04.肉一〇〇%ハンバーグ
ここから新展開です
公爵令嬢であるレティシアは、王太子マナヤの悪意ある采配により、エッゾ皇国の第三皇子であるルークと無理やり婚約させられることとなった。
国境を越え、過酷な雪原に足を踏み入れた直後、巨大な角兎に襲われかけたレティシアを救ったのは、他でもない婚約者のルークであった。
彼もまた、レティシアと同じく、一切の魔力を持たぬ特異体質者である。
「これからどちらへ向かわれるおつもりですか? ルーク」
ルークの大きな背中を追いかけながら、レティシアは声をかける。
だが、彼は一言も発することなく、ただ黙々と雪原を進んでいくのみであった。
(先ほどお食事をした時は、あんなに色々とお話ししてくださったのに……)
レティシアの作ったつみれ汁を食べた際、ルークは矢継ぎ早に様々な質問を投げかけてきたものだ。
しかし現在の彼は、こちらがいくら話しかけても頑なに沈黙を守っている。
ただ、やたらと周囲に鋭い視線を配らせていることだけは確かであった。
(うーん……お互い魔力を持たない者同士だと、相手の心情が少し分かりにくい……)
魔力を持たないがゆえに、他者の魔力の揺らぎから心を読むことができる二人。しかし、互いに魔力がないため、相手が何を考えているのかを魔眼で読み取ることができないのだ。
その時だった。くいっ、くいっ、とレティシアの周囲を舞っていた精霊の一匹が、彼女の髪の毛を引っ張った。
精霊。それは確かな意思を持つ、純粋な魔力の塊である。
魔力を持たぬ彼女とルークにしか、決して視認することのできない存在だ。
彼らは通常、人間に味方をするようなことはない。しかし、レティシアの作る料理の大ファンであるがゆえに、こうして彼女のそばから離れようとしないのだ。
そして時折、こうしてレティシアの助けとなってくれる。
わたわた、くいくい、おーいおーい、と精霊達が必死になってレティシアの気を引こうとする。
「何かあっ――」
あったのですか、とレティシアが言い終わるよりも早く、ルークが雪上を猛然と駆け出した。
まるで、雪上車を思わせるような、常軌を逸した速度で雪を蹴散らし突き進む。
彼が長剣を一閃させると、一拍遅れて大気を裂く衝撃波が走り抜けた。
「わっぷ……っ。一体何をなさって――ええっ」
舞い上がった雪煙が晴れると、ルークの足元には、一頭の巨大な猪が絶命して倒れていた。
黒猪。鋼鉄のように硬い毛皮を持ち、その凄まじい突進力は堅牢な城壁にすら風穴を開けると言われている凶悪な魔獣だ。
レティシアには、前世で『ホーリィ・プリンセス』というゲームをやり込んでいた記憶がある。
ゆえに、この魔物がどれほど厄介な存在であるかは熟知していた。さらに、『試される地』エッゾの過酷な環境によって独自の特異進化を遂げた黒猪の力は、通常の魔物の数倍にも跳ね上がっていることも。
そんな恐るべき魔物を、ルークはたった一撃の元に沈めてみせたのだ。
ルークは刀身の血を振り払い、ふん、と短く鼻を鳴らした。
「ありがとうございます、ルーク」
「……は?」
ルークが初めて振り返り、怪訝そうにこちらを見た。
レティシアはふわりと、花のほころぶような笑みを浮かべる。
「あなた、私が魔物に襲われないよう、常に周囲に気を配ってくださっていたのですね」
「…………」
「それならそうと、最初からおっしゃってくださればよろしいのに! 私ったら、ルークの警戒の邪魔をしてしまっていたではありませんか」
「…………随分と変わった女だ」
魔力を視ることができるレティシアは、そこから他人の心をある程度読み取ることができる。
魔力とは、精神から溢れ出すエネルギーそのもの。ゆえに、魔力の揺らぎは心の揺らぎを如実に映し出す鏡のようなものである。
ルークには魔力がない。だから、その感情を視覚的に読み取ることは不可能だ。だが……魔力の揺らぎなど視えなくとも、レティシアには痛いほど理解できたのだ。不器用な彼の、底知れぬ優しさが。
「変わっているのはあなたの方ですわ。言いたいことがあるのなら、素直に口になさればよろしいのに。どうしてそう、むすーっと黙り込んでしまわれるのですか? もしかして、反抗期の思春期ボーイですの?」
「…………」
ルークはひどく複雑な顔をして、レティシアを見つめ返した。
「……お前、俺のことが怖くないのか?」
「ええ、全く。私の命を二度も救ってくださった方を、恐れる必要がどこにありますの?」
……ルークは再び黙り込んでしまった。彼の緋色の瞳は、僅かに揺れている。きっと、彼女の紡ぐ言葉が信じられないのだろう。
無理もない。彼もまた、魔力の揺らぎを通して長年人々の醜い本音を読んできたのだ。しかし、レティシアには魔力がない。だからこそ、彼女が今口にした言葉が本心からのものなのか、彼には判別がつかないのだ。
(言いたいことがあるなら、はっきりおっしゃればいいのに。本当に思春期ボーイなのかしら)
レティシアは内心でこっそりため息をついた。一方で、ルークがじろりと胡乱な視線をこちらに向けてくる。
だが、レティシアは怯むことなく、その緋色の瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
「どうなさいました?」
「お前、この肉は……どうするつもりだ?」
「どう? ああ! なるほど、そういうことですね。もちろん、持って帰りましょうっ! こんなに貴重な食糧ですものね!」
レティシアは嬉々として、背嚢から解体用のナイフを取り出した。
(角兎のお肉も美味しいけれど、やはり脂身が少ないのが難点なのよね。その点、この黒猪のお肉は豚肉に近い味わいのはず。豚肉のような部位が手に入るなら、あれが作れるわ!)
◇
ルークは、本日何度目になるかわからない困惑の溜息を吐いていた。生まれつきの鋭い目つきのせいで他人には理解されづらいが、彼の中には確かな戸惑いがあった。
(なんなのだ、この女は……。本当に俺のことが怖くないのか?)
狂犬と恐れられ、誰もが彼に近寄ろうとすらしない。だというのに、このレティシアという女は全くもって彼を恐れる素振りを見せない。
それどころか、堂々と自分の意見をぶつけてくるのだ。
……このような扱いをしてくる女性は、彼にとって初めてであった。
しばらくの後、レティシアは手際よく黒猪の解体を終えていた。
現在、二人は凍てつく川の畔にいる。
つい先ほどまで、レティシアは手慣れた様子で死んだ黒猪の首を落とし、血を放出させていた。次いで皮を剥ぎ、腹を割いて内臓を綺麗に取り出したのである。
見事な枝肉の状態に仕上げた後、レティシアはなんと、凍りつくような川の冷水に、その枝肉を晒し始めたのだ。
「おい、まだ食えないのか……」
ルークは元来、口数が多い方ではない。だが、どうにもこの女が相手だと、勝手に口が動いてしまう。
特に、レティシアが行う【調理】という行為は、ルークの常識からはあまりにかけ離れているのだ。
次から次へと、新たな疑問が湧いてくる。
「だいいち、なぜせっかくの肉を川になど入れている? 肉を食うなら、そのまま火で焼くか、鍋で煮るかだろうが」
極寒の川水に肉を浸す意味が、彼には全く理解できなかった。
「お肉を冷やしているのですわ」
「冷やす……だと?」
「ええ。内臓を残したまま高い体温が保たれてしまうと、お肉の劣化が急速に進んでしまいますの。こうして冷水に晒すことで血が抜け、獣特有の臭みを取ることができるのですわ」
現在のルークにとって、魔獣の肉とは「ひどく臭いもの」という認識である。焼こうが煮ようが、どうしても強烈な血の匂いと獣臭さが消えないのだ。
それに、黒猪のような野生の獣は、家畜化された動物とは異なり、どうしても酷い泥臭さや強烈なエグみがあり、お世辞にも食べられた代物ではない。
しかし……
(レティシアが作ったあのつみれ汁は、まるで違った……あれは……確かに美味かった)
もう一度、あの心まで温まるような「美味い」を、彼自身が求めているのだ。
◇
凍てつく川の畔から少し離れた、風を凌げる岩陰。
ルークが手早く用意した焚き火の温もりが、周囲には満ちている。
レティシアは、冷水に晒してしっかりと血抜きを終えた黒猪の赤身と脂身を、切り株のまな板の上に乗せた。そして、再び二丁の出刃包丁を構える。
「さあ、今夜のメインディッシュに取り掛かります!」
トントントントントントンッ――!
再び、雪原に包丁のリズミカルな音が響き渡る。
先ほどのつみれ汁の時と同様、レティシアは肉を徹底的に叩いてミンチ状にしていった。ただし今回は、赤身だけでなく、真っ白で美しい脂身も適度に混ぜ込んでいる。豚肉に近い性質を持つ黒猪の脂は、熱を加えることで極上の甘みとジューシーさを生み出すからだ。
「おい……また叩き潰すのか。先ほどと同じ汁物にするのか?」
(やっぱりご飯のことになると喋るようになるなぁ、この人)
「いいえ、今度は焼きますの。お肉料理の王道、『ハンバーグ』というものを作りますわ」
「! ハンバーグ……だって……」
(おや……? 確かこっちの世界にはハンバーグなかったような……。でも、それにしては変なリアクション……)
肉が細かなミンチ状になったところで、レティシアはそれを大きめの木のボウルに移した。
「このボウル……どっから出てきた……?」
「精霊さんが用意してくれてたようです」
精霊達は、レティシアの料理を楽しみにしてる。それが食べられるなら、協力も惜しまないのだ。
木の精霊が手頃な木材を要し、大工の精霊がそれを加工したのである。
どや顔で、その二人の精霊が胸を張っている。
「精霊は、何でもありだな……」
「さて次は……」
そこへ、背嚢から取り出した粗塩と、微かに香る香辛料を振りかける。
「ここが、ハンバーグ作りにおいて最も重要なポイントですわ。お塩を加えたら、お肉に粘り気が出るまで、しっかりと手で練り合わせます!」
レティシアは冷たい空気の中、両手を使ってボウルの中の肉を力強く捏ね始めた。
この世界では、肉を焼くといえば、ただ切り分けて火にかけるだけであった。塩を揉み込み、肉の繊維を破壊しながら結着させるという概念は存在しない。
塩分が加わることで肉のタンパク質が溶解し、強い粘り気を持つようになる。この粘り気こそが、焼いた際に肉汁を内側にしっかりと閉じ込める壁となるのだ。
「粘り気、だと……? そんなことをして、何の意味がある」
「お肉の旨味である『肉汁』を逃がさないためですわ。ただ焼いただけでは、美味しい脂も水分も、熱で外へ流れ出てしまいますから」
肉が白っぽくなり、ボウルを持ち上げられるほどの強い粘りが出たところで、レティシアは手を止めた。
そこへ、あらかじめ細かく刻んでおいた根菜類と、少量の小麦粉、そして少量の水を加える。
前世であれば玉ねぎの微塵切りやパン粉、卵をつなぎにするのが定石だが、限られた野営の環境において、彼女は持ち合わせた食材で最大の効果を発揮できるよう工夫を凝らしていた。
「さあ、これを手のひらほどの大きさに丸めて……」
パシッ、パシッ、と。
レティシアは両手で肉だねを交互に投げ合うようにして、中の空気を丁寧に抜いていく。空気が残っていると、焼いている途中で肉が膨張し、そこからひび割れて肉汁が流出してしまうからだ。
綺麗に成形された小判型の肉だねの中央を、指で軽くへこませる。これも、火の通りを均一にし、焼き縮みを防ぐための前世の知恵であった。
「よし、準備は完了!」
焚き火の火力を、精霊たちの力を借りて絶妙な中火に調整する。
わーっしょい、わーっしょい、と火の精霊が妙な踊りをしながら、火加減を調節していた。
その上に、平たい鉄板を置いた。
「鉄板はどっから出てきた……?」
「もちろん精霊さんが……」
「……もういいわかった。理屈はいいからさっさと仕上げてくれ」
鉄板が十分に熱されたことを確認すると、レティシアは先ほど切り落としておいた黒猪の脂身をひいた。じゅわっという音と共に、甘く芳醇な脂の香りが立ち昇る。
「いきますわよ」
ジィィィィィィッ――!
成形したハンバーグを鉄板に乗せた瞬間、暴力的なまでの焼き音が弾けた。
黒猪の濃厚な脂が焼ける匂いと、焦げた肉の香ばしい匂いが混ざり合い、野営地一帯を包み込んでいく。
「……っ」
ルークは思わず生唾を飲み込み、食い入るように鉄板を見つめていた。
ただ肉を焼くだけの単純な調理法しか知らなかった彼にとって、これほどまでに食欲を刺激する匂いは経験したことがなかった。
片面にしっかりと焦げ目がついたところで、レティシアは慎重にハンバーグを裏返す。
再びジューッという食欲をそそる音が鳴り響き、表面に浮かび上がった透明な肉汁が、ぷくぷくと泡立っていた。
「仕上げに、少しだけお水を足して……蓋をしますの」
レティシアが鉄板の端に少量の水を注ぎ、素早く木の蓋を被せた。
ジュワァァァッという音と共に、蒸気が鍋の中に閉じ込められる。こうして蒸し焼きにすることで、厚みのある肉の中心までふっくらと火を通すことができるのだ。
「……待つのだ。なぜ肉を焼いている最中に水をかける? 火が消えてしまうだろうが」
「これは『蒸し焼き』という技法ですの。外側を香ばしく焼き上げつつ、中までじっくりと火を通し、かつふっくらと仕上げるための魔法のようなものですわ」
数分後。
静かになった焼き音を見計らい、レティシアはそっと木の蓋を持ち上げた。
「わぁ……完璧ですわ!」
立ち昇る真っ白な湯気の中から姿を現したのは、ぷっくりと膨らみ、見事な狐色に焼き上がった『黒猪のハンバーグ』であった。
表面からは透明な肉汁がじわじわと滲み出し、熱された鉄板の上で弾けては、さらに芳醇な香りを周囲に振り撒いている。
「お待たせいたしました、ルーク。黒猪の特製ハンバーグ、完成でございます!」
レティシアは、一番大きく、美味しそうに焼き上がったハンバーグを木の皿に移し、ルークへと差し出した。




