から、いや生まれた時から音痴で担任の先生から、
「よしひろ君はあまり歌がお得意ではないみたいですから、皆んなでお歌を歌う時は、声を出さずに歌って下さいね」
ずっと言われ続けていた...。
それで文化祭では歌を歌わなくても良い指揮者に任命され、偶然にも僕はまた咲の横に立つ事ができた。
当日、彼女は何時ものおさげの髪型ではなく、長い髪をストレートに垂らして年上のお姉さんのような雰囲気を纏っていた。今でも良く覚えている...。
彼女は音楽大学の付属高校へ進学し、あれから高校時代一度も会っていない。
(...咲...。)
それがつい2、3か月前、何時ものようにバイト先のスイミングスクールからの帰り道、
「よし君...」
後ろから誰かが声をかけてきた、咲だった――。
「久しぶり、元気してた?」
何の躊躇もせず行き成り近づいて来て、何時も一緒にいるような雰囲気で軽やかに話しかけてくる。僕は頭の天辺から足のつま先まで一気に電流が走ったようにびりびりした感じで、
「よう....。久しぶり」
ぼそぼそ言ったような気がする、覚えていない...。
お互いの近況を話したと思うが、何を話したのか記憶が途切れている。
それほど僕はドキドキしていた。咲の外見は昔も美人だったが、明らかに数倍磨きが掛かっており、僕には触れてはいけないような何か高貴なモノのような錯覚に陥る。
覚えていることは、周りの通行人が僕達を見て、いや、咲を見て次々振り返るのだ。
(...綺麗だ...。)
これほどの美人は後にも先にもこの時が初めてだった。新人芸能人と言われても納得する程のオーラが咲にはあった。咲は終始笑っていた。




