11.吉兆(その1)
――僕は、まだ胸がドキドキし、額のこめかみ辺りから変な汗が垂れてきている...。
急に懐かしい旧友に声を掛けられた事。立派になり自分の未来に対して自信に溢れていた様子で熱く語っていた事。
(...彼はまだ大学4年生のはずだ。きっと「学校インターンシップ」を通して自分の天職に巡りあったのだろう。ひょっとすると教員免許も既に取得しているのかもしれない...。)
2年程前は僕も学生だった。が、もうその頃の甘酸っぱい哀愁は全く無い。
毎日毎日満員列車に揺られながら決まった入口から入って、決まった出口から出て来る。ある場所で1日の大半を過ごし、そのまま帰宅するだけの灰色の生活に首元までどっぷりと浸かっていた。
昼食時は、友人の田川君と少しの談笑でその日一日をリフレッシュ出来ても、それ以上でもそれ以下でも無く、ただただその日その日を消化しているに過ぎない。
(...まるで釣り堀で飼われた魚だな...。)
・・・四つ橋線 の梅田駅から肥後橋駅まではたったの1.3kmしかなく、電車で僅か3分の距離ではあるが、僕にはとても長い時間に思われた。
(...今日仕事が終わったら、目星い番号に電話してみよう...。)
それだけを最後に心に留め、僕は改札口から何時もの出口へ駆け上がっていた――。
・・・昼食時、何時ものマクドに田川君を誘い、僕の一大決心を話そうと思っていたが、本当にちゃんと再就職出来るのかどうかも分からない状況で、親友とはいえ繊細な話を話しても良いかどうか僕には珍しい事ではあるが逡巡していた。
そもそも此処だって卒業生を応募していた訳ではなく、偶々話の流れで面接を受け偶然内定してだけの事だ。僕が特別な学歴や資格を取得していた訳では全くない。
「無資格の未経験者」...。企業にとってはリスク以外何物でもない気がしてきた。時代を10年程先取りしたような完全週休2日、その上ほぼ残業も無し。仕事内容も難しく無く、人間関係も悪くない――。
考えれば考えるほど自分は恵まれている気がして、どうしても一歩先に進めない...。
(...こんな「ぬるま湯」に浸かっている僕が、本当に世界で活躍するような建築家になれるのか...。)
昨夜の情熱の炎は今にも消えかけている...。
(...このまま此処で4年間の実務経験を積んで、1級建築士試験を受験し、合格してから退職しても全然遅くはないのでは?...。)
悪魔が幻想となって僕の耳元にそっと囁き始める...。
「ヨシ君!ヨシ君!」
「今度・・・の映画、いかへん?」
全く聞いていなかったが、どうやら又映画の話のようだ。
「ヨシ君、今度はアニメの映画だけど一緒にいかへん?」
「えっ・・っと、アニメ?」
「そうアニメ!」
「アニメかぁ...。全く見ないなー」
僕はアニメと聞いてもピンとこなかった。少年ジャンプも学生の時卒業したし、それ以来漫画はおろかアニメなど興味が無かった。
そもそも社会人の大人がアニメを観るなんて何だか変な感じもする。時々映画も観るがそれは決まって宮崎駿スタジオジブリ作品くらいだ。
今年の夏、「もののけ姫」が公開されていたがまだ観ていない。あとは全て田川君と観に行ったハリウッド映画だけだ。
「もののけ姫は、夏に終わってるし、もうやってないと思うよ。」
「違うよ、「攻殻機動隊っていうSF映画だよ、知ってる?」
「知らない」
甲殻類なら知っている。カニとか海老とは、固い殻に守られた生物で鍋にしてもそのまま食べても美味しい。それとは全く違うのだろう...。
SF映画というのはサイエンス・フィクションというのだから近未来の話なのかも知れない。
「この映画、2年前に公開されたけど、国際版に翻訳されたものが今年公開されてて、まだやってる処があるんだけど、行ってみる?」
キラキラした瞳で僕をじっと見つめてくるその表情に抗えず、僕は次の日曜日その映画を観に行く約束をした。
話のきっかけを田川君に向けられたので、僕も「退職」の件を話そうと思って喉まで出かかったが結局言えなかった...。まだ当てにしている次の就職先にも連絡さえしていないのだ。
(...もう少し話が固まってからでも良いかな...。)
「その映画、面白いの?」
「えっと...、良く分からないけど、絵が綺麗。」
「はぁ....。」




