05.秘密を共有し、彼の心を開く
エッゾ皇国郊外。凍てつく川の畔にて。
日が暮れてきたため、二人は今夜、ここで野営することになった。
レティシアは夕食にハンバーグを作った。
木の器の中には、まん丸とした見事なハンバーグが乗っている。しかも、かなりの大きさだ。
手のひらを一杯に広げたくらいの大きさである。
焼き上がったばかりの肉の香ばしい匂いが、鼻腔をくすぐる。そして、うっすらと溢れ出した透明な肉汁が、器の底を満たしていた。
ただ肉を焼いただけでは、絶対に出せない豊かな香り、そして美しい見た目をしている。
「…………」
たまらず、ルークの口の中に唾液があふれ出す。まだ食べた訳ではないというのに、体が本能的に美食へと反応してしまっているのだ。
「さあ、熱いうちにどうぞ」
「あ、ああ……」
思わず食いつきそうになるのをぐっとこらえ、彼は両手を合わせて言う。「いただきます」と。
作った者への感謝を捧げる。これは、彼が亡き母から教えてもらった大切なことの一つだ。
彼がごく当たり前のことをしていると、レティシアは本当に嬉しそうに「はい、どうぞっ!」と応えた。
(変わった女だ……。まあ、それは今はいい)
ルークは渡されたフォークを手に取って、ハンバーグを食べやすい大きさに切り分ける。
ふわ……と、柔らかな内側から湯気と共に、熱い肉汁があふれ出した。
「…………」
肉汁が器の中で小さな海を作っている。こんな光景は初めてだった。いつも肉を焼くと、確かに油は垂れる……のだが、それはなんというか、ひどく汚らしいのだ。
ベタベタとした油が肉の表面にべったりと張り付いていて、正直あまり見た目が良くなかった。だから、ただ肉を焼いただけのものは、彼はあまり好きではなかった。だが……。
(この透き通るような肉汁は……見ているだけで……腹が減る……)
彼は大ぶりに切ったハンバーグを、躊躇いなく口の中に入れて、噛む。
「!? な、なんだっ! これは……あのつみれとはまた違った柔らかさ……。しかも、なんだ、あ、甘い……甘いぞ! 砂糖でもまぶしたのか!?」
「違いますわ。ただのお肉の旨味である肉汁ですよ。きちんと血抜きをしているから、余計なえぐみを感じないのです」
ふわっとした食感の肉を噛む都度に、あふれ出す甘い肉汁。
砂糖や果実のような、べったりと舌に残るしつこさではない。不快感はまるでないのだ。
あふれ出る肉汁と共にハンバーグを咀嚼し、喉の奥へと飲み込む。
「美味い……」
自然と、その言葉がこぼれ落ちていた。別に、作った相手を褒めようという打算的な気持ちで言ったのではない。ただ純粋に、口をついて出た。思わず、とっさに……そんな感じであった。
「外だから落ち着いて調理できなかったけれど、本当はもっと手間暇をかけたかったですわ~」
「こ、これ以上に美味くなるというのか!?」
「ええ。私のお手製ソースをかければ、ですけれどね」
「…………」
レティシアは虚空に向かって、自分のお皿を突き出す。すると、皿の上のハンバーグが、魔法のように一瞬で小さくなっていく。
「そんなにがっつかなくても、まだまだおかわりはありますよ~」
「…………」
(精霊か……俺には視えんが……奴には視えているのだろうな)
だが、それはいい。どうでもいいことだ。それよりも、もっと重要なことがあった。
ずいっ、と。
ルークは己の空になった皿を突き出した。
「はい?」
「俺の分……まだあるか?」
「俺の分……ああ! おかわりですね。なんだ、もっと食べたいなら、最初からそうおっしゃってくださいな~ルーク~」
……なぜだか、酷く恥ずかしかった。
(なぜ……おかわりが欲しいと言うのが、こんなにも恥ずかしいのだろうか……)
そして、なぜかレティシアはニコニコ~、とさらに上機嫌に笑いながら、新たなハンバーグを焼き始める。
そして直ぐに、出来立ての熱々ハンバーグを皿に乗っけてくれた。
大ぶりに切って、さらに……一口。咀嚼する都度に、至福の感覚が口の中いっぱいにあふれていく。ああ……。
「これが、母上が言っていた『ハンバーグ』か……。確かに、美味しい……」
すると、レティシアが「気になっていることがあるのですけれどー」と尋ねてくる。
「ハンバーグ、ご存じのような口ぶりですよね」
「ああ」
「ハンバーグって、こちらの世界では、まだ存在しないはずですが……」
(……確かに母上も、そう言っていたな……)
ルークの母は、極めて特殊な出自をしている。それは、ルークと母だけの重大な秘密だった。
こんな、会ったばかりの得体の知れない女に、自分たちの最も大事な秘密を漏らす訳がない。
ない、のだが……。
「母上は、異世界からの転移者なのだ」
◇
ハンバーグは言うまでもなく、現代地球の食べ物である。ここ、異世界ではまだ存在すらしていない。肉の調理法が単に「煮込む」「焼く」といった原始的なものしか存在しない場所で、ハンバーグのようにミンチにして蒸し焼くといった高度な調理が行われるはずがないのだから。ハンバーグが存在するわけがないのだ。
「ルークのお母様が……異世界人?」
「ああ。この世界にはいるのだ。稀に異世界からやって来る、稀人がな。俺の母もそうだったのだ」
(つまり……ルークのお母様も、私と同郷ってこと……?)
ルークが二つ目のハンバーグを全部ぺろりと平らげてしまう。その間、精霊達もまた、レティシアの作った料理を嬉々としてむさぼり食べている。
「母はいつも言っていた。『ハンバーグ……もう一度食べたいなぁ』とな」
「…………」
(そういえば、ルークは食中毒という言葉を知っていたわ。お母様から聞かされていたのね。それに……お母様は『もう一度食べたい』ってことは……ずっと食べられなかったってこと、だよね)
レティシアには、料理の知識と確かな技術がある。だから、作ろうと思えば地球の美味しいご飯は作れるし、食べることもできる。
でも、普通の人は違うみたいだ。食べたくても、自分で作れないから、食べられない。
……その苦悩は、いかばかりであっただろうか。
(私も、もしもう二度と地球のご飯が食べられないってわかったら……きっとすっごく落ち込んでいたわ……)
「お母様……お辛そうでしたか?」
「そうだな。元々体の弱い人だったし。それに……」
ルークは言葉を言いよどむ。だが、真っ直ぐにこちらを見て言う。
「母は……周りから常に白い目で見られていた。病弱だったし、魔力もなかった。……そして、加護なしの俺を産んでしまった」
「…………」
ルークはぎゅっ、と自身の拳を強く握りしめる。
「お前は知らんだろうが、エッゾは他国よりも遥かに加護を重視する。完全な加護絶対主義なのだ」
ここは、試される地エッゾ。
他国よりも凶悪な魔物が蔓延る地。だからこそ、魔物の脅威を退ける唯一絶対の武器たる『加護』を、何よりも重要視しているのだという。
……だからこそ。
「加護のない俺は……役立たずのクズだ。そして……そんなクズを産んだ母上は……もっと……」
(……ルークも、お母様も……お可哀想に……。たかが、加護がないくらいで。でも……地球人と異世界人とじゃ、直面する事情も、価値観も……根本的に違うのね……)
ルークと母の痛みを、レティシアは百パーセント完全に理解することはできない。やはり、違う人間であるからだ。
……それでも。
「ルーク」
「な!?」
レティシアはためらいなく、ルークの大きな体を抱きしめた。
「お、おま……! 何をする……!」
「わかりますよ。ルークのお母様のお気持ち」
「おま、お前に何が……」
「ルークが居たからこそ、お母様は幸せだったはずですよ!」
「……!?」
レティシアは、自分に理解できる部分だけを、はっきりと口にする。
「私も……実は異世界からの転生者なんです」
「!? お前も……」
「ええ。だから、魔力がないのです。ほら、異世界人も魔力がなかったのでしょう?」
「た、確かに……」
「お母様……全く知らない場所に来て、たった一人で、すっごくさみしかったと思います。美味しい故郷のご飯も食べられなくて……辛かったと思いますわ。私も、もしお料理を作れなかったら……どうなっていたことか」
でも、とレティシアは力強く続ける。
「お母様は、貴方を産んで育てられた。それがどういうことかわかりますか? 貴方が、お母様の心の支えになっていたってことですよ」
「!? お、俺が……」
「そうですわ。だって、普通だったらとっくに絶望して自殺していてもおかしくないくらい、お辛い状況だったはずですもの。でもそうしなかったのは……貴方がそばにいたから」
レティシアは、空っぽになった木の器を見つめる。料理を作れる自分は幸せだ。それに、自分が作った料理を食べて、同じ思いを共有してくれる誰かがいるということは、とても……幸せなことなのだ。
それが、生きる支えになってくれている。
「きっとお母様は、最期の瞬間まで幸せだったと思いますよ」
「で、でも……俺が……お、俺のせいで母上は……ひどく虐められて……だから……」
「一度でも、『貴方のせいで』なんて、お母様はおっしゃいましたか?」
「!?」
ルークの表情が固まる。そして……ふるふる、と小さく首を横に振った。
「でしょう?」
「……ああ。いつも、俺の前では優しく笑っているか、謝ってばかりだった。でも、一度たりとも、俺を責めるようなことは、無かった」
笑っていたのは、愛する息子が居て幸せだから。
謝っていたのは、息子に苦労をかけてしまって申し訳ないから。
「お母様……ルークのことが大好きだったんですよ。ずっと、ずっとね」
ルークはしばし、静かに涙を流した。
(……これのどこが、狂犬だっていうのよ)
レティシアの目には、強面な彼が、ただのさみしがり屋な野良犬のように見えた。
だから……全くもって怖いとは思わなかった。
「……お前は、魔法が使えるのだな」
ルークが涙を拭い、唐突にそんなことを言ってきた。
「変だ。俺は……本来、喋るのがひどく苦手なのだ。母上との秘密も、誰かに言うつもりなど毛頭なかった。自白の魔法でも、お前、俺にかけたのだろう?」
すると、レティシアはおかしそうに笑って言う。
「魔力ゼロの私に、この世界で言うところの魔法など使えるはずがありませんわ。ただ……矛盾するようですが、一つだけ、私にも得意な魔法があるんです。魔力が無くとも使える、特別な魔法が」
「? なんだ……それは?」
「お料理、ですわ! 美味しい料理は魔法なんです。食べると心が温かい気持ちになるし、その温かい気持ちを、相手と共有することもできる」
人は決してエスパーではない。だから、相手の気持ちなど完全にはわかるわけがない。
……でも、同じご飯を食べている時は違う。
互いに、「美味しい」という幸福な気持ちを共有できる。
「ルークが私の作ってくれたお料理を、美味しく食べてくださったから。だから、私も貴方は悪い人じゃないってわかって、自分の秘密をお話ししました。貴方も、そんな感じだったのではなくて?」
この美味しい料理を作ってくれる、目の前の人間を信頼した……と。
「……かもしれんな」
レティシアの腕の中で、ルークが……そう言って、微かに笑ったのだ。
「なんだ、笑えるじゃあないですか」
ルークはハッとして、自分の髪と同じくらいに顔を真っ赤にすると、すぐさまばっと距離を取る。
「わ、笑っていない……!」
「いえいえ、確実に笑ってましたわ~。いやぁ、意外と可愛いところがおありなんですね」
「だ、だ、黙れ! べ、別に、お前がどこか母上に似ているなとか、そんなこと思っていない!」
「はいはい、そういうことにしておいてあげますよ~」
「か、噛み殺すぞ貴様ぁ!」
「そんなこと、するおつもりもないくせに」
ぐっ、とルークが再び黙りこくってしまう。レティシアは楽しそうにコロコロと笑い……。
そして、精霊達は宙で肘をつきながら二人のやりとりを見下ろし、ひゅーひゅー、となぜだか囃し立てるかのように、揃って口笛を吹いているのだった。
【作者からお願いがあります】
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