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人生  作者: yoshi88
:21歳 第三章 無智と無謀の偽善者は、今日も素敵なマスクを被る 
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27.至極の一杯に何を想う

 赤い門扉を通り、赤茶けたレンガ造りの壁の向こうに、街路と同じ街路樹が、木製の硝子窓越しに透けている。


(...奥に長いのかな?...。)


 まだ中には入っていない。


 顔を横に向けると、はめ殺し硝子窓の右側に、落ち着いた雰囲気のある格子扉がある。


 ガチャリ――。


 ふわぁっと圧倒的な焙煎の香ばしい香りが一気に全身を包み込み、"この珈琲店は本物、間違いない"と僕の全身の細胞が犇々(ひしひし)と告げてくる。


 観光客でごった返す外の喧噪とは打って変わって、ひっそりとした静寂...。音楽は聞こえてこない。ここを訪れる客の会話や笑い声、珈琲を作る職人から聞こえる機械音だけがBGMのように複雑な音色を奏で出す。・・・心地良い...。


 この建築物から感じられる造り手の想いに、僕はしばし呆然と佇んでいた。


 ゆったりと広々とした空間は、50年以上続く老舗の自家焙煎の喫茶店に相応しいレトロで落ち着いた内装。室内の天井の一部はトップライトだろうか、日差しが室内に独特の印影を現し、ステンドグラスにキラキラとオレンジの光を纏わせている。和洋折衷異国情緒漂う懐かしさは、一瞬古き良き昭和の時代へタイムスリップしたような錯覚を引き起こす。


 ふと先程の街路樹に目が留まった――。


 名前は知らないが青々とした葉が、強い直射日光を遮るように、樹木の下で木陰を創り出している。"奥が中庭"になっているようだ...。


  この喫茶店の中に入ると奥がもう一度、外気とは仕切られた外の空間と繋がっている「別の空間」の存在に目を奪われる。まるで京都の長屋である。


 山々に囲まれた京都は夏が暑い事で有名であるが、京都人は昔から気が滅入るような暑さ対策として、建屋(たてや)の間に「坪庭(つぼにわ」という小さな庭を作り、坪庭で打ち水をすることで、水が蒸発する時に空気の流れを発生させ、家の中に「心地良い風の通り道」つくる"(りょう)を呼ぶための知恵"があった。


(...その名残かもしれない。・・・いや、それよりも何だこの贅沢な空間は...。)


 中庭に出ると上空には入道雲がもくもくと高くそびえ立っていた。


(...夜には雨になるかも知れない...。)


 ミンミンミーンと鳴いている蝉の声が涼し気なリズムのように感じてしまう。僕はもう此処が美観地区の真ん中にあるカフェテラスという事を忘れてしまいそうになりつつも中庭の一角に腰を落ち着けた。


(...思えば、何の為に僕は、今の仕事を続けているのだろう...。)


(...人々に安らげる空間や住まいの設計――。"あぁ、貴方に頼んで本当に良かった"と、感謝されるような達成感や幸福感...。そして知名度を上げて世界で認められる「建築家になる夢」は、一体どうなってしまったのか...。)


 芸術的な作品に対峙すると如何しても自分と向き合う事になる。


 僕は少し気持ちが沈みつつも、テーブルに置かれているメニューを手に取った。

 有名らしい「琥珀(こはく)の女王」は10月からの冬季限定メニューだが、850円は流石に高い。しかし他のメニューも同じくらいの価格帯になっている。


(...この一杯で、マクドのハンバーガー何個分かな?...。)


 と考えつつも、折角来たのだから少しは贅沢をしても罰は当たらないだろうという思いとの狭間で、日頃は30秒以内で注文するのではあるが、2分近く食い入るようにメニューと格闘していた。


 田川君ならこういう場所でいきなり、


「僕、紅茶」


 とか頼み出したりする。


 こんな滅多に訪れることが出来ない観光地、しかも本物の珈琲店で全然違うものを注文したりする...。


 しかし、この店には幸い珈琲以外のメニューは存在しないし、何よりこの場に田川君はいない...。


 僕はとても迷いつつも、結局「ウィンナーコーヒー」を注文した。


 ウィンナーコーヒーとは、オーストリアのウィーンで、馬車の御者(ぎょしゃ)が馬を休ませる間に飲む珈琲として広まったものだ。


 別に子供達の大好きな「ウィンナー」が珈琲の中に入っている訳ではない...。


 珈琲の上にホイップクリームが乗っているのが特徴で、本場オーストリアでは「アインシュペンナー」と呼ばれているらしい。


 店員さんから、"3段階の変化"を味わってもらうため混ぜずに飲むことを薦められた。


  僕は元々珈琲を「混ぜない派」なので好都合である。


 まずは、たっぷり浮かんだホイップクリームの甘さを感じ、2段階目は苦みのある珈琲の味、3段階目は底に溜まったザラメの甘さを楽しむ事ができるとのこと。


 早速運ばてきたお洒落な器に乗ったコーヒーカップの上のホイップクリームに注意しつつも、上唇でそっと一口、口を付けた...。


「ジィジィジィ・・・」


 先程とは違う蝉の声がする――。


 新聞を開きながらゆっくり寛いでいる親父――。


 赤い日傘を差しながら談笑を楽しむ婦人――。


 レンガ造りの壁を蔦の葉が覆い隠し、そよ風にさわさわ揺れている...。


 この街が持つ歴史をゆっくりと味わいながら、僕は初めての一人旅を満喫していた。

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