第8話 外科医と聖女 ― 世界初のハイブリッド手術
【前回まで】腸間膜動脈閉塞。開腹し、壊死した腸を切除する――輸血も集中治療もない世界で。
頼れるのは、聖女エリスの光だけである。
この世界の医療に決定的に欠けていたのは、薬でも道具でもなかった。
「順番」である。
手術台は、村の食卓だった。
煮沸した布を敷き、松明を三本立て、湯を絶やさぬよう女たちが交代で運ぶ。器具は鍛冶屋に打たせた。焼いて、冷まして、また焼いた。
完璧には、程遠い。
だが前世のどんな手術室より、この場にいる全員が、真剣だった。
手術は、三時間に及んだ。
詰まった血栓を掻き出し、血流の戻らない腸管を切除し、健康な断端同士を縫い合わせる。エリスは俺の指示通り、縫合が終わった箇所にだけ、絞ったヒールを重ねていく。
エリスの指は、震えていた。
当然だ。彼女はこれまで、開いた腹の中を見たことがない。人の内側がこんなにも赤く、こんなにも動き続けているとは、知らなかったはずだ。
それでも彼女は、一度も目を逸らさなかった。
「──信じられない……縫い目が、その傍から馴染んでいく……」
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【VINDICATE】吻合部 血流:良好 〈吻合部=腸を切って繋ぎ直した継ぎ目。血が通っている〉
組織再生速度:通常の約12倍
【アナリティクス】新規知見を記録:〈ヒール併用手術〉
・術後感染リスク:推定 −85%
・回復期間:推定 1/10
結論:回復魔法の最適な適応は「治癒の代替」ではなく「治癒の増幅」である
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(──これだ。魔法は医学の敵じゃない。世界最高の術後管理システムだ)
夜明け前。バルドス団長の脈は、力強さを取り戻していた。
診療所の裏で、エリスは井戸水で血を洗いながら、ぽつりと言った。
「……私は、六歳で教会に引き取られました。光の魔力が強い、それだけの理由で『聖女』にされた。祈って、癒やして、感謝されて──でも、救えない人はいつも『信仰が足りない』か『呪いが深い』かで片付けられた。……本当は、ずっと怖かった。私の光が届かない病があることを、認めてしまうのが」
「あんたのせいじゃない。知識が無かっただけだ。そして知識は、今日から増やせる」
「………貴方は、変な人ですね。異端と罵られても、追放されても、少しも折れない」
「折れてる暇がない。やることが多すぎる」俺は指を折って数えた。「手洗いの標準化、看護人材の育成、薬草の在庫管理、死亡記録の台帳整備、水路の工事監督──」
エリスが、小さく吹き出した。初めて見る、聖女ではない、年相応の女性の笑顔だった。
血と井戸水に濡れた顔で笑う彼女を見て、俺は初めて気づいた。聖女という肩書の奥に、失敗を恐れ、それでも学ぶことを選んだ一人の治療者がいる。
俺が欲しかったのは、奇跡を起こす部下ではない。結果が悪い時にも隣で考え続けられる相棒だった。
「──決めました」
彼女は立ち上がり、まっすぐに俺を見た。
「教会には、辺境の医療実態の『長期調査』が必要だと報告します。私はしばらく、ここに残る。……剣崎アラタ。私に、貴方の医学を教えなさい。私の光の、正しい使い方を」
こうして、フロンティア診療所に二人目のスタッフ──史上最強の「回復術士」が加わった。
俺は「帳簿」を開き、組織図を更新する。
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【レジャー】フロンティア診療所 組織編成
診断・外科:アラタ/回復・術後管理:エリス
看護チーム:村の女性5名(教育中)/衛生管理:元・祈祷師(転職)
評判値:地域内 ★★★★☆(急上昇中)
特記:騎士団長救命により、辺境伯の全面的後援を獲得
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診療所は増築され、病床が並び、近隣の村からも患者が来るようになった。エリスの教育は驚くほど速く、彼女は一月でトリアージと清潔操作を完璧にこなすようになった。
すべてが、上向きだった。
──だからこそ、俺は忘れかけていた。
王都が、俺を「追放した」ことを。そして王都には、俺のいない医療しか存在しないことを。
その冬の初め。雪を蹴立てて、王家の紋章を付けた早馬が診療所に駆け込んできた。転がるように降りた使者は、俺の顔を見るなり、雪の上に土下座した。
「け、剣崎殿……! 何卒、何卒王都へお戻りください……! 国王陛下が、倒れられました!」
(王都。俺を捨てた街)
(――上等だ。今度は、こちらが条件を出す番だ)
【今回のカルテ】
魔法併用手術:本作では、外科で原因を除き、魔法で治癒を増幅する設計である。
【たとえるなら】外科が"詰まりを取る配管工"なら、回復魔法は"乾かして固める乾燥機"。順番を逆にすると、汚れごと固めてしまう。
【次回】第9話「王都の土下座 ― されど患者に貴賤なし」
追放した男に、王国が頭を下げる。だがアラタが最初に要求したのは、王への謁見ではなかった。




