3.静寂
幸い父は母と一緒に隣の和室で寝ていた。
両親の和室も損傷が凄まじく、箪笥がベランダへ抜ける南側の引き違い窓に激しくぶつかり、中の衣服が辺り一面に散乱している。カーテンはびりびり裂けてぼろ雑巾のようだ。
母の鏡台は畳の上に無残にも砕け散り、足の踏み場もないくらい割れた鏡の破片が月明かりに幻想的な煌めきを放ち、不気味な静寂の中で鉛色に美しく輝いていた。
「良博...」
生粋の職人である父の、こんなにも不安げな声を僕は初めて聞いた。
母は腰が抜けたように布団の上で小さく蹲って身動きもせず、ただ震えているようにも見える。
非日常的な体験をくぐり抜けた両親は、奇跡的にもかすり傷一つなかった。
(...もしも何時ものようにリビングで父が寝ていたなら...。)
考えると背筋に冷やりと悪寒が走る。
(...大変な事が起きた...。)
(...きっと食糧は尽きるに違いない、それに水も必要だ...。)
とっさに日頃聞きかじっていた"地震の備え"を思い出し、地震のショックで動けない父と、何が起こったのか今だに把握できていない弟を尻目に、僕は転がるように家を飛び出し下まで降りていった。
途中、1階廊下の誘発目地を分断するような太い亀裂が目に留まる。
(...鉄筋コンクリート3階建てマンションの構造部分には影響がなさそうだ...。)
不承不承、入学した専門学校で建築を勉強していた知識が皮肉にも、
(...こんな場面で役立つとは...。)
空はまだ暗く、吐く息が白い――。
先程の停電で明かり一つ点いていない暗闇の中を、僕は一番近くのコンビニまで小走りで駆け抜ける。
暗くて分かりづらいが沿道の北側、2階建ての家や10階建て位のマンションもそれほど被害が発生しているようには感じられない。
ただ、通りに面した住宅の前に並べていたであろう植木鉢や、何処からか飛来してきた段ボール、崩れた外壁の一部のようなブロック塀の残骸でぐちゃぐちゃと溢れ道を塞いでおり、信号は切れていた...。
西の通りを右へ向かって、100m程真っすぐ行けばコンビニがある。
誰一人いない無人の道を僕が右へ曲がろうとした瞬間!強い閃光に目が眩む。
大通りから1台の大きな荷物を抱えた4tトラックが突然僕の目の前に道路を無視して歩道脇へはみ出して来た。
トラックは慌てて急ブレーキを踏む!・・・こんな非常事態だ。
「御免!」とも、「大丈夫?」
とも何も言わず、自分の事で精一杯な様子を漂わせつつ、ハンドルをバックに切り返し、黙々と次の動作に移っている...。
多分真っすぐ直進したいのだろう。しかし、ごみや瓦礫が散乱している道をそのまま走って良いものかどうか悩みながらも、目の前を今度は最徐行でぬるぬると通り過ぎた。
気を取り直して大通りを真っすぐ進む。
前方にコンビニが見えてきた――。
不思議な事にコンビニだけは昨日と同じように何の変哲もなく、煌々とまぶしい光を放ちながらそこにあった。「7」の文字が何時もより勇ましく輝き、僕はセブンを目指して全速力で駆け出した。
・・・停電に備えて自家発電装置が働いたらしく、自動ドアの
「リロリロリロリロリロン♪・・・リロリロリロリロリロン♪」
馴染みのある音声が店内に流れた。しかし、目の前に広がる光景はとてもコンビニと呼べるものではない...。
自立している陳列棚は皆無で、棚と棚が干渉し合い、途中で折れ曲がっている棚もある。ガラス張りの外窓の方へ売り物の書籍がめちゃくちゃに散らばり、その上に日用品の洗剤やトイレットペーパー、文房具類が足の踏み場もないくらいに倒れ込んでいた。
僕は急いで目当てのパンや飲み物を確保しようと足元に注意しながら何時もの場所に向かって驚いた。食品部分の棚と水類が納められたガラス張りのケースの中には全て空、何も無い。たった一本のお茶やジュース類さえ無いのだ...。
・・・コンビニに掛かっているはずの壁掛時計も無い...。
(...外はまだ暗い。7時にはなっていないはずだ・・・賢い奴が全部買い占めに入ったか、やられた...。)
ショックを受けながらとぼとぼと自宅までの道を引き返す。途中、走ってコンビニに向かう人達を幾人も見たが、僕は何も言わず目の前の"電気が止まった自動販売機"を恨めしく思いながら帰路に就いた。
家に帰ると家族全員で年末の大掃除以上の大掃除をしていた。
停電のせいで断水になっており、トイレ問題が心配になったが、偶々昨夜使った湯船に張った風呂の残り水があり、それで当分の間は凌げそうだ。




