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12.店主、ケバブサンドに驚愕する

 屋台の奥にある簡素な厨房スペースへとやってきた、レティシア。

 まずは、空間の精霊がぶら下がっている小さな背嚢に手を突っ込む。


 精霊は目をキラキラと輝かせていた。また何かとびきり美味しいものを食べさせてくれるのだろうかと、期待に満ちた眼差しを向けてくる。


「ええ、任せて!」


 ぶらんぶらん、と精霊が嬉しそうに揺れ動く。空間収納が付与された背嚢から取り出したのは……小さな瓶が数種類。


「おいおい嬢ちゃん、なんだってんだそれ?」


「ヨーグルトと、数種類の香辛料です!」


「よー……なんだそれ?」


(あ、そっか。この国では、まだ発酵食品という概念すらないんだった……)


 エッゾでは、原始的な調理法しか普及していないのだ。当然、食品を発酵させて旨味や保存性を高めるという発想すら思いついていないのだろう。


(うーん……本当にもったいないこと! まあ、そのあたりはおいおいだね)


「ご主人、マトンを分けてくださいな」


「ああ、好きに使いな」


 店主は部屋の隅の木箱に入っている、マトンの枝肉を指さす。そこに入っている大量の肉を見て、レティシアや精霊たちの目がパァッと輝いた。


「でも、どうしてこんなにマトンが大量にあるのですか?」


「おれの実家が、羊をたくさん飼っててな。だが、長男しか『羊飼いの加護』を持って生まれなかったんだ。だから次男坊のおれは、実家を出て羊を使った商売をするしかねえってわけよ」


「ふーん……。加護が生まれながらにして人生を決めてしまうなんて、本当に窮屈な世界ですわね。別に、ご自身の自由に生きればよろしいのに」


 店主は「それが簡単に出来りゃあ、誰も苦労しねえって……」と弱々しく呟く。


「加護ってのは、俺たちにとって生きる力であり、運命の道なのさ」

「そうでしょうか。私は包丁やハサミといったお道具と一緒のような気がいたしますけれどね。結局は、それを持つ人の使い方次第ですわ!」


 背嚢から、レティシアは包丁を取り出す。精霊がぶら下がったその特別製の包丁を使って、マトンの肉を手際よく削ぎ落としていく。


 小瓶をぱこっと開けると、店主がその中身を見て怪訝そうに首を傾げた。


「それがヨーグルト……? おい嬢ちゃん、そんな白くてドロドロした、酸っぱい匂いのする汁を、いったいどうするってんだ?」


 覗き込んできた店主が露骨に顔をしかめるが、レティシアはふふっと微笑むだけで手を止めない。

 手際よく薄切りにした大量のマトンを大きなボウルに入れ、そこへヨーグルトと香辛料で作った特製ダレを惜しげもなく投入し、両手でしっかりと揉み込んでいく。


「なんだ、肉を洗ってるのか?」


「違います。これは下処理というものですの。ヨーグルトの酸が、お肉の繊維をほぐして驚くほど柔らかくしてくれますのよ。それに、香辛料がマトンのクセのある匂いを完全に打ち消して、食欲をそそる素晴らしい香りに変えてくれるのです!」


 十分に味が馴染んだところで、レティシアは次の工程に移る。


 タレに漬け込んだ薄切りのマトンを、屋台にあった極太の鉄串に、一枚一枚、ギュッギュッと幾重にも重ねて突き刺していくのだ。


「お、おいおい、いくらなんでも刺しすぎだろ……肉を……。それに、串焼きにするなら、もっと肉を厚めに切った方が……」


「ただの串焼きにするわけではありませんから、大丈夫ですわ!」


 やがて鉄串には、まるで巨大な肉の塔のような、ずっしりとした肉の塊が出来上がった。


「おいおいおいおい……こりゃいくらなんでも、デカすぎだろ……こんなもん重くて持って歩けねえぜ」


「持ち歩き用に、お肉を串に刺したわけではありませんから。さあ、焼きに行きましょう!」


 レティシアがひょいっと軽々と、巨大な肉の塔を持ち上げる。串には精霊達がわらわらとくっついていて、「わっせいわっせい」と一緒に運んでくれているのだ。店主は「嬢ちゃん、見かけによらずすげえ力持ちだな……」と驚愕していた。


 レティシアは、華奢で可憐な少女だ。腕力や体力はあくまで人並みである。しかし、彼女は精霊に深く愛されている。精霊たちは、彼女にずっと元気で居て欲しい(とびきり美味しいご飯を作ってくれるから)。だからこそ、精霊達はレティシアの体が普通以上に頑強であるようにと、常に寄り添い、その体を魔法の力でサポートしてくれているのだ。


 やがて、店先へと戻ってきたレティシアたち。


「遅かったな」


 と、店先ではルークおよびヒュースが、彼女の帰りを待っていた。また、騒ぎを聞きつけたのか、野次馬の見物人達が周囲にぐるりと集まっている。


「おまたせいたしました!」


 片腕で、巨大な肉塊を堂々と持ち上げるレティシア。


「な、なんだぁ……ありゃあ……」「巨大な串焼き……?」「あんなの、重くて持って歩けねえぜ……?」


 どうやら見物人たちは皆、店主と同じようにこれが『完成品』だと思っている様子だ。


 レティシアは、屋台に備え付けられていた火の魔道具の前に、その巨大な肉の塔を垂直にセットした。

 魔道具から噴き出す強火の熱を当てながら、肉の塔をくるくるとゆっくり回して、均等に炙り焼きにしていく。


 ジューーーーーッ!!


 タレをたっぷりと吸い込んだ肉の表面が熱され、滴り落ちたマトンの脂が火に触れて、爆発的な香りが弾けた。


「……な、なんだ、この匂いは……っ!?」


 店主が、思わずゴクリと大きな音を立てて生唾を飲み込んだ。

 彼だけではない。ヨーグルトのまろやかさと、幾重にも重なる香辛料の複雑な風味。そして、豪快に炙られた羊肉の暴力的な旨味の匂いが、通り一帯へと一気に広がっていく。


「な、なんだこのすげえ良い匂いは……!」

「腹が鳴ってしょうがねえぞ……!」


 街の人たちが、たまらず匂いにつられて屋台の前に群がり始めた。

 ルークでさえも、腕を組みながらピクピクと鼻腔をひくつかせ、無言で肉の塔をじっと見つめている。


 ジュワァァ……パチパチッ。


 肉の表面がこんがりと焦げ目をつけ、カリッと香ばしく焼き上がった。

 その絶好のタイミングを見計らい、レティシアは手にした鋭いナイフを滑らせる。


 シャッ、シャッ!


 焼き上がった表面の肉だけを、削ぎ落とすように薄く切り分けていく。

 削ぎ落とされた肉の内側からは、まだ火の通っていない柔らかな赤い肉層が顔を出し、それが再び火に炙られていく仕組みだ。


 レティシアは切り落としたばかりの熱々の肉片を、背嚢から取り出した薄焼きのパン(ピタパン)にたっぷりの千切りキャベツと共に挟み込み、仕上げにヨーグルトとニンニクで作った特製ソースを回しかけた。


「お待たせいたしましたわ! エッゾの特産マトンを極限まで美味しくした、『特製ドネルケバブ』の完成です!」


 肉汁とソースが滴る、見るからに食欲を暴走させる未知の料理。

 レティシアは、一番にそれを作らせてくれた店主へと、自信満々の笑みと共に差し出した。


    ◇


 店主アスターは、羊飼いの家に生まれた。彼の一族は代々エッゾで羊を飼い、その肉や毛を売って生きてきた。

 一族のなかから『羊飼いの加護』を得て生まれた者が、その家を継ぐ。たとえ長男であろうと、その加護がなければ家は絶対に継げないのだ。


 彼の代は、長男が無事に加護を引いた。残る兄弟たちは、おのずと自分の生き方を選択せざるをえなかった。


 アスターは幼い頃から羊飼いの手伝いをして育ち、自分も当然そうなるものだと思っていた。だが、彼には羊飼いの加護がないことが無情にも判明した。家は継げない。


 彼は、ひどく悔しかった。加護がないというただそれだけの理由で、家を継げない。長年親しんだ家を出て行かないといけないなんて。己の理不尽な運命を深く呪った。だが次第に、周囲の環境に流され、こう思うようになっていった。


運命かごは、絶対なのだ』と。


 ……彼自身は【直感】という加護を持っていた。これは、人より少しだけ直感が鋭くなるという、ただそれだけの加護だ。

 しかし彼のその加護のおかげで、エッゾの都にきて羊の串焼き屋をはじめたところ、これがなかなかに当たった。

 

 おかげで家庭を持ち、自分の店を構えることができたのだが……。最初は順調だったものの、次第に経営に深刻な陰りが見えてきた。


 理由は二つ。一つは、客が単調な味に飽きたこと。そして……真似をする競合他社が増えてきたこと。

 串焼きは美味しく、食べ歩きが出来る。それが爆発的な人気を生んだのだが、自分も儲けようと真似をする連中が次々と増えてきたのだ。


 結果、自分の店の串焼きの売り上げが落ちてきた……という訳だ。


 しかたない、これもまた俺の運命だ……そう、静かに諦めていた。そこへ突如として現れたのが、この不思議な少女だった。


「さあ、どうぞっ。ドネルケバブですっ」


「ど、どね……なんだって……?」


 見たこともない料理だった。パンらしきものに、マトンを削り落とした肉を挟み、謎のソースをたっぷりとかけている。


(こんな羊料理……みたこともねえ……)


 肉と言えば、焼くか煮るのどちらかの調理法しかしない。串に刺して削り落とすなんて発想、一体今まで何を食べて生きてきたら思いつくというのか……。


 食う……。


 ぐぅう……。


「…………」


(なんて、美味そうな匂いしやがるんだ……)


 スパイシーな香りが、理性を吹き飛ばすほど食欲をそそる。彼は……がぶりと、パン、肉、野菜をまとめて豪快にかぶりついた……。


 しゃくっ。


「う、うめえ……!」


(そ、ソースがぴりっと辛い……! だが、そのピリ辛がたまらなくいいっ! 食欲をさらに限界までそそりやがる! 薄く削ぎ落とされた肉も食べやすいうえに、驚くほど柔らけえ! そして、何よりこのパンと野菜。これらが肉とソースの暴力的な味を、見事にまろやかにしてやがる!)


 肉を食べるとパンが食べたくなり、そしてまた肉を食べたくなる……。

 恐ろしい無限ループだ。いつの間にか、アスターはぺろっと巨大なケバブサンドを一つ食べ終わってしまっていた。


「じょ、嬢ちゃん……! い、一体どんな魔法を使ったんだ!?」


 あり得ないのだ。羊肉といえば独特なクセがあるもの。どうやっても、その臭みは絶対に消えないはずだった。


 だが、彼女の作ったケバブサンドからは、そのクセというものが完全に消え失せている。

 否、マトンならではのワイルドな味わいと旨味はそのままに、嫌な臭みだけが綺麗に消え去っているのだ。


 羊肉は、クセがあるもの。くさいもの。そう、生まれながらに運命は決まってるはずなのに……


「魔法なんて、一切使っておりませんよっ。ただ、」


「ただ?」


「『一生懸命、美味しくなーれ』って、ただそれだけを強く思いながらお料理を作った。本当にそれだけですわ」


「!? そ、それだけ……う、うそだ!」


 アスターは、思わず声を荒らげてしまう。


「思い一つで、決まりきった運命が変わるとでもいうのかよ!?」


「ええ、変わりますわよ」


 アスターの怒声。しかしレティシアは、優しく、それでいて揺るぎない強さで頷き、それを受け止める。


 ……レティシアの白く細い首元には、加護の等級を示すチョーカーが巻かれていない。

 つまり、レティシアは『加護を持たない人間』のはずなのだ。


 ……アスターよりもずっと、過酷で理不尽な運命に身を置いているはずの彼女。

 そんな彼女が……こんなにも素晴らしい、魔法のようなマトン料理を作って見せた。


 努力次第で、運命は変えられる。

 口で言うのは簡単だ。だが実際には無理なのだ。いくら足掻き努力したって、絶対に変えられないものがある。


 ……はずだった。でも……。


「嬢ちゃんは……加護がないのに、どうしてこんなに美味い料理が作れるんだよ」


「だから言ったでしょう? 一生懸命、美味しくなるように手を尽くしただけですわ。最後まで、決して諦めずにね」


「………………」


(諦めずに……か)


 アスターは、自身の過去を振り返る。そういえば、実家を出るってなった時、彼は『運命』の示すままに、何の疑問も持たずに行動した。

 運命に抵抗しようなどと、一度も思わなかった。


 自分には加護がないからと決めつけ、羊飼いには絶対になれないと、そう思った。思い込んだ。自ら諦めた……。


「おれも、料理人のはしくれだ。おれにはわかる……あんた、この美味い料理、何度も何度も試行錯誤して作ったんだな」


「ええ、もちろん!」


 屈託のない、レティシアの晴れやかな笑顔。嫌みをまるで感じさせない。きっと料理が本当に、心底好きなのだろう。そして、食べてくれる誰かのために「美味しくなるように」と、本気で工夫を凝らしたに……違いないのだ。


「……おれの、負けだよ」


(おれは、運命は決まっていて絶対に変えられないもんだって、それで言い訳をして諦めた。でも……この嬢ちゃんは違う)


 加護がなくとも、魔法のような料理を作り上げた。証明してくれたのだ。加護なしの、か弱い少女が。

 運命なんて理不尽なものを、華麗な手際で鼻で笑って見せたのだ。


「完全におれの負けだ。マトンは……こんなに美味くできるもんなんだな」

「そうですわ! まだまだ、もっともっともとぉおおっと、美味しくできるんですからねっ!」


(この嬢ちゃんが言うんだから、きっと本当にそうなんだろうな)


 アスターは目を上げる。その目に……誇り高きレティシアの姿が映っている。しかし最初と違って、加護なしの哀れなクズではなく、己の力で運命に抗う、立派で美しい女性に見えていた。


「嬢ちゃん。さっきは酷いことを言って、本当にすまなかったな」

「いえ、全く気にしておりませんわ! あ、お詫びといってはなんですが、そこのマトン、私に譲ってくれませんこと? これからも定期的に買いに来たいなと思いまして! とっても新鮮で、本当に美味しかったですから!」


「ああ! いつだって来な!」


 レティシアの料理を食べて、アスターは心底晴れやかな笑顔になった。そして……決意を新たにする。


(もう……生まれ持った加護のせいにするのはやめだ。おれも……新しいこと、ここで始めてみっかな)


「嬢ちゃんのこのケバブサンド、おれんとこでも売っていいかい?」

「もっちろんですわ! あ、レシピはですね――」


(あんな値千金の料理のレシピを、こんなに簡単に教えてくれるなんて……)


 アスターは、心底感心したように呟く。


「ほんと、すげえ嬢ちゃんだ……」


 すると、狂犬と恐れられるルーク皇子が、まるで自分のことのように嬉しそうに笑うと、静かに頷いた。


 正面に立つアスターだけが、彼のその穏やかな表情に気づくことができた。


「そ、そういや嬢ちゃん……あんた、どうしてルーク皇子殿下と一緒に?」


「あ、私この度、ルークのお嫁さんとして嫁いでまいりました、レティシアと申します。どうぞよろしく!」


「は、はは……なるほどなぁ……ただものじゃあねえって思っていたが……本当に、とんでもねえただものじゃなかったわけだ」


「え? 何を仰っているんですか」


 レティシアはレシピを書き終えた羊皮紙を渡すと、不思議そうな笑顔で言う。


「私はただの、加護なしが理由で他国に放り出された、哀れなただのよそ者ですわよ」


 アスターは、心の底からおかしそうに、大声で笑うと……。


「あんたのような『ただのよそ者』が、この世に居るわけねえだろっ」


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