09.女騎士、絶品コロッケに舌鼓を打つ
一方でルークはというと……。
ログハウスを出た後、鋭敏な聴覚で周囲の音を拾い、魔物の気配が近づけば、すぐさまそこへ向かっていた。
魔力を持たないゼロの者であり、特殊体質を抱えるルークは、超人的な怪力を有している。
一瞬で魔物の元へと駆けつけて、ざんっ! と迷いなく長剣を振り抜く。
巨大な赤熊が、一刀両断され、ドスンと重い音を立ててその場に倒れ伏した。
「…………」
(レティシアは、無意味な殺生はするなと言った。だが……)
この赤熊が向かっていた先は、間違いなくログハウスだった。レティシアの元へ真っ直ぐに進行していたのだ。その足音と殺気の音を正確に聞き取ったからこそ、ルークは密かに外へ出てきたのである。
「…………」
ルークは倒れた赤熊の前に静かに跪き、祈りを捧げていた。かつて、亡き母がそうしていたように。
奪われた魔物の命が、どうか安らかに天へ昇りますようにと。
その時だった。
「ルーク様」
「ヒュースか……」
がちゃがちゃと、重厚な鎧を着込んだ連中が、ルークの元へと近づいてきたのだ。
その先頭を歩いているのは、美しい金髪を持つ青年であった。
長い金髪を、背中で綺麗なポニーテールにまとめている。
ヒュースはルークの姿を見つけると、はぁ……と深くため息をついた。
「……勝手に先走らないでくださいと、幾度も申し上げておるではありませんか」
ヒュースの小言を無視して、ルークがスタスタと歩き出す。ヒュースは慌ててその背後をついていく。
「ルーク様。レティシア様はどうされておいでなのですか? まさか、あの過酷な野営地に、お一人で置いてこられたなどということはありませんよね?」
「…………」
「やはり……どうしてそのような無茶を……」
「五月蠅い。問題ない」
「か弱い女性をこんな危険な場所に置いていくなど、駄目に決まっているではありませんか」
「レティシアは、お前が思っているよりも遥かに強い」
ぴたっ、とヒュースがその場に足を止めた。
「レティシア……呼び捨て……ですか?」
美青年の表情が、微かに強張る。それは単なる困惑というよりも……少しばかりの、嫉妬のような仄暗い感情が入り交じっているようだった。
……ルークは、他者の魔力を『音』として捉えることができる。
(嫉妬……? こいつ、一体何に嫉妬しているのだ……?)
「……こほん。ルーク様。レティシア様とのご婚約は、不本意ではなかったのですか?」
「……うるさい」
(なんだ、今度は探るような言い回しをしやがって……。俺の胸中を聞いて、どうするというのだ)
ヒュースの心は、ひどく乱れている。隠しきれない焦りのようなものが、音として如実に見て取れた。
「も、もしかして、もう心を許されたのですか? ルーク様のお世話係として、長年おそばにお仕えしてきたこのヒュースよりも、その、す、す、好きになられたという……」
「やかましいぞ、お前は……」
ばくばく、とヒュースの心音は激しく乱れている。いつも、ヒュースはルークの側に寄ってくると、途端に心臓の音がうるさいほど高鳴りだすのだ。
(俺が風呂から上がった時なども、心臓が五月蠅いくらいに鳴っている……なんなのだ、こいつは……。男同士で、一体何をそんなに緊張することがあるというのだ……)
程なくして、ルーク達はログハウスへと到着した。
「こ、これは……!?」
ヒュースが驚愕するのも無理はなかった。こんな人気のない森の奥に、不釣り合いなほど立派で温かそうなログハウスが建っているのだから。
「レティシアが作ったのだ」
「レティシア様が、つ、作った!? 加護なしの分際で……あ、す、申し訳ございません……」
(ヒュースは、他の連中と比べて露骨な蔑視こそしないが……やはり、魔力ゼロ者をナチュラルに見下してしまう節があるな。まあ、よく知らない連中はそう思ってしまうのも無理はないだろう。あいつの本当の凄さを知らないのだからな)
ふっ……と、ルークは優しく口元を緩めて微笑んだ。その姿を見て、ヒュースから凄まじい驚愕の音が奏でられる。
「るるるる、ルーク様がわ、笑った!? そんな! ユリア様以外には、決して笑みをお見せにならなかったルーク様が!?」
ユリアとは、ルークの亡き母の名前である。
ルークはユリアの死後、誰に対しても決して笑うことはなかったのだ。
「……わ、私でさえ、ルーク坊ちゃんを笑わせることができなかったのに……なによ、その女。なんなのよ……!」
「ヒュース? なんだ、その気色悪い喋り方は」
耳の良いルークは、ヒュースが小声でぶつぶつと漏らしていたセリフを、一言一句全て拾っていた。
「ななな、なんでもございませぬ!」
「そうか……ふっ……」
「な!? ま、また笑われた……いったいどうして……?」
(レティシアの作ったものを見て他人が驚愕する様は、見ていてひどく気分がいいな。そう、あいつは凄いのだ。加護などなくとも、こうして信じられないほど凄いことをやってのけるのだから……)
「……くぅ~……おのれぇ……! ルーク坊ちゃんの笑みを引き出すなんてぇ……! いったいどんなトリックを使ったんだ、あの女ぁ……!」
(相変わらず、感情的になると気色の悪い喋り方をするな、ヒュースの奴。男のくせに、まるで女みたいな口調になりやがる)
……ルークは、全く知らないのだった。
ヒュースの、隠された真の姿を。
◇
ヒュース・ハミルトン。二十九歳。女性。
彼女は元々、ルークの母付きの護衛……近衛兵であった。
ハミルトン家は、代々エッゾ皇族に仕える由緒正しき剣士の一族。
だが、先代ハミルトンは、跡継ぎとなる男児を出産することができなかった。
そこで、ヒュースは女としてではなく、男として生きる羽目となったのである。
エッゾ皇家は、古くからの男尊女卑の気風が根強く残っている。「女に前線の力仕事は無理だ」という偏見があるため、護衛として仕えるには、どうしても性別を偽る必要があったのだ。
(くっ……! なんて可愛らしいの……この子がレティシア様……)
ヒュースは悔しそうに唇を噛みしめる。
レティシア。小柄で、愛くるしいつぶらな瞳をしている。なんと可愛いことか。
(自分のような大柄な二十九歳の女とは、比べものにならないほどの可愛らしさ……くぅう……)
ヒュースは身長が百七十センチもあり、肩幅もしっかりとしていて、がっしりとした体格をしている。
……胸は必死にさらしを巻き(その上から認識阻害の呪符まで巻いて)、完全に男に見えるように偽装しているのだ。
「おかえりなさい、ルーク」
「ただいま、レティシア」
(お、おおお帰り!? る、るるるるーく!? まるで……新婚さん……だと!?)
まあ、元々結婚するために他国からはるばる嫁いできたわけなので、新婚のやり取りなど別に驚くようなことでもなんでもなかったのだが。
(ああ、ルーク坊ちゃんが……私の可愛い可愛いルーク坊ちゃんが……ぽっと出の余所の女に取られてしまう……!)
繰り返すが、元々レティシアはルークと結婚するために嫁いできたのである。
「そちらの方は?」
「し、失礼いたしました……レティシア様」
(取り乱してはいけない……お相手は他国の貴族……それに……将来坊ちゃんの正当な奥方となるお方。しっかりと礼を尽くさねば……くぅ……)
心の中では、到底消化しきれないドロドロとした感情が渦巻いているが、それでも誇り高き騎士の仕事であると、必死に感情を押し殺す。
……もっとも、魔力ゼロ者である目の前の二人からすれば、彼女の魔力の凄まじい動きなど、手に取るように丸見え(丸聞こえ)なのだが。
「初めまして。ヒュース・ハミルトンと申します。エッゾ騎士団の副騎士団長を務めております。お二人をお迎えに参上いたしました」
迎えの馬車も、すでにログハウスの外に待機させてあるのだ。
「そうなんですねっ。初めまして、レティシアと申します。どうぞ、よろしくお願いいたしますわ!」
(ぐぬ……なんて礼儀正しいお嬢さんだ……くぅ……)
レティシアは加護なしの無能者だと聞かされていた。一体どれほど酷い女がやって来るのかと警戒していたが、存外普通……いや、普通以上にしっかりとした、礼儀正しい女性である。
(ルーク坊ちゃんに、良いお相手ができて……いや、まだ判断するのは早計だわ。本性を猫被って隠している可能性だってあるのだから!)
「ルーク。外で一体、何をなさっていたのですか?」
「……別に良いだろうが」
「よくありませんよ。気になるじゃあありませんか」
「五月蠅い」
ルークはふと、すんすんと鼻を鳴らした。
「おい……なんだか、ひどく良い匂いがするぞ」
「ああ、コロポックルさんがまたお腹をすかせてしまったみたいなので。お夜食を作ってみましたの」
(夜食……料理、ですって。一体どんな料理を……)
エッゾの主たる食料といえば、魚か小麦、そしてジャガイモだ。
この過酷な環境で作れるとすれば、そのどれかだろう。
(第一、他国の高貴な貴族が、そもそも料理なんてまともに作れるものですか。どうせ、ジャガイモを黒焦げになるまで焼いただけとか、生焼けの魚とか……。い、いけないわ……坊ちゃんを取られる悔しさから、どうしても厳しい目で見てしまう……)
それは、相手が『加護なしの無能者だから』ではない。自分にとって一番大事なルークを奪おうとしている女の、粗探しをしてしまっているのだ。
「たくさん作りましたので、ヒュースさんもよろしければいかがですか?」
「……では、いただきます」
そして、ヒュース達は温かなリビングへと通される。……手製のログハウスの、その驚くほど見事な内装よりも、ヒュースの目を引いたのは……。
「な、なんですか、これは……!?」
ヒュースは、レティシアの用意した未知の料理に驚愕した。
木の皿の上には、これまで一度も見たことのないものが置かれていたのだ。
暴力的なまでに香ばしい香りを漂わせる、きつね色の茶色い物体である。じゅうじゅう……と、微かに油の弾けるいい音を立てている。
「『コロッケ』ですわ」
「ころ……なんですか、そのコロッケとは?」
「ジャガイモを使った、とびきり美味しいお料理ですのよ!」
「な!? こ、これが……じゃ、ジャガイモ料理だというのですかっ!?」
手のひらサイズの、茶色い塊だ。茶色とはいったが、焼き立てのパンのような、見事な黄金色をしている。
「芋といえば、焼くかふかすか、あとは鍋で煮込むくらいのものですが……これは一体、どうやって作られているのですか……?」
「たっぷりの油で、揚げているのです」
「あ、油で……あ、揚げる……?」
油の存在自体は知っている。火をおこす時の燃料に使ったり、肉を焼く際に鉄板に引いたりするものだ。だが……。
「『揚げる』とは、一体どういう調理法なのでしょうか……」
「ええと……油を鍋になみなみと注いで熱し、そこに食材を直接入れるのです」
「そ、それでは真っ黒に焦げてしまうのでは!?」
「そこで、表面にパンで作った細かい粉をまぶしておくのです。そうすると衣がサクッと揚がって、中身がすっごくジューシィで美味しく仕上がるのですよ!」
……後半は、何を言っているのか、ヒュースの常識では全く理解できなかった。
完全に理解不能な食べ物が、目の前にある。だが……ルークは微塵もためらうことなく、それを手掴みで口に含んだのだ。
(ル、ルーク坊ちゃんが……そんな得体の知れないものを躊躇いなく!?)
ルークは人一倍警戒心が強い男だ。なにせ、加護なしの落伍者として、周囲からは散々酷い目に遭わされ続けてきたのだ。過去には、食事に毒を盛られて暗殺されかけたことすらある。
ゆえに、食事は基本的に誰とも共にしないし、見知らぬ人間の作ったものなど、絶対に口にはしないはずだった。
それが、だ。出会ってわずか一日ほどしか経っていない少女の作った、素性も知れないよくわからない料理を、無防備に食べている。
(い、一体どんな強力な魔法をつかったというの……?)
「……美味いな」
「!? る、ルーク様……今、なんと」
「とてつもなく美味い、と言ったのだ」
(あのルーク坊ちゃんが……他人の作った料理の感想を口にするなんて……。ユリア様がご存命であられた時以来ではないか……?)
しかも、本当に心の底から美味しそうに、微かな微笑みすら浮かべながら、その『コロッケ』とやらを食べているではないか。
(ずるいわ……私が、どれほど真心を込めてお世話をし、何度試しても、決して笑ってくださらなかったのに……。こんなにあっさりと、簡単に笑顔を引き出してしまうなんて……)
「ヒュースさんも、お一つどうぞ」
レティシアが、にこやかにコロッケを勧めてくる。
(きっとこれには……相手の心を操る、魅了の魔法が掛けられているに違いないわ……! いや、待って……。レティシア様は加護なしの無能者……魔法など使えるはずがない……ということは、これが純粋に、私の想像を絶するほどに美味しいということ……?)
ヒュースは恐る恐る手を伸ばし、コロッケを口にする。
さくっ。
「!? な、なんですかこれっ! じゅわ……っと、熱い油の旨味が口の中いっぱいに広がっていきます!」
滑らかにすりつぶされたジャガイモに、良質な油のコクが染み込んでいる。そして何より、この衣のさくさくとした新食感。
「はふ……ほふっ……」
中の熱々でほくほくとしたジャガイモを、香ばしい衣がしっかりと包み込んでいる。二つの全く異なる食感が、口の中で完璧なハーモニーを奏でている。
(な、なんだこれは……!? 味付け自体は最低限の塩気のみなのに、なんと美味しいのだ! 芋の素材そのものの甘い味しかしないのにっ。私の知る芋料理とは全く違う、完全な未知の食感だわ!)
北国であるエッゾにおいて、芋は主食中の主食。誰もが朝昼晩のどこかで必ず食べる。だからこそ……どうしても飽きがきてしまうのだ。食べ慣れすぎているがゆえに。
焼く、蒸す、煮る。調理法もこの三つが基本であるため、食感についても、食べる前から容易に想像できてしまう。
だが……このコロッケとやらは、完全に別次元の料理だった。
「こ、これは……一体どうやって……このような深い味わいを作り出しているのですか?」
「ふかしたジャガイモを滑らかに潰し、そこに炒めて甘みを出したタマネギと、旨味の詰まった挽肉を加えて形を整え、あとは衣を付けて揚げたのですわ」
「!? た、確かに……よく見ると、芋以外にも色々と具材が入っている……」
だからこそ、食感だけでなく、味についてもバラエティ豊かで、いくら食べても決して飽きがこないのだ。
さくっ、さくっ……と、ヒュースは止まらない手で次々とコロッケを口に運んでしまう。……しかし、それは彼女だけではなかった。
ルークもまた、大きなコロッケをあっという間にペロリと食べ終わってしまった。
「くれ」
「はいはい、お待ちくださいな」
(!? る、ルーク坊ちゃん……あんなにも、他人に心を開いて……)
他人に対して、自分から何かを『ねだる』ということ。彼はこれまで、決してそのような甘えを見せたことはなかった。
だが……今は完全に、レティシアに対して心を許しきっているように見える。
「レティシア様……い、一体……一体どんな素晴らしい魔法を使われたのですかっ?」
どうしても、知りたかった。
「魔法? いえ、そのような便利なものは使っておりませんけれど」
「使っていない!? で、では……どうして……どうやってこんな奇跡のようなものを……」
すると、ルークがまるで自分のことのように、誇らしげに胸を張った。
「此奴の作る料理そのものが、魔法なのだ」
「ルーク様……」
(なるほど……料理に魔法をかけて、美味しく錯覚させているわけではないのですね)
ルークは、魔力を持たないゼロの特異体質。
魔力を一切持たぬ彼には、他者の魔法など全く効かないのだ。
つまりは、レティシアは魔法というインチキで、味をごまかしているのではない。
純粋な料理の知識と技術を用いて、あの気難しいルークを心からうならせるほどの、絶品料理を作り上げているということ。
「加護も魔法もないのに……一体どうやって……」
「愛情、だそうだ」
「あ、あい……?」
ルークが少し照れたように言うと、レティシアが恥ずかしそうに頬を掻いた。
「はい。『食べてくださる方が、どうか喜んでくれますように』と、ただひたすらにそう思いながら作っているのです」
ぽろぽろ、と。
ヒュースの両目から、大粒の涙が零れ落ちた。
「え、えっ、ま、不味かったですか……?」
「あ、いえ……美味しいです。今まで生きてきて食べた、どんな宮廷料理よりも……温かくて、美味しくて……だから……」
(ああ、ユリア様……どうかお喜びくださいませ)
ヒュースは、止めどなく涙を流す。だがそれは、決して坊ちゃんを取られたという悲しみの涙ではなかった。
「おめでとうございます。坊ちゃん」
「ヒュース……?」
「貴方に、これほどまでの無償の愛情を注いでくれる、心の優しい女性と……まるで、ユリア様のような温かいお方と結婚できて……本当に、本当に、良かったですね……」
ルークは、ヒュースの発言の意図と、彼女の涙の理由が痛いほど伝わったのか、顔を真っ赤に染め上げると、照れ隠しにふいっとそっぽを向いてしまうのだった。
「レティシア様。どうか……ルーク様のことを、末永くよろしくお願いいたします」
「え、えと……はい。それはもちろん!」
【作者からお願いがあります】
少しでも、
「面白い!」
「続きが気になる!」
「更新がんばれ、応援してる!」
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