03.絶品つみれ汁
「では、まず角兎を解体いたしましょう。手伝ってくださいますか?」
「……は?」
ルーク皇子は、その緋色の瞳を丸くしていた。
「ですから、調理のお手伝いをしていただけないでしょうか」
「あ、ああ……まあ、いいだろう……。して、何をすればいい?」
「角兎の首を落としてくださいな」
「こうか」
ルークは長剣を抜き放つと、凄まじい勢いで振り下ろした。それは、常人の腕力では到底あり得ないほどの一撃であった。なにせ、剣を振るった後から、ごぉお! と風を裂く音が遅れて響いてきたのである。
「素晴らしいです! 一刀で首を落としてしまうなんて! すごい腕力ですことっ」
「…………」
なぜだか、ルークはひどく困惑しているようだった。返り血を浴びて、彼の端正な頬が少し汚れている。
「あら、お顔に血が……」
「さ、触るな!」
ばしっ、とルークが強めにレティシアの手を払いのけた。彼女は「あ、ごめんなさい。失礼いたしましたわね」と素直に謝罪するのみである。
その飄々とした態度が……ルークをさらに困惑させているようだった。
「では、解体に入りますね」
レティシアが背嚢から取り出したのは、大ぶりのナイフであった。少女が手にするにはあまりにごつすぎるそれを用いて、まず角兎の背中に刃を突き刺す。
そこから、胴を一周するように滑らかにナイフを滑らせていく。
そして、べりべり、と皮を剥いでいく。
「……信じられん。魔獣の皮は、熟練の大人であっても剥ぐのに苦労すると聞くぞ……」
「このナイフのおかげですわ」
「ナイフ……? ただのナイフではないか」
「いいえ、これは精霊の加護を受けた特別なナイフなのです」
「……………………は?」
ルークは言葉の意味を理解しきれないのか、完全に固まってしまった。
ナイフのグリップ部分には、銀色の精霊がちょこんとぶら下がっていた。
レティシアと目が合うと、「ハーイ」と気さくに小さな手を上げる。
「貴様……精霊の加護と言ったな。精霊を物体に付与するなど、聞いたこともないぞ」
「付与はしておりませんわ。ただ、お願いしているだけです。『ご飯を作るから手伝って』と」
「…………」
黙りこくってしまったルークをよそに、レティシアはサクサクと解体を進めていく。皮を剥いだ後は、喉元から肛門にかけて一本の線を入れ、内臓を丁寧に取り出す。
そして、傍らに積もっている清らかな雪を両手ですくい、それを空になった腹の中に詰めていく。
「雪なんぞ食っても美味くないぞ」
「わかっております。これは、単純に洗浄しているだけですの」
「洗浄……?」
「血やばい菌を洗い流しているのです」
「…………?」
(こちらの世界の方々って、衛生観念があまり浸透していませんのよね……)
魔法という、あまりに便利な代物がこの世界には存在する。念じさえすれば火が点き、水が湧き出てくるのだから。
『なぜ』と頭を巡らせる探求の機会が、異世界の人々からは失われてしまっているのだ。
故に、科学も学問も、地球のそれと比べるとひどく遅れをとっている。微生物学や医学の発展が阻害されているのも、全ては奇跡の産物たる魔法や加護が原因であった。
しかし、レティシアは違う。前世の現代知識を有している。だからこそ……。
「こらっ!」
ぴしゃり、とレティシアはルークを鋭く叱りつけた。彼は自身の長剣を使い、枝肉となった角兎の肉を切り取って、そのまま口に運ぼうとしていたのだ。
「生肉をそのまま召し上がるなんて! 食中毒を引き起こしたらどうなさるおつもりですかっ!」
生肉の表面には種々の微生物が付着している。焼く、煮る等の加熱工程を経ずに食せば、食中毒を引き起こす危険があるなど、現代人からすれば常識中の常識だ。
しかし、異世界人にとってはそうではないらしい。
「…………」
ルークはピタリと手を止めた。そして……口を開く。
「ショクチュウドク……今、お前、食中毒と言ったか」
「ええ。ご存じないのですか? 食べ物を……」
「いや、意味はわかる。食って腹を下す、あれのことだろう」
「あら、ご存じじゃないですか。でしたら生肉を召し上がっては駄目です。ちゃんとお待ちになっていてくださいね」
……恐れられる狂犬皇子を相手に、ズバズバと物申すレティシア。だが……ルークが怒りを露わにすることは一切なかった。
むしろ、どこか懐かしいものを見るような、穏やかな眼差しをレティシアに向けていた。
一方で、レティシアは粛々と調理を続けた。
背嚢に入っていたまな板代わりの木の板に、切り分けた赤身肉を乗せる。
そして、出刃包丁を二丁構えると、深く息を吸い込んだ。
静寂の雪原に、小気味良い音が響き渡った。
「何をしているのだ……?」
「お肉をミンチにしているのです」
「みん……ち? なんだ、それは……」
「見ての通り、刃で細かく叩き潰すことですわ。こうすることで筋繊維が断ち切られ、驚くほど滑らかで柔らかい食感へと変化するのです」
肉が粘り気を帯びてきたところで、レティシアは背嚢から数種類の野菜を取り出した。実家を去る際、厨房からしっかりと拝借してきた長葱、細かく刻んだ生姜、そして香りの強い根菜類である。
これらを肉の山に加えると、再び包丁でリズミカルに叩きながら、肉と野菜を一体化させていく。野菜の水分と香味が肉に練り込まれることで、特有の獣臭さは見事に消え去り、豊かな風味が加わっていくのだ。
「ふぅ……このくらいで良いでしょう。見事な『つみれ』の種の完成ですわ」
「……こんなぐちゃぐちゃしたもの、本当に食えるのか?」
「これで終わりではありませんよ。あ、ちょうどお鍋のお湯が沸いたようですね」
「!? い、いつの間に……」
「お腹をすかせた精霊さんたちが、手伝ってくれたようですね」
気づけば、いつの間にか傍らに焚き火が設えられていた。
鍋が掛けられ、中には水がたっぷりと張られている。
「……お前、こんな鍋を持っていたか?」
「はい。実家から持参したものですわ。あとは水と火の精霊さんが、お湯を沸かしておいてくださったのです」
精霊たちの力添えによって雪を溶かした鍋の湯が、コトコトと沸き立っていた。
彼女は手のひらで肉種を素早く丸めると、沸騰した湯の中へ次々と落としていく。
やがて、鍋の表面に灰色の泡――灰汁がふつふつと浮かび上がってきた。
「さあ、ここからが一番大切な工程ですわ」
浮き上がった灰汁を、レティシアが手際よくすくって捨てていく。
「おい……何をやっている? 肉を煮るとそれが出るのは知っているが……なぜ捨てるのだ?」
「これはお料理に苦みをもたらします。灰汁は悪! ですので捨てるのです」
レティシアは何度も何度も、根気よく灰汁をすくい捨てていく。
「……腹が減った。まだか? まだできないのか? そんなもの捨てずに放っておけばいいだろう」
「灰汁だけを丁寧に取り除けば、この上なく透き通った至高の出汁が引けるというのに……」
レティシアは木杓子を手に取り、鍋につきっきりになった。
スープをかき回さぬよう、表面に浮かび上がる灰色の泡だけを、すくい取るようにして丁寧に、何度も何度も取り除いていく。
根気強い作業の果てに、鍋の様子は劇的な変化を遂げた。
濁っていた湯は、黄金色に澄み渡った極上のスープへと変わり、丸められたつみれが、その中でふっくらと踊るように煮込まれている。
出汁の香りに、生姜と長葱の爽やかな風味が溶け合い、辺り一面に暴力的なほど食欲をそそる匂いが漂い始めた。
「さあ、仕上げにお塩で味を調えて……」
持参した岩塩をひとつまみ加え、味を見る。
レティシアの顔に、ふわりと会心の笑みが浮かんだ。
「完成ですわ。冷えた体を芯から温める、角兎特製の『つみれ汁』でございます!」
もうもうと湯気を立てる熱々のつみれ汁を木の器にたっぷりとよそい、彼女は振り返った。
ルークは度重なる理解不能な工程に若干げんなりしていたが、スープの匂いを嗅いだ瞬間、表情が一転する。
ごくり……と彼は生唾を飲むと、器を受け取り、たまらず一口啜った。
「!?」
続いて、彼はつみれを口に放り込む。
ほふほふ、と熱い息を漏らしながら咀嚼し……言う。
「……美味い。なんだ、なんだこれは……!?」
レティシアに注意された時は決してそうしなかったのだが、この時ばかりは初めて声を荒らげた。
「つみれ汁でございます」
「だから、なんだと言っている!? こんなふわふわの肉など食ったことがない! そもそも角兎の肉は筋張っていて食えた代物ではないはずだ!」
「ええ。ですので、お肉を細かく叩き刻んだのでございます」
「それに、あの酷い肉の臭みがまるでないぞ!」
「生姜などをすりつぶしたものを、お肉に混ぜ込んでおりますの。そうしますと臭みが消えるのですよ。あ、それとお体もぽかぽかしてきませんこと?」
レティシアは、待ちかねていた精霊たちにも小皿でつみれ汁をよそう。彼らは大喜びで料理を食べ、ずんどこと妙な踊りを踊り始めた。
すると……。
「あら、吹雪がやみましたわね」
「!?!?!?!?!??!!?」
ルークは器を持ったまま天を見上げ、本日何度目になるかわからない驚愕の表情を浮かべた。
「吹雪が……やむ? この過酷な時期に、そんなことあり得ないはずだ……」
「どうやら天気の精霊さんが、美味しいお料理の代金を払ってくださったようですね」
レティシアが事もなげにそう言うと、ルークは完全に黙り込んでしまった。そして……ただひたすらに、つみれ汁を啜る。
「……美味い」
「良かったですわ」
「……お前、どうやった? こんなに美味しいものを、一体どうやって? 加護もなく、そんなことができるわけないだろう」
すると、レティシアはふんわりと笑って言った。
「愛情を注げば、誰だって美味しいお料理が作れますのよ」
「……愛情……」
「ええ。まあ、出会ったばかりの女からそのようなことを言われても、ルーク殿下はお困りでしょうけれど」
するとルークは、レティシアの顔をじっと見つめて言った。
「ルークで良い。呼び捨てにしろ。俺もそうする」
「え? いや、お相手は皇族……」
「良いと言っている。二度言わせるな」
「はあ……」
ルークは精霊と一緒に、無言で鍋をつつく。最後の一滴まで平らげた彼は、ぽつりと言った。
「ごちそうさま」
と。レティシアが今度は驚く番だった。あの粗野な態度から、まさか食後にそんな律儀な言葉を口にするタイプだとは思ってもみなかったからだ。
「なんだ? 作って貰った相手への感謝を伝える言葉なのだろう?」
「え、ええ……そうですわ。よくご存じでしたね」
「ああ……。母から、教わった」
「まあ、とても素敵な御母様ですこと。いずれご挨拶せねばなりませんわね」
「……今度、墓に連れて行ってやる」
「ああ……失礼いたしました」
どうやらルークを産んだ母は、すでに他界してしまっているらしい。地雷を踏んでしまっただろうかとレティシアは焦ったが、意外にもルークの態度は落ち着いていた。
「片付けたら、出発だ。レティシア」
「はい、ルーク」
かくして、狂犬皇子と加護なし悪役令嬢は出会った。この出会いが、この極寒の国を、そしてそこに住む人々を、大きく変えていくことになるのだが……。
それはまた、別の話である。




