07.トンテキと、コロポックルのお礼
レティシアはエプロンを締める。そして、冷水にさらしておいた黒猪の枝肉から、必要量をカットしようとしたのだが……。
「おい、ブロック肉が、突如として出来上がったように見えたのだが……」
ちょうど良いくらいの大きさに切り分けられた肉が、巨大な葉っぱの上に乗って、レティシア達の前に置かれていたのである。
「お腹を空かせた精霊さんたちが、手伝ってくれたんですよ」
いえーい、と精霊達が小さな親指を立てている。よく見れば、両手に自分用の小さなフォークやナイフを握りしめている者までいた。
「……なるほど。以前から少し気にはなっていたが、巨大な獣の解体や切り出しは、精霊達の手助けがあってこそのものだったのだな」
小柄な女性であるレティシア一人の腕力で、到底行える作業ではないからだ。
(よし、じゃあ……作るわよ! コロポックルさんがお腹をすかせているようだし、ささっと手早くね)
レティシアは出刃包丁を構えると、肉をぶつ切りにするのではなく、脂身と赤身の境目にトントンと等間隔で刃先を入れ始めた。
さらに、分厚い肉の端から数センチおきに、深く切り込みを入れていく。
まるでお肉が、野球のグローブのような不思議な形に広がった。
「……おい。細かく叩き潰すわけでもなく、完全に切り離すわけでもない。なぜそのような中途半端な切り方をするのだ?」
不思議そうに尋ねるルークに、レティシアは微笑んで答える。
「これは『筋切り』と『グローブカット』と呼ばれる技法ですの。お肉には硬い筋がありますでしょう? これを切っておかないと、焼いた時にお肉が反り返って硬くなってしまうのですわ」
「反り返る……確かに、いつも肉を焼くと勝手に丸まり、ひどく硬くなるな」
「ええ。それに、こうして深い切り込みを入れておくことで、分厚いお肉でも中心まで均等に火が通りやすくなりますの。短時間で一気に焼き上げられるからこそ、旨味である肉汁を逃がさず、ふっくらと柔らかく仕上がるというわけですわ」
ただ無造作に刃を振るうのではなく、肉の構造を熟知し、食感を操るための計算され尽くした包丁さばき。
ルークは目を見張り、「……なるほど。ただ無闇に焼くのではないのだな」と深く感心したように息を漏らした。
精霊の力で鉄板を熱し、黒猪の脂を引く。
そこへ、すりおろしたニンニクと、実家の厨房から持ち出してきた秘伝の【たれ】をたっぷりと絡めた分厚いお肉を投入した。
ジューーーーーッ!!
雪原の寒さを吹き飛ばすような、暴力的なまでの焼き音が響き渡る。
焦げたニンニクと醤油の香ばしい匂いが一気に立ち昇り、ルークはもちろん、足元にいるコロポックルまでが「くるぅうう……っ!」と身悶えし始めた。
精霊達もたまらないといった様子で、空中でくねくねと体を捻っている。
両面をこんがりと焼き上げ、中まで絶妙な火を通した極上の——。
「完成ですっ。黒猪の特製、【トンテキ】ですわ!」
◇
精霊達は、はぁあ~……と、ひどく露骨なため息をついていた。
「なんだこいつら」
『くるるん』
「なに?『なんだ、ただ豚肉を焼いただけかぁ』だと? 文句があるなら食うな」
コロポックルを介して、精霊達の不満げな言葉をルークが通訳する。
レティシアは、彼がいてくれるおかげで精霊達の言葉のニュアンスが正確にわかるため、本当に便利だと思っていた。
レティシアは別に嫌な顔を一つもせず、トンテキを細かく切り分け、精霊たちに取り分けてお出しする。
そして、残った大きな分をコロポックルと、ルークの前に並べた。
「俺は……別に」
強がろうとしたルークだったが、彼の方からとても大きな腹の虫の音が鳴り響いた。
ハンバーグを食べたばかりのはずなのだが、トンテキの暴力的なまでに美味しそうな匂いに、再び食欲が限界までそそられてしまったのだろう。
「さあ、どうぞ」
「……ああ。しかし、トンテキなど……聞いたこともないな」
「厚切りの豚肉を、ニンニクと一緒に濃い目のソースで炒め焼きにしたスタミナ料理ですわ」
コロポックルは、雪山の中で寒さに震えていた。きっと、満足な食事をあまり取れていなかったのだろう。だからこそ、精力をつけるためにこの料理にしたのである。
ルークとコロポックルが、トンテキを口に含む。
「う、美味い……!」
「くりゅりゅぅ~~~~~~~~~~~~~~~~~~♡」
ルークは目を輝かせ、コロポックルはその場で幸せそうにコロンコロンと転がり回る。
「ただ肉を焼いただけだと思ったのだが、とんでもなく柔らかいぞ。しかし、しっかりと肉を食らっているという力強い食感もある……」
ばくばく、とルークとコロポックルが凄まじい勢いでトンテキを平らげていく。
あっという間に、大きな一切れを食べ終わってしまった。
「おかわりだ」「くるっ!」
当然そう来るだろうと予想していたので、レティシアは次なるトンテキを素早く焼き上げて提供する。
新たなお肉の焼ける匂いに、文句を垂れていた精霊達が両手で頬を押さえ、うっとりとした表情を浮かべていた。
「お前ら、随分と現金な奴らだな……さっきまで、ぶーぶー不満を垂れていたくせに」
はて? と、精霊たちは都合の悪いことは聞こえないとばかりにすっとぼけていた。
焼き上がったばかりのトンテキを、ルークが切り分けて口に含む。
「美味い……。このソースは一体なんだ? ひどく香ばしい香りがするのだが」
「これは、『お醤油』ですわ!」
「しょうゆ……。母上が言っていた、異世界の特別なソースのことだな」
「ですですっ」
ルークの母は異世界人なのだ。当然、醤油のことも知っていただろうし……。それに……。
「……もう少し早く、私がルークの元へ来られていればよかったですわね。そうしたら、お母様にも美味しい故郷のお料理を、たくさん食べさせて差し上げられたのに」
この婚約が、決して自分自身でコントロールできたものではないことはわかっている。それに、遠く離れた極寒のエッゾの地にいるルーク親子のことを、そもそも知り合うきっかけすらなかったことも、十分にわかっている。
それでも……もっと早くここへ来ていれば……と。
「お前は、本当に優しいのだな」
「え?」
ルークは……静かに微笑んでいた。出会ってから今まで、ずっと険しい表情を崩さなかった彼が、である。
「私は、別に優しいわけではございませんよ」
現に、彼女は元いた故郷の国の行く末など、これっぽっちも心配してはいなかった。
彼女が何よりも大事にしているのは、美味しいご飯を作ること。そして、誰かにそれを食べて心から喜んでもらうことである。
元いた国でも、料理を作る機会自体はあった。しかし、それは心なき外交の手段として、他国からの使者のために嫌々作らされていたものに過ぎない。
だからこそ、レティシアは元いた国が現在どうなっているのかなど、微塵も気にかけていなかった。
逆に、この日本料理を誰よりも一番食べたいと願い続けていただろうルークの亡き母に、美味しいご飯を作って差し上げられなかったことの方を、よほど深く悔やんでいるのだ。
「結局のところ、私はただ自分のしたいように生きているだけですわ。優しいなんて言葉からは、程遠い人間です」
「……そんなことはない。お前は、腹を空かせている見ず知らずの者たちに、無条件で飯を作ってやっているではないか」
気まぐれな精霊たち然り、伝説のコロポックル然り。彼女は彼らから決して見返りを求めて、料理を振る舞っているわけではないのだ。
「お前が底抜けに優しいからこそ、できていることだ。そんな綺麗な心根をしているからこそ、精霊も、コロポックルも、お前を好いているのだろうな」
「……そう、でしょうか」
ルークの妻となるべく、なかば強制的に送られたこの極寒の北の大地。
正直なところ、そこで自由に料理ができるというのであれば、結婚相手など誰でも良かったのだ。
たとえ相手が、狂犬と恐れられる男であったとしても。でも、彼女は今、初めて「この人のもとに来られてよかった」と、心からそう思っていた。
「ありがとうございます、ルーク。あなたこそ、本当はお優しいのですね。落ち込んでいる私を、こうして慰めてくださるなんて」
「ふ、ふん! 勘違いするなよ。俺は別に、貴様を励ますつもりなど毛頭なかったのだからな」
「ふふふ、変な方ですこと」
「貴様にだけは、変と言われたくない」
レティシアは、この過酷な『試される地』エッゾであっても、彼となら十分にやっていけそうだと、そう強く確信するのだった。
◇
「ご満足いただけましたでしょうか、コロポックルさん?」
元々、今回の豚肉料理は、お腹を空かせたコロポックルのために作ったものだ。しかし、周りを見渡しても、先ほどまで足元にいたはずの小さな妖精の姿が見当たらない。
『くるるん♪』
「「!?」」
突如、地面からズゴゴゴ……という重低音と共に大量の樹木が生え出し、あっという間に伐採され、レティシアたちの目の前に立派な木材となって積み上げられたのだ。
「な、なんですの……この大量の木材は……」
「……聞いたことがある。コロポックルは、気に入った人間に大地の自然の恵みをもたらすことがあるとな」
「自然の恵み……この立派な木材のことですか?」
「そうだろう。お前が美味い飯で手厚くもてなしたことを、あのコロポックル様は大層喜んでおられるのだ」
積み上げられた巨大な木材のてっぺんで、コロポックルが自慢げに蕗の葉を振っている。
そこへ、出番を待ちわびていた大工の精霊たちが一斉に集ってきた。
精霊達が、トンテンカン、トンテンカン、と魔法の力で槌やら鋸やらを凄まじい速度で動かしていく。
驚くべき速さで、彼らの目の前には、立派なログハウスが完成していた。
ただ適当に木を組み上げただけではない。コロポックルの生み出した極上の木材を完璧に加工し、エッゾの凍てつく寒風が一切入り込まないよう緻密に計算された、とても豪華で温かそうなログハウスであった。
「……コロポックル様は、お前への心ばかりのお礼だと言っているぞ」
「トンテキ一つのお礼が、こんなにも立派なお家だなんて……随分と太っ腹な神様ですね」
「まあ、俺たちエッゾの民にとっては、コロポックルは絶対の神に等しい存在だからな。やる事のスケールが大きすぎるのだ」
せっかくの神様からの贈り物を放置するのも失礼にあたるということで、レティシアたちはありがたく、その温かなログハウスを使わせてもらうことにしたのだった。
【作者からお願いがあります】
少しでも、
「面白い!」
「続きが気になる!」
「更新がんばれ、応援してる!」
と思っていただけましたら、
広告の下↓にある【☆☆☆☆☆】をタップして、
【★★★★★】にしてくださると嬉しいです!
皆様の応援が、作品を書く最高の原動力になります!
なにとぞ、ご協力お願いします!




