18.(続)退職
・・・僕の「退職劇」はこんな小さな会社でも、いや、小さな会社だからこそだと思うが、何時もはカタカタカタ・・・と、キーボードを叩く音と、ラジオから流れる音楽しか聞こえない所長と僕だけの空間に、"ドタドタドタ!"と走ってくる音で幕が上がる――。
・・・靴音で分かる、上司の加藤さんだ....。
「さっきの話ホンマか!おまえ、会社辞めるんか?」
「なんでやねん!」
「なんか会社に不満な事でもあるんか。兎に角、慌てるな。落ち着け、もう一遍考えて直せって!」
「・・・分かった!今日の帰り、一緒に飲みに行こう、田川も誘って三人で!」
「・・・・」
上司は僕の話を聞こうともせず、思いの丈を僕にぶちまけ始めた。そこへ始業5分前に所長も出勤して来て、何時もは温厚な所長もびっくりしたように目を見開いて、
「どうしたん?何か悩んでる事でもあるの?」
と聞いてきた。
それを皮切りにあとからあとから、何時もは静かな所長と僕だけの空間に、結局田川君以外の所員全員が僕達の部屋に入って来た。僕は圧倒されそうな皆の熱気に、少し気後れしそうになりながら、
(...まさか全員来るなんて...。)
と思いつつも、もう正直に、
「僕は、やっぱり住宅建築がやりたいので」
と、簡単に説明した。いや、それしか言えなかった...。
皆の落胆するような、それなら仕方がないというような、諦め顔がありありと伺える。その中でも、僕を一番可愛がってくれていた加藤さんは諦めきれそうにない様子。
「・・・折角ここまで覚えたのに...」
加藤さんの沈痛な表情と、部屋を去り際の独り言が頭から離れない...。
加藤さんは加藤さんできっと僕を一人前に成長させ、この小さな事務所ではあるが、ずっと潰れず潰さずやっていこうという未来図を描いていたのだろう...。
何も言わなくても分かる。それが矢じりの先端のように、指にささった棘のように僕の胸にチクチク刺さって苦しくなる...。
僕は「退職届」さえ提出し、一ヶ月もすれば簡単に次の会社に行けるのだろう、その為の「形式的な儀式」みたいなものと考えていた。が、さっきまでそう考えていたが、とてもそんなものではなかった。
同じ会社で社会人として過ごす事は、家族ではないが同僚であり、古い言い方をするならば、"同じ釜の飯を食らった者どうし"となるのだろう...。
その繋がりの中に僕は今まで無自覚でいたのだ。それを初めて教えてもらった気がした。
(...あぁ・・・胸が痛くなる...。気を抜いてしまうと涙が出そう...。)
――結局、帰りに加藤さんは僕を誘ってこなかった。たまたま急な急ぎの仕事が入り、現場へ直行したらしい。遅くなりそうだからそのまま直帰になるという電話が掛かってきたとのこと...。
帰り際、所長に
「飲みに行こう」
「今日は予定がありますので」
僕は挨拶もそこそこに、定時で退社した。
・・・そのまま帰る気持ちにもなれず、何となく梅田の方へ向かって歩き出す。先週とは打って変わって木々の葉は悉く抜け落ちていた。
夕暮れ時の北風に混じって刺すような寒気もこの時間帯になると感じるようになる。もう冬が近い...。
今日僕の身に巻き起こった非日常的な現実をコツコツと歩く度に鳴る革靴の音で確認するかのように、ひたすら真っ直ぐに、真っすぐに歩いて行った。昼ご飯時に田川君も
「今夜、どっか食べに行かない?」
と誘ってきたが、僕はそれさえも
「今日は、ちょっと....」
と、断っていた。
"コツコツコツ..."
(...この音はきっと僕の未来を照らす道標だ。この音を信じて今は歩くしかない...。)
もうすぐ西の空へ沈みそうな夕日を見ながら僕は歯を食いしばり、今度はしっかりとした足取りで家路に就いた。




