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聖女様、その回復魔法では患者が死にます ~45歳の外科医が異世界転生したら、チートは『診断』『統計』『経営』でした~  作者: 東雲 諒杏
第一章 辺境の開業医(第1〜10話)

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第7話 痛みは嘘をつかない ― 見えない死神


【今回の症例】腹の激痛。だが押してもさほど痛がらない。脈はバラバラ。

 痛みと所見が食い違う時、教科書は何を疑えと言うか。



 医者が本当に恐れるのは、派手な症状ではない。


 症状と所見が、噛み合わないことだ。


 嘘をついているのは、たいてい所見の方である。


 騎士団の宿舎に駆け込んだ時、俺が最初に見たのは、患者ではなかった。


 その周りの、顔だ。


 部下たちが、遠巻きに立っている。誰も近寄らない。


 ――重症の患者から人が引くのは、どの世界でも同じだ。触れれば、責任が生じるからである。


 騎士団の宿舎。ベッドの上で、巨躯の騎士団長バルドスが脂汗を流し、のたうっていた。


「腹が……焼ける……!」


 従軍神官が肩をすくめる。「腹を押しても、大して痛がらんのです。仮病か、悪くて食あたりかと」


 俺は団長の手首を取った。脈が──バラバラだ。速く、不規則。


────────────────


【VINDICATE】対象:バルドス(52)


脈:絶対性不整脈(心房細動)

 〈心臓が不規則に震え、脈がバラバラになる状態。心臓の中に血の塊ができやすい〉

腹部:平坦・軟、圧痛は軽度 〈押しても、さほど痛がらない〉

疼痛スケール:10/10 ── 所見との著明な乖離

 〈本人の痛みは最大級なのに、診察所見が軽すぎる。この食い違いが最大の危険信号〉


V血管性:◎◎◎ 〈原因は血管にある可能性が極めて高い〉


最有力:上腸間膜動脈塞栓症

 〈心臓でできた血の塊が飛び、腸へ血を送る動脈に詰まった状態。腸が窒息していく〉

無処置時転帰:24時間以内に腸管全壊死 → 死亡率 ほぼ100%

 〈腸が全て死ぬ。放置すれば、まず助からない〉

推奨:緊急開腹


────────────────


 (心臓の不整脈で出来た血の塊が飛んで、腸の血管に詰まった。腸は今この瞬間も、窒息して死んでいってる。触って痛くないのは、まだ腹膜まで炎症が及んでないだけ──手遅れになる直前の、偽りの静けさだ)


「団長の腹を、今から開く」


「「「はあ!?」」」


 宿舎が騒然となった。「傷一つないのに腹を裂くだと!」「殺す気か!」


 怒号の奥で、バルドスの呻きだけが急に弱くなった。


 痛みが消えたのではない。腸が死に始め、叫ぶ力まで失われている。静かになった患者を「良くなった」と誤解する時が、最も危険である。


「反対するなら後で聞く。今は一分ごとに、この人の腸が死ぬ」


 その時だった。


「──お待ちなさい」


 凛とした声。宿舎の入り口に、旅装の女性が立っていた。フードの下から零れる金の髪。


 聖女エリス。


「エリス様!? なぜ辺境に……」


「教会の巡回査察です。……剣崎アラタ。また貴方は、刃で人を救うつもりですか」


 俺は目を逸らさなかった。「ああ。だが今回は、あんたが必要だ」


「……何ですって?」


 バルドス団長は、五十二歳だった。


 娘が三人いて、末娘の結婚式が来月なのだと、部下の一人が震える声で教えてくれた。


 俺はその情報を、意識して脇へ置いた。感情は、判断を鈍らせる。


 ――だが、忘れはしない。忘れたら、俺が何のためにここにいるのか分からなくなる。


「開腹して、詰まった血の塊を取り除き、死んだ腸を切って繋ぐ。だがこの世界には輸血も集中治療室もない。術後の体力が保たない。──あんたのヒールがあれば、話は別だ」


 エリスの瞳が揺れた。


「傷を塞ぐ前に、悪いものを取り除く。俺が『中』を治す。あんたが『治る力』を後押しする。……王都であんたに言ったな。膿に蓋をするヒールは毒だと。だが正しい順番で使うヒールは、この世界最強の医療資源だ」


「………」


「聖女エリス。あんたは十二回祈って、王女を救えなかった夜のことを、まだ覚えているはずだ。……もう一度聞く。あんたの望みは、教義か。目の前の命か」


 エリスは、ゆっくりとフードを下ろした。そして、袖をまくり上げた。


「──手の清め方を、教えなさい。貴方の流儀で」


 三十分後。松明の灯りの下、消毒した机の上で、異世界初の「外科医と聖女の合同手術」が始まった。


 開いた腹の中──暗赤色に変色し、壊死しかけた小腸。息を呑むエリスに、俺は静かに言った。


「これが、あんたの光が届かなかった場所だ。……ここからは、届かせる。始めるぞ」


 ――その夜、俺は新しい帳面の一行目に、こう書いた。


 〈症例001:術者、剣崎アラタ。助手、聖女エリス。この世界で最初の一件〉


 百年後、この帳面が何と呼ばれることになるかは、まだ誰も知らない。



【今回のカルテ】


痛みと所見の乖離:見た目に比べて痛みが強すぎる時は、血流障害などを疑う。


【たとえるなら】腸への血流が止まるのは、指を輪ゴムできつく縛るようなもの。外から見えなくても、中では時間が尽きていく。


【次回】第8話「外科医と聖女 ― 世界初のハイブリッド手術」

 「傷を塞ぐ前に、悪いものを取り除く」。聖女の光が、初めて正しい順番で使われる。


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