06.フキの下の妖精との出会い
エッゾ皇国郊外。凍てつく川の畔にて。
日が完全に暮れてしまったため、今夜はここで野営をすることになった。
レティシアたちは、肉一〇〇%の絶品ハンバーグを食べ終え、お互いの胸の内にある秘密を共有し合った。
すっかり夜の帳が下りている。火の精霊のおかげで、温かな焚き火は確保できていた。
だが、冷たい雪の積もる大地から、じわじわと凍えるような寒さが伝わってくる。北風が防寒具の隙間から入り込み、容赦なく体温を奪っていくのだ。
精霊達は、寒さに震えているレティシアを心配してか、みんなで彼女にくっついていた。まるで「おしくらまんじゅう」でもするかのように身を寄せ合い、少しでも暖を取ろうとしてくれているらしい。
……だが、悲しいことに。
「くしゅんっ」
『!?!?!?!?!?!?』
精霊達は「えらいこっちゃ、えらいこっちゃ」とばかりに、その場で慌てふためいて飛び回る。
そう、純粋な魔力の塊である精霊には、確かな実体というものがない。だから、いくら密集してくっつこうとも、暖を取ることはできないのだ。
「……少し、待っていろ」
寒そうに身を縮めるレティシアを見て、ルークが静かにそう言い残し、この場を離れようとする。
「どちらへ行かれるのですか、ルーク?」
「熊を狩ってくる」
「熊……? どうしてですの?」
「熊の巣穴を奪うためだ。そこなら、この寒さも十分に凌げよう」
『試される地』エッゾには、野生の熊、そして熊の強力な魔物が生息している。なるほど、その魔物を殺して住居を奪い取ろうという算段らしい。
それに対してレティシアはというと……。
「なりませぬ」
レティシアははっきりと、凜とした声でそう告げた。ルークが振り返り、彼女を鋭く睨みつける。だが、それは決して怒りから来るものではない。ただ、彼女の言葉の真意がわからず怪訝な表情をしているだけだ。
……もっとも、彼の本質をよく知らぬ者であれば、その微妙な表情の違いに気づくことはできず、怯え上がってしまうだろうが。
レティシアには、わかっている。たとえ自身の眼で彼の魔力の揺らぎが視えずとも、彼が怒っているわけではないのだと。はっきりと、彼の鋭い緋色の瞳を真っ直ぐに見つめ返しているからこそわかるのだ。
そして何より、共に食卓を囲み、互いの思いを語り合ったからこそ、はっきりと理解できるのだ。不器用な彼の気持ちが。
「私を気遣って行動してくださるお心には、深く感謝いたします。ですが……ルーク。無意味な殺生はいけませんわ」
「……無意味ではない。俺たちが生きるためだ。今までだって、つい先ほどだって、俺たちは生きるために獣を狩ったではないか」
「そうですね。でもそれは、お食事として命をいただいたのです。それは生きていく上で、致し方ないことですわ」
生きるためには、他者の命を奪わねばならない。それは大自然の、そしてこの社会の絶対的な摂理である。レティシアは決して、その真理を否定しているわけではない。
「ですが、熊を殺すのは、殺して食べるためではないのでしょう?」
「……そうだな」
「お腹を満たすわけでもなく、ただ寝床のためだけに獣を殺し、奪う行為は、盗賊の所業と何ら変わりありませんわ」
ルークの提案は、全てレティシアを思っての行動だ。彼女の真っ向からの反論は、ともすれば、彼の強い不興を買うかもしれない。
精霊達は、ぶるぶると恐怖に震え、レティシアの足元に縋り付いている。一匹だけ勇敢な精霊が立ち塞がろうとしていたが、その腰は完全に引けてしまっていた。
それほどまでに、ルークの放つ外見的な威圧感は恐ろしい。だが……。
「……そうだな」
ルークは、レティシアの言葉を静かに受け止めたのだ。
「すまなかった」
「いえ、謝らなければならないのは私の方ですわ。せっかく私のために考えてくださったのに」
「いや……礼を言う。お前がいなければ、俺は畜生以下に落ちるところだった」
(やっぱり……ちゃんと理性を持った、本当にいい人なのよね。これのどこが狂犬皇子だというのかしら)
レティシアはくしゅん、と可愛らしいくしゃみをする。
彼女の確固たる言い分を、ルークは理解してくれた。だが、凍死の危機という根本的な問題は、何一つ解決していない。
「俺が寝ずの番をし、火の面倒を見ておく。お前は寝ろ」
「二人とも凍死してしまいますよ、さすがに。この近くに集落などはないのですか?」
「ない」
「OH……」
日が完全に落ちきっている現在、暗闇の雪原を歩いて移動することなど、それこそ自殺行為と言えた。
「大工の精霊さん、どうかお力を……って、居ませんし」
精霊とはひどく気まぐれな存在だ。絶品のハンバーグを食べ終え、すっかりお腹が満たされた彼らは、いずこへと去ってしまったのだろう。
(仕方ありませんわね……精霊さんは便利な道具ではないし。彼らにも都合があるでしょうから)
その時だった。
かさっ……と、近くの茂みが微かに揺れたのである。
ルークがばっ、と素早く剣を抜き放ち、鋭く構える。
「下がれ、レティシア! かなりのやり手だ」
「やり手……?」
「敵だ。それも、気配を消すのが恐ろしく上手い……この俺ですら、直前まで接近の気配に気づけなかったほどにな」
魔力を持たぬゼロの者は、魔力を失う代償として、特別な感受性を得る。
レティシアが魔力を視覚で捉えられるように、ルークは魔力を『音』として聞き分けることができるのだ。
恐ろしく鋭敏な聴覚と、尋常ならざる怪力。それが、ルークが天から与えられたギフトであった。
そのルークの耳をもってしても、敵が接近する音に全く気づけなかったのだ。
ルークが極度に警戒するのも当然のことであった。……だが、一方でレティシアの眼にだけは、はっきりと【視えていた】。
一片の悪意も存在しない、温かな魔力の光が。
『くるりゅぅ~……』
「お人形……?」
茂みから姿を現したのは、どこか精霊に似ている、小さな二頭身の少女のような存在だった。
だが、精霊との決定的な違いは、その体が透けておらず、確かな実体を持っているということだ。
愛らしいおかっぱ頭に、あどけなく大きな瞳。白い布でできた素朴な服を身に纏っている。その布には、見たこともない不思議な模様が丁寧に刻まれていた。
そして……。
「お手々に……葉っぱ? その蕗の葉っぱって……もしかして……」
「「コロポックル!?」」
つぶらな瞳で見上げてくる、蕗の葉を持った幼子……それは間違いなく、伝説のコロポックルであった。
「か、か、可愛い~♡」
(えっ、ちっちゃい! 可愛いっ! ちっちゃい! え、え、えー!)
一瞬で語彙力を失うほどの、暴力的な愛らしさだった。大きさは精霊よりもやや大きいくらい。およそ十五センチほどだろうか。
周りを飛ぶ精霊たちと並ぶと、コロポックルは彼らより少しだけ背が高く、まるで小さなお姉さんのようにも見える。
コロポックルは精霊のような翅を持たず、その小さな両手には自らの背丈ほどもある蕗の葉がしっかりと握られている。じっとこちらを見つめ、うるうると潤んだ瞳を向けていた。
レティシアは思わず雪の上にしゃがみ込み、その小さな体へと、そぉっと両手を伸ばす。
『くるくるっ♡』
だっこして、とせがむように、コロポックルが短い手を一生懸命に伸ばしてきた。レティシアはたまらず抱き上げ、頬ずりするようにぎゅーっと抱きしめてしまう。
「やわっこいですわ! 可愛いです! ねえ、ルーク! ……ルーク?」
振り返ると、ルークは長剣を抜いたまま、雪の上に片膝をついて固まっていた。
「レティシア……お前、そのお方は伝説の妖精だぞ……?」
「え……? 伝説の……妖精……?」
「ああ。エッゾの伝説にのみ語り継がれる妖精・コロポックル。人々に富と繁栄をもたらす、神として祭られている至高の妖精だ」
どうやら、このエッゾ皇国において、コロポックルは完全に神格化された存在であるらしい。
「人前には絶対に姿を現さぬと言い伝えられているのに……」
「そうだったのですね。お~♡ よしよし、おめめちゃん」
「お、おめめちゃん……!?」
「ええ。つぶらでとっても大きなおめめちゃんですもの」
「神に向かって不敬だろうが……」
「そうかしら?」
コロポックルは『くるるん♪』と、大変嬉しそうに喉を鳴らすような声を上げる。神扱いされるより、こうして可愛がられる方が好きなのか、全く嫌がっているようには見えなかった。
すると、周りの精霊達がぷくっと頬を膨らませて、レティシアの髪の毛やドレスの裾を引っ張り始めた。
「どうしたの、みんな?」
『くるりゅん……? くるっ……!』
「コロポックル様が言うには、どうやら精霊達はお前に嫉妬しているようだ、とのことだ」
へ……? と、レティシアが目を丸くしてルークを見た。
「ルークは、精霊のお声が聞こえるのですか?」
「いや、俺にわかるのは、コロポックル様のお声だけだ。俺の耳は、常人よりも遥かに良いのでな。明確な人語でなくとも、発せられた言葉の音の響きから、込められた意味を正確に読み取ることができるのだ」
「す、凄いじゃないですかルーク!」
「そうか……?」
「はいっ! こんなに愛らしい存在と、仲良く会話ができるなんてっ。本当に凄いです! いいなぁ~」
「………………」
ルークはしばし、目を輝かせるレティシアをじっと見つめていた。だが……やがて、小さく息を吐き出した。
「お前は、本当に変わっているな」
◇
魔力を持たないゼロの者であるルークは、魔力を失う代償として、強力な特異体質を得ていた。
他者の魔力的な揺らぎすらも『音』として聞き取れるほどの、異常なまでに鋭敏な聴覚である。魔力を聞くとは、一体どういうことか?
この世界には、『共感覚』と呼ばれる特殊な知覚現象が存在する。
ある一つの刺激に対して、通常の感覚だけでなく、全く異なる種類の感覚が自動的に生じる現象だ。
文字に色が見えたり、音に色や味を感じたりするなど、多様なタイプが存在する。
ルークの場合は、『音』を通じて、他者の魔力――すなわち『心』の動きを直接感じ取ることができるのだ。
相手の表情などを視覚的に捉えるわけではないため、レティシアの読唇能力には劣るかもしれない。だが、隠された本心や感情の機微を拾い上げる能力においては、彼女よりも遥かに上であった。
耳は、目と違って自らの意志で塞ぐことができない。
彼は生まれてからずっと、絶え間なく他者の心の声を聞き続けてきたのだ。
人間の本性というものは、ひどく汚い。口で言っていることと、腹の底で思っていることが全く別であることなど、日常茶飯事だ。
ルークはそんな、どす黒く汚い言葉を、幼い頃からずっと聞き続けてきたのである。
その結果、彼の研ぎ澄まされた聴覚は、人間の声だけでなく、獣の微かな声すらも拾えるまでに発達してしまった。
この体質は、自分を縛り付ける呪いである。ルークはずっと、そう思い込んでいた。
聞きたくもない醜い声が、否応なしに耳に流れ込んでくる。何度も自らの耳を潰してしまおうと考えた。だが、そんな彼を暗闇から救ってくれたのは、亡き母の言葉だった。
『それは天から与えられたギフト。貴方自身や、貴方の大切なものを守るための、とても大切な武器となるわ。だから……どうか大切になさい』
母のその言葉だけを心の頼りに、今日まで生きてきた。けれど、これを大切な武器だと思えたことなど、ただの一度もなかった。やはり、呪いであるという意識の方が強かったのだ。
周囲の人間も皆、この「聞こえぬものが聞こえる力」を不気味がり、疎ましく、おぞましいものとして扱ってきた。
自他共に認める、呪われた力だと。
……けれど、レティシアは違った。
(凄い……か。初めて言われたな)
この呪われた耳を褒めてくれたのは、母だけだった。それが今日、二人目になったのだ。
(つくづく……変わった奴だ)
レティシアはコロポックルを撫でるのに夢中で気づいていないようだったが、ルークは……少し、ほんの少しだけ口元を緩めて笑っていた。
……亡き母の優しい言葉を思い出して、思わず表情がほころんでしまったのだろうか。……それとも、長年忌み嫌ってきた自分の体質を褒められたのが、嬉しかったのだろうか。
「で、ルーク。コロポックルは、なんと言っているのですか?」
愛らしい童女のようなコロポックルを抱きかかえながら、レティシアが尋ねてくる。
『くるっ! くるるーん!』
「……『とっても美味しそうな香り! 私も食べたい!』だそうだ。おそらく、お前の作ったあのハンバーグの匂いに釣られてやってきたのだろうな」
「いいですよ~。確か、精霊さん用に少し小さく作ったハンバーグがまだ……あ」
木の葉のお皿は、見事に空っぽだった。精霊達が残さず全部食べてしまったのだろう。
「ごめんね、コロポックルさん。ハンバーグはもう……」
『くりゅぅーん……』
ルークの通訳を待たずとも、その垂れ下がった耳と潤んだ瞳を見れば、深く悲しんでいることがわかった。
「じゃあ、代わりに別の美味しいお料理を作ってあげる! それでどうかしら?」
『くりゅりゅーん♡』
これも訳さずとも、ぱっと目を輝かせて大喜びで了承しているのがわかった。
「よっし、お姉さんに任せてちょうだい! 黒猪の豚肉がまだ余っているわね。なら、手早く作れてとっても美味しい【あれ】にしましょう!」
どうやらまた、レティシアが新たな料理を振る舞ってくれるらしい。
……知らず知らずのうちに、ルークの口の中にはよだれがたまっていた。
(またあの別の『美味い』が、楽しめるというのか……。いや、しかし今回はあくまでコロポックル様のための料理だしな……俺が期待するのは筋違いか……)
すると、レティシアはルークの方を見て、ふわりと微笑んだ。
「大丈夫ですわ、ルーク。皆の分、ちゃんとたっぷり作りますから!」
「……お前、俺の魔力の揺らぎは、視えていないはずだよな」
彼女もまた魔力ゼロ者なのだ、魔力を視覚で捉えられるわけがない。けれど、レティシアはおかしそうに笑う。
「魔力なんて視えなくても、わかりますよ。ルークがとっても腹ぺこさんなのはっ」
「……本当に変な奴だ」
呆れたような言葉とは裏腹に、ルークの声色はひどく柔らかかった。こんなにも穏やかな気持ちで他人と関わることができるのは、母が死んだあの日以来だと、ルークは密かに思うのだった。
「さあ、お腹を空かせた皆さんのために、豚肉の絶品料理を作ってあげますよ!」
【作者からお願いがあります】
少しでも、
「面白い!」
「続きが気になる!」
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