10.芋もち作って、いざ皇都サッポロへ
翌朝。ルークはパチリと目を覚ました。
「……」
窓から差し込む清らかな朝日を眺めながら、彼は深い驚愕を覚えていた。
「凄いな……」
ルークは人一倍耳が良い。わずかな物音すら拾ってしまうため、それが原因で夜は熟睡できた試しがなかったのだ。
しかし昨晩はぐっすりと眠りに落ち、今朝はすっきりと目覚めることができた。途中で一度も目を覚ますことなく、である。
「……この寝室は、本当に凄いな」
精霊たちが手掛けたログハウスは、防音の機能までしっかりと施されていたらしい。
つくづく、この快適なログハウスをここに残していくのが惜しまれるほどだった。持ち帰りたいくらいだが……さすがにそれは叶わない。
ルークは立ち上がると上着を羽織り、寝室を後にした。このログハウスにはいくつもの部屋があり、そのうちの一つをルークは使わせてもらっていたのだ。
ヒュースはルークとは別の部屋でまだ就寝中らしい。
彼が静かにリビングのドアを開けると……。
「……?」
キッチンに、何かがいた。いや、レティシアがいるのはその後ろ姿ですぐにわかる。
……問題は、彼女の周囲を取り囲む『何か』の存在を、ぼんやりと感じ取れることであった。
「あら、ルーク。おはようございます」
「……ああ」
レティシアがこちらを振り返り、柔らかで眩しい笑顔を向ける。……知らず知らずのうちに、彼は思わず目を逸らしてしまった。
(なぜ俺は目を逸らしたのだ……?)
自分でもよくわからない反応に戸惑いながらも、ルークは彼女の元へと近づいていく。
彼女の周囲、洋服の裾、肩、そして頭の上。
確かに、何かがいるのだ。
「どうかなさいましたか?」
「…………」
ルークは目をこすり、そして……レティシアの頭の上へとそっと手を伸ばした。
つん……と、ルークはその『何か』を指先で突いてみる。
「!? や、柔らかい……」
「それはそうですよ、精霊さんのほっぺたはとても柔らかいですから」
「なんだと……」
(このぼんやりとした塊が、精霊だというのか……)
ルークは信じられない思いで目を瞠った。
「そういえば、ルークは精霊のお姿が見えないのでしたよね。同じ魔力ゼロの体質なのに」
「ああ……。俺の場合は耳と体が異常に強化されているが、目……魔力を視る力はお前よりもずっと弱い」
だからこそ、精霊の姿を目視することなどできなかったはずなのだ。だが、今はぼんやりとではあるが、確かに精霊の存在を感知できている。
「それは良かったです。皆さんを認識できる方が増えて、精霊さんたちも嬉しそうですよ」
ぼんやりとした輪郭しか捉えられないため表情の変化まではわからないが、わらわらとこちらに近づいてくる気配だけは確かに感じ取れた。
「一体どういうことなのだ……」
不可解な現象に首を傾げていると、つんつんと、ルークの頬を誰かが突いた。
『くるんっ♪』
「コロポックル様……」
このエッゾの神的存在であるコロポックルが、ルークに向かって語りかけてくる。
「なるほど……。どうやら俺は、レティシアのおかげで体が強化されたようだ」
「え……? どういうことですか?」
「お前の作った美味い食事を食べたことで細胞が活性化し、魔力視の力が一時的に引き上げられた……とおっしゃっている」
この変化が永続的なものなのか一時的なものなのかはわからない。だが、レティシアの作った美味い食事による効果であることは間違いないらしかった。
「そう言われましても、私の作ったお料理は本当にただのご飯ですよ。そんなバフ……付与魔法のような効果があるとは思えないのですが。魔力を込めているわけでもありませんし」
「……言われてみればそうだな。実際はどうなのですか、コロポックル様」
しかしコロポックルは、もうそれ以上解説する気はないらしい。レティシアの腕にしがみつき、ぐいぐいと揺すっている。
「これから作るのはお弁当ですよ。馬車で移動しながらいただくものですから、今食べちゃ駄目です」
精霊たちがぷるぷると、そしてコロポックルもまたぷるぷると震えている。
どうやら、お預けを食らって不満なようだ。
「…………何を作るのだ」
自然と、ルークはレティシアに問いかけていた。彼女の作るご飯が、どうしても気になって仕方がなかったのだ。
他人が何をしているかなど、今までのルークなら興味すら抱かなかった。
だが……レティシアの料理だけは別だ。彼女の料理はまるで味の宝箱のようで、色々な『美味い』がぎっしりと詰まっている。次は……一体どんな美味しい味を楽しませてくれるのか。気になって堪らないのだ。
「とっても美味しいお弁当ですよ!」
◇
「おはようございます、ルーク様、レティシア様」
ちょうど調理を始めようとしたそのタイミングで、ヒュースも起きてやってきた。
二人が挨拶を返すと、ヒュースは興味深そうに尋ねる。
「朝から何をなさっているのですか?」
「コロポックル様が生み出してくださったこの立派なジャガイモを使って、とびきりの朝食を作ろうと思いまして」
レティシアはエプロンを締め、腕まくりをして調理台の前に立った。
鍋の中では、あらかじめ皮を剥かれた大ぶりのジャガイモが、すでにほくほくと柔らかくなるまで茹で上がっている。
レティシアはしっかりと湯切りをしたジャガイモをボウルに移すと、木べらを使って手際よく押し潰し始めた。
「せっかく綺麗に茹で上がったお芋を、なぜ跡形もなく潰してしまうのですか?」
傍らでその様子を見学していたヒュースが、思わず不思議そうに尋ねる。昨晩のコロッケの時もそうだったが、こちらの世界では調理法がまだ未発達なのだ。
エッゾの常識において、芋とはそのままの形を保ってふかすか、焼くかして食べるものである。わざわざペースト状になるまで念入りに潰すなど、彼女からすれば食材を台無しにしているようにしか見えなかったのだ。
「心配いりませんよ。ここからが本当の調理の始まりですから」
完全に滑らかになったジャガイモの山に、レティシアは背嚢から取り出した白い粉――片栗粉(でんぷん粉)をたっぷりと振り入れた。
「なんだこれは……?」
「片栗粉です。ジャガイモのデンプンから作られる白い粉ですよ」
「……よくわからんが、そんな物をいつの間に用意していたのだ」
「精霊さんたちが、ジャガイモから加工してくださっていたのですよ」
加工の精霊たちが誇らしげに肩を組み、ぐっと親指を立てている。自分たちがやりました、と主張したいらしい。
そして、まだ熱の残るそれを、まるでパン生地でも捏ねるかのように、両手でしっかりと力強く練り合わせ始めた。
「粉を混ぜて、練る……? お芋を練るなど、聞いたこともありませんが……」
ヒュースが目を白黒させている間に、ポロポロとしていたジャガイモは次第に強い粘り気を帯び、やがて耳たぶほどの柔らかさを持つ滑らかな生地へと変化した。
レティシアはそれを手のひらで手際よく転がし、綺麗で平らな円盤状に成形していく。
「準備完了です! では、焼いていきますね」
魔導コンロで熱した鉄のフライパンに、多めのバターを溶かし込む。
そこへ、円盤状に丸められたジャガイモの生地を丁寧に並べた。
バターの芳醇で甘い香りが、一気にキッチンを満たしていく。
表面がこんがりときつね色に焼き上がったところで、レティシアは小鍋で作っておいた特製のタレ――お醤油とお砂糖、そして少量の水を煮詰めた『甘辛いタレ』をフライパンに一気に回し入れた。
焦げた醤油の香ばしさと、砂糖の甘い匂いが混ざり合い、暴力的なまでの香りが鼻腔を貫く。足元にいるコロポックルと精霊たちが、待ちきれないとばかりに「くるぅうう!」「きゃっきゃっ!」と跳ね回っていた。
「完成です! エッゾ名物となること間違いなしの絶品、『芋餅』でございます!」
◇
湯気を立てるきつね色の円盤に、とろりとした琥珀色のタレが艶やかに絡んでいる。
ダイニングテーブルについたヒュースは、目の前に置かれた未知の料理を前に、ごくりと生唾を飲み込んだ。
「これが……芋餅……」
フォークを突き刺し、持ち上げようとした瞬間である。
「の、伸びましたよ!? お芋が、まるでスライムのように伸びましたっ!?」
ヒュースは驚愕した。
切り分けようとした芋餅は、とろりとした凄まじい粘り気を持ち、まるでチーズやお餅のように長く伸びたのだ。
「片栗粉を加えてよく練ることで、お芋がもっちりとした不思議な食感に変わるのです。さあ、冷めないうちに召し上がってください」
レティシアに促され、ヒュースは恐る恐る、熱々の芋餅を口に運んだ。
「!!」
サクッ。
バターで香ばしく焼き上げられた表面が小気味良い音を立てる。
だが、その内側は――。
「もっ、ちもちです……っ! なんですか、この魅惑的な柔らかさは!」
噛みしめるたびに、ジャガイモ本来の優しい甘みと、もっちりとした弾力が口いっぱいに広がる。そこへ、甘辛く煮詰められた濃厚な醤油ダレとバターの塩気が完璧なバランスで絡みつき、無限に食べ進めたくなるほどの深い味わいを生み出していた。
「美味しい……っ! 私が今まで主食として食べてきた芋とは、完全に別次元の食べ物です!」
ヒュースは感動のあまり言葉を失い、夢中で二口目、三口目と芋餅を頬張った。コロポックルと精霊たちも、全身にタレをつけながら至福の表情でもちもちと咀嚼している。
そんな、驚愕と感動に打ち震えるヒュースの様子を――ルークは腕を組みながら眺めていた。
「…………」
彼は自分の分の芋餅を美味そうに平らげながら、口角を微かに上げ、なんとも誇らしげに胸を張っている。
その表情は雄弁に物語っていた。『どうだ、驚いたか。俺のレティシアは凄いだろう』と。
(なぜ、ルーク坊ちゃんがそんなに得意げなドヤ顔をなさっているのですかっ……! 悔しいけれど、ぐうの音も出ないほどに美味しいですっ……!)
忠臣としての複雑な嫉妬心も、この完璧な美味しさの前にはただひれ伏すしかなかった。
温かな丸太小屋には、幸せな咀嚼音だけが静かに響き渡っていた。
◇
朝食を終え、レティシアたちはついに旅立ちの準備を整えた。
外には、ヒュースが手配した立派な馬車が待機している。
レティシアとルークが馬車に乗り込む。
『くるっ』
コロポックルもまた、一緒について乗り込もうとする。
「もしかして……ついて来ようとしてくださっているのですか?」
『くりゅ!』
コロポックルがこくりと頷く。どうやらその通りらしい。
「しかし、連れて行ってしまっても良いのでしょうか」
「まあ、本人が嫌がっているわけではないからな。良いのではないか」
「ふむ……」
(私としても、この可愛い子とお別れするのは寂しいですしね)
レティシアはしゃがみ込むと、コロポックルに優しく声をかけた。
「おいで」
『くるる~ん♪』
ぴょん、とレティシアの肩にコロポックルが飛び乗ってくる。
「そ、そういえば……レティシア様。さっきから見えているそれは……もしや……」
「コロポックルですよ」
「や、やはり……!」
エッゾの民であるヒュースも、ルーク同様に、この生き物がとんでもない大自然の神的存在であることを知っている。
「コロポックルを従えるなんて……さすがです……」
「いえいえ、従えているわけではありませんよ。私たちは、そう……お友達ですから」
ね、とレティシアが語りかけると、コロポックルが嬉しそうに頷く。
「レティシア様、本当に加護を持たないお方なのですよね……」
「ええ」
「……ならば、やはり凄いことです」
比類なき料理の腕、そして神格たる存在と心を通わせてしまう人徳。そうした意味合いを込めて言っているらしい。
「皆、レティシアの作る魔法のような料理に惚れ込んでいる。ただそれだけのことだ」
ルークが代弁するように言うと、ヒュースは「なるほど……」と深く納得したように頷いた。
「芋餅のお弁当も作りましたし、道中の食事はこれで問題ありませんね」
「このログハウスや、残った芋はどうするのだ?」
魔道具まで完備された立派なログハウスは、そのまま置いていくには惜しすぎた。
「ログハウスは、いつか通りかかった旅人さんが使うかもしれませんから、置いていきましょう。お芋はすべて回収して袋に入れてありますよ」
「袋……?」
レティシアが背負っている小さな背嚢である。そこには精霊が一匹、ぷらーんとぶら下がっていた。
「馬鹿な……。あんなにたくさんあった芋が、こんな小さな背嚢にすべて収まるわけが……」
レティシアが背嚢を傾けると、中から大量のジャガイモが次から次へと出てきた。
「どうなっているのだ、これは……」
「ま、まさか……魔法袋ですか!? 高度な空間魔法が付与された、超一級の高級魔道具では!?」
この世界には、アイテムボックスのような加護や、同様の効果を持つ魔道具が存在する。だが、それらは全て希少中の希少品。一つ持っていれば、億万長者も夢ではない代物だ。
そんな途方もないものをレティシアが持っていることに、二人は目を丸くする。
「いいえ、これは空間の精霊さんが力を貸してくださっているだけの、ただの袋ですよ」
精霊の力によって、一時的に内部の空間が拡張されているのだ。精霊が片手で「やっほー」と気軽そうに挨拶をしてくる。
「……精霊が直接物に力を与えるなど、聞いたこともありませんっ! やはり……レティシア様は、隠れた大魔導士なのでは……」
するとレティシアはきょとんとした顔で返した。
「いいえ、ただの加護なし令嬢ですけれど?」
「……あなたのような加護なしがいてたまるものですかっ」
そんなヒュースたちのやり取りを見て、ルークが静かに、愉快そうに笑う。
「本当に面白いな、レティシアは」
【作者からお願いがあります】
少しでも、
「面白い!」
「続きが気になる!」
「更新がんばれ、応援してる!」
と思っていただけましたら、
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