5.それぞれの思いを胸に
その後も黙々と片付けに忙殺されていた。口を開く者は誰もいない...。
僕も弟も勉強机の周囲を中心に片付けを始めた。何かをしていないとショックに負けて何も手につかなくなってしまう。
・・・どれくらい経ったのだろう...。
気が付くと西の空が茜色に染まり、もうすぐ夜の帳が垂れ込める気配が漂っている。隣家の窓からレトルトカレーの夕餉の匂いが流れ込み、時間を忘れた僕の腹時計を動かし始める。
今は何も考えずただひたすら眼に映る飛び散った引き出しの中身を元に戻し、上から落ちてきて砕けてしまった兄弟の赤ん坊の"手形足型の額"や"模造品のピカソの絵画"、"割れた壁掛時計"をそのままゴミ袋に捨てた。
分厚い辞書を棚に並べ直し、電気スタンドもチェックした。ふと見ると箪笥の隙間に何か光っている...。
写真盾から割れて飛び出し、端の方に折り目が付いた一枚の写真が目に飛び込んで来た。
中学1年生の春、遠足の集合写真――。
皆んな笑顔で、当時好きだった咲もそこに納まっている。
(...咲は無事なのか?...。)
一瞬彼女の事が脳裏に散らつく...。
中学校時代9度も告白して振られ、3年に進級し、自分も生徒会長になり満を持して10度目の最後の告白をして、また振られた...。
それでも平常時は相変わらず気まずくはならず、中学校生活最後の日、咲の友達も一緒だったが3人で家路に着いた。理由も既に覚えていない。
――テレビは何処のチャンネルを回しても震災の特集が組まれていた。
自宅から自転車だと15分で行ける阪急伊丹駅の駅舎は完全に崩壊し、線路がねじれ、電車と駅舎には引きちぎれそうな程の段差が隆起している。
母校の中学校前を通る山陽新幹線の鉄筋コンクリートの橋脚は、折り紙のように"への字"に折れ曲がり、線路の枕木からレールだけが辛うじてむき出しになって繋がっている。
のちに「阪神淡路大震災」と呼ばれる大地震は、兵庫県南部を中心に甚大な被害と発生当時戦後最多となる死者数を引き起こす。
マグネチュード7.3(気象庁の震度階級に震度7が導入されてから初めて最大震度7を記録)
死者:6,434人
行方不明者:3名
負傷者:4万3,792名(重傷約8,800人、軽傷約35,000人)
住家被害:全壊約10万5,000棟、半壊約14万4,000棟
・・・長い長い一日が終わろうとしていた――。
その夜、僕はなかなか寝付けなかった。一つだけ、たった一つだけ気がかりな事があったのだ。
――焼け野原になってしまった神戸・・・。
そこに、高校3年生の時の担任岩本先生の自宅があった。
岩本先生は現代文と古文を担当しており、神戸大学の出身だった。先生はシングルマザーで、子育てと仕事を両立しバスケットボールを愛するスポーツウーマンだ。そして、黒縁の眼鏡が似合う美人である。
「先生、20歳の一年と40歳の一年では、一年の重みが違います。僕は浪人なんて絶対にしない!」
(...あぁ、なんて心無い事を僕は吐いてしまったんだ...。)
今さら悔やんでも仕方がない...。
先生は僕の為に母校へ推薦入試ができるように手続きまでしてくれた恩人だ。単に僕の頭が悪くて何処へも進学出来なかった、それだけの事である。
(...岩本先生...。)
(...どうか、どうかご無事で。神様お願いします!先生を、家族を守って下さい...。)
心の中で何度呟いたか分からない。昼間のテレビ中継の映像がまた頭を過る。
"長田区は空襲を受けたような火災で、立っているマンションから180度、どこを見渡しても火災がおこっています!"
その夜、僕が眠れたのは午前3時を過ぎていた...。




