3.観劇
標高931mの六甲山は、初心者の登山者にはハイキングをしたり、気楽に登山が楽しめる山で、六甲山・摩耶山から望む市街地と港の夜景は、「1000万ドルの夜景」と賞賛されている。
神戸の明かりをまるで、手で掬えるような無数の星々と見立てた、ロマンチックで美しい夜景の意味であるが、元々は1953年に六甲山の電力会社の関係者が見た夜景の電気代を計算し、「100万ドルの夜景」という言葉が生まれたのが始まりである。
2000年代には電気代の総額が1000万ドルを超えるという再調査結果があり、その結果から「1000万ドルの夜景」と呼ばれるようになった事実を知ると、知らない方が良かったような、世知辛い気持ちにさせられる...。
――山の中腹に有る神戸大学までは此処から約2km、30分くらいで到着する予定ではあるが、少しずつ上り勾配になっているので、多少汗ばむ事になるだろう。
・・・暫く登ると、山々の彼方此方が赤く黄色く色付き、紅葉し始めているのが分かる。右手の斜面には深紅のツルリンドウの群生が咲き乱れ、松林から転げ落ちた松ぼっくりが、道の先々に落ちている。
日中はまだ少し日の光でぽかぽかしているがもう10月なのだ。
最初はお互い、今度来た時は神戸の中華街に行って、餃子でも食べよう等他愛もない会話をしていたが、かれこれ15分も過ぎて来ると、慣れてない山道のせいか、お互い無口になり、黙々と歩いていた...。
(...やはりバスにしとけば良かった...。)
・・・丁度商店街から30分で、僕達は戸大学六甲台第1キャンパスの正門に辿りついた――。
僕は正面玄関右側にある守衛室をちらりと見たが、特に見咎められるはずもなく、学生の雰囲気を装いつつ門を潜る。
大学の構内は六甲山の斜面地を造成して建物が配置されている為、正面玄関の少し先に、また真っすぐ石段が続いている。――シラカシや松の大樹が空高く青々とした葉を揺らしている。――右側には名も知らない大樹が赤く紅葉し、此処を訪れる人々を優しく出迎えてくれているようだ。
公演場所はいつもの学生食堂をそのまま真っすぐに突き抜けた先にあるシアターでやるらしい。
今日の観劇料は500円+カンパ制。安い。最低500円で、あとは"気持ち次第の料金"と言う意味だ。
学生が演じる事もあり破格の安さではあるが、僕は仮にも社会人という事もあり1000円支払った。田川君はなぜか800円。あとで聞いてみると小銭が丁度800円余っていたらしく、財布を軽くしたかったらしい...。
・・・中に入ると小劇場といった感じで、外からの光は暗幕で完全に遮られており、防音対策がある程度施されているのか、しんと静まり返っている...。
真っ暗な雰囲気の中、僅かなスポットライトの照明と客が入ってくる時に開く、開閉場所のみが、時折細い光を指す程度でかなり薄暗い。
僕達は当然の如く、舞台に一番近く且つ、出来るだけ真ん中の位置に座る事にした。
「観劇」は映画と違って、空気感を演者と客が一体となって創りあげていくものだ。当然観客はただ見ているだけでは無く、その場の雰囲気と一体になり心の底から楽しまなければならない。つまり、笑う処は大声で笑えば良いし、演者が台詞を忘れても、アドリブを即興で演じても、全て楽しめば良い。
劇とはそういうものだと思う。
今日の公演を成功させるかどうかは、実は客側の責任でもある。僕達は演者の汗も唾も全て飛んでくる事を百も承知でこの席に決めた。
(...さぁ、何でもかかってこい...。)
もうすぐ開演される演目に想いを馳せ、心持ち緊張しつつも、気持ちが高揚している。今日の舞台は劇団員による創作劇では無く、劇作家鴻上尚史の「天使は瞳を閉じて」という作品だ。
演劇部時代に何処かの高校生が演じているのを見た事があったと思う。内容的に難しく正直あまり覚えていない。
――それから、気の遠くなる時間が流れた。人間は変わる。でも、天使は変わらない。あなたの瞳は、まだ世界を見つめていますか?――
チラシのキャッチコピーを見ながら、何かを考えていると、開演の合図を知らせるように、BGMの音響が段々と高くになり始めた――。それと同時に薄暗
いスポットライトは徐々に弱弱しくなり、やがて完全に消え失せ深い闇に包まれる――。
瞬間!
一瞬で舞台が明るくなったかと思うと、先程まで誰も居なかった場所に、音も無く一人の人物が立っていた。
見事である...。
一秒で観客を劇に引き込む演出。演者が放つ声や演戯、絶妙にアシストするライトや音響、どれをとっても高校生とはレベルが違う。
・・・ぞぞぞぞぞっと感動で両腕に鳥肌が立つのが分かる。これが劇の魅力だ!
――どうする事も出来ない、打破できない、仕方がない現実に直面した主人公の心情や、それを傍観する事しか出来ない天使の気持ち...。
――人々は自由を求めて「見えない透明な壁」の外に出ようと何度も試みるが、実は「壁の外」は既に放射能で汚染された世界が広がっている現実...。
僕は知らず知らずの内に劇に引き込まれ、「救いのない現実」に主人公が直面するシーンでは、気が付くと目尻からツーっと一筋、涙が垂れていた。
何度かの暗転中、田川君に気づかれないよう、それをそっと拭った。




