第4話 追放される外科医、微笑む
【前回まで】王女の命を救った代償は、裁きの間。
――ここから、この物語は「追放もの」になる。
左遷を告げられた人間の反応は、だいたい三つに分かれる。
怒る。腐る。あるいは──市場を調べ始める。
俺は、三番目だった。
◇
裁きの間の石の床は、氷のように冷たかった。
膝をついてから、半刻。冷たさは膝から腰へ、腰から背骨へと這い上がってくる。
前世の会議室にも、これとよく似た空気があった。結論はとうに決まっていて、あとはそれを読み上げる手続きだけが残っている――あの空気だ。
罪状:王族傷害、および教義への冒涜。
神官長が、朗々と読み上げる。
「本来なら死罪。しかし王女殿下の回復に免じ、恩情をもって──北の辺境、フロンティア領への永久追放とする!」
(……なるほど。命を救われた事実は、消せない。だが教会の権威のためには、俺を"なかったこと"にする必要がある、と)
前世でも、散々見た。組織の論理が、正しさを潰す瞬間を。
「何か申し開きはあるか、罪人よ」
俺は顔を上げた。そして──笑った。
「一つだけ。感謝を申し上げたい」
ざわめく法廷。
「王都の施療院の記録を、この三日で読ませてもらった。過去十年の死亡記録、およそ四千件。俺のスキルで集計したところ──その四割が、適切な処置なら防げた死だ」
俺は、指を折って数え上げた。
「産褥熱。外傷後感染。脱水。原因の大半は、汚れた手と、汚れた水と、『呪い』という名の思考停止」
────────────────
【アナリティクス】王都施療院 死亡記録 n=4,127
回避可能死亡推定:41.3%(95%信頼区間 38.9–43.7)
〈回避可能死亡=間に合っていれば助かったはずの死〉
〈95%信頼区間=「本当の値は、ほぼこの幅の中に収まる」という誤差の範囲〉
────────────────
「この王都で、俺は永遠に『異端』だ。何を言っても教会が潰す。だが辺境なら──ゼロから、正しい医療を作れる」
俺は、居並ぶ貴族たちを見渡した。
「データを取り、人を育て、仕組みを作る。十年後、どちらの領地で人が長生きしているか、比べてみるといい」
「き、貴様……追放されるというのに、なぜ笑っていられる!」
「なぜ?」
俺は立ち上がり、膝の埃を払った。
「左遷先で新規事業を立ち上げるのは、二度目だからだ」
◇
法廷の隅で、聖女エリスがじっと俺を見ていた。
何かを言いかけて、しかし言葉を飲み込むように、固く唇を結んで。
その菫色の瞳には、反発ではなく迷いがあった。
王女を救った針を認めれば、自分が信じてきたものが揺らぐ。それでも彼女は、俺から目を逸らさなかった。
敵ではない。まだ、同じ答えに辿り着いていないだけだ。
◇
三日後。俺は護送馬車に揺られ、北の果てへと運ばれていった。
フロンティア領。人口およそ八千。冬は長く、医者はゼロ。
乳児の三人に一人が、五歳を迎えられずに死ぬ土地。
馬車の中で、俺は視界に「帳簿」を展開する。
────────────────
【レジャー】起業計画:フロンティア診療所(仮)
初期資本:銀貨30枚(全財産)
資産:医学知識、統計スキル、経営スキル、両手
市場環境:競合ゼロ/需要無限/支払能力極小/信用ゼロ
推奨戦略:フリーミアム型地域医療
まず無料で「見える成果」を出し、信用を獲得せよ
────────────────
(さて──開業だ)
◇
道中、御者は退屈しのぎに、よく喋る男だった。
「罪人さんよ、北ってのはひでえところだぞ。冬は三月も雪だ。医者もいねえ」
「知ってる」
「知っててその面か。変わってるねえ、あんた」
男は鼻を鳴らし、それから思い出したように付け加えた。
「ああ、そうだ。もっと北にはな、イルガとかいう連中が住んでてよ。あいつら、腐ったパンの青カビを、傷に貼るんだと。野蛮だろ」
俺は笑って、聞き流した。
その一言の意味を理解するまでに、俺はこの世界で、数年を費やすことになる。
◇
馬車が止まる。扉が開き、突き刺すような北風と共に、御者が面倒くさそうに言った。
「着いたぞ、罪人さん。……ああ、それと。村に入るなら気をつけな。今あそこは流行り病で、棺桶が足りてねえそうだ」
──上等だ。
俺の異世界二度目のキャリアは、パンデミックの真っ只中から始まった。
馬車が村の外れに入ると、道端に子どもが二人、しゃがんでいた。
痩せていた。目だけが、異様に大きい。
彼らは俺を見ても逃げず、ただ、じっと見上げていた。鼻が垂れているのに、拭う元気もないらしい。
(……ここが、俺の新しい病院だ)
【今回のカルテ】
回避可能死亡:適切な医療体制があれば防げた可能性のある死。
【たとえるなら】回避可能死亡とは、"間に合っていれば助かったはずの死"を数えた数字。事故統計に「防げた事故」の欄を作るのと同じである。
【次回】第5話「辺境開業、初日の患者はゼロ人」
医者ゼロ、信用ゼロ、患者ゼロ。異世界の開業医が最初に売るのは、薬ではなく「信用」である。




