表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
聖女様、その回復魔法では患者が死にます ~45歳の外科医が異世界転生したら、チートは『診断』『統計』『経営』でした~  作者: 東雲 諒杏
第一章 辺境の開業医(第1〜10話)

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/45

第3話 聖女の祈りと、四センチの境界線

【今回の症例】腹の激痛、五日間。宮廷医も神官も治せない。聖女の回復魔法は、十二回、効かなかった。

 効かないのには、たったひとつの理由がある。


 人生で最も危険な発言をする前、俺は必ず自分の脈を数える。


 脈が乱れていなければ、その発言は感情ではなく、判断だ。


 ――脈拍、七十二。


    ◇


 王宮の寝室に入った瞬間、鼻が悲鳴を上げた。


 香を焚きすぎている。祈祷用の白檀が天井近くで層になって漂い、その下に、隠しきれないものが沈んでいた。


 ――膿と、脂汗と、尿の匂い。


 病室の匂いを、香で覆い隠そうとする文化。それだけで、この国の医療のすべてが分かった。


 天蓋付きのベッドには、第二王女ソフィア。


 脂汗を流し、左の下腹部を押さえて呻いている。発症から、五日。並みいる宮廷医と神官が、なすすべなく立ち尽くしていた。


 そして枕元には、白と金の法衣をまとった女性がひとり。


 金色の髪。凛と張り詰めた、それでいてどこか疲弊した横顔。


 王国教会の筆頭聖女──エリス。


 十二度目の祈りだというのに、その横顔に傲慢さはなかった。


 あったのは、救えない理由を誰にも教えてもらえない者の疲労と、王女を失うことへの恐怖だけだ。


 だからこそ、俺は彼女を責めるのではなく、止めなければならない。


「大いなる光よ……ハイ・ヒール」


 まばゆい光が、王女を包む。


 だが。


────────────────


【VINDICATE】対象:ソフィア王女(11)


体温39.2℃/脈拍122/血圧低下傾向 〈熱が高く、脈が速く、血圧が下がり始めている〉

左下腹部限局痛、反跳痛(+)

 〈反跳痛=押した手を離した瞬間に、より強く痛む。腹の中で炎症が起きている証拠〉


V血管性:△ I感染性:◎ N腫瘍性:△……

 〈原因の種類を頭文字で並べ、可能性の高いものに印をつける絞り込み表。今回は「感染」が最有力〉


最有力:腹腔内膿瘍形成 〈腹の中に、膿の詰まった袋ができている〉


膿瘍径:5.2cm ── 閾値4cm超過

 〈四センチを超えた膿の袋は、体の力では吸収しきれない〉

魔法・薬物での治癒:不可。ドレナージ必須

 〈ドレナージ=針や管を刺して、中身を外へ抜くこと〉


────────────────


 (……四センチの境界線、か)


 膿の袋が小さければ、身体は自力で吸収できる。だが四センチを超えると、外へ出す以外に道はない。


 これは信仰の問題ではない。物理の問題だ。


 俺は、進み出た。


「聖女様。その光、何度かけました?」


 エリスの菫色の瞳が、鋭く俺を射抜く。


「……五日間で、十二回。書記官風情が、何の用ですか」


「十二回かけて、熱が下がらない。なぜだと思います?」


「王女殿下の……お苦しみが、それだけ深い呪いだからです」


「違う。呪いなんてものは、この世に存在しない」


 室内が、凍りついた。俺は構わず続ける。


「殿下の腹の中には、膿の袋がある。直径、五センチ。あんたのヒールは組織の再生を早める素晴らしい魔法だ。──だが、再生した組織はその袋に蓋をする。膿は外に出られず、毒は血に回る」


 俺は、彼女の目を見た。


「つまり聖女様。あんたは善意で、殿下の容態を悪化させている」


「──無礼者ッ!!」


 神官長が吼えた。


 だがエリスは、動かなかった。その指先が、微かに震えていた。


「……もし。もし、貴方の言う通りだとして。どうするのです。聖なる御身体に、刃を?」


「刃じゃない。針だ」


 俺は、指を一本立てた。


「太い針を一本、袋に刺して、悪いものを全部抜く。それだけで殿下は今夜、眠れるようになる」


 俺はエリスの目を、まっすぐ見た。前世で何千回も繰り返した、インフォームド・コンセントの姿勢で。


「聖女様。あんたの一番の望みは、教義を守ることか? それとも──この子が助かることか?」


 長い、長い沈黙。


 やがてエリスは目を伏せ、囁くように言った。


「………手を、清めなさい。私が、見届けます」


    ◇


 処置は、三分で終わった。


 突き立てた針から、悪臭を放つ膿が噴き出す。神官たちの悲鳴。


 そして──みるみる和らいでいく、王女の表情。


 王女ソフィアは、十一歳だった。


 五日間、彼女は一度も泣かなかったという。「王家の者は、痛みを人に見せてはならぬ」と教えられていたからだ。


 膿が噴き出したその瞬間、その子はようやく、年相応の顔で泣いた。


「…………痛くない。お腹が、熱くない……」


 その夜、王女ソフィアは、五日ぶりに深く眠った。


 俺は廊下で、壁にもたれて座り込んだ。手が、少し震えていた。


 (……久しぶりだな、この感覚は)


 二十年やっても、慣れることはない。人を救った後には、必ず、遅れて恐怖が来る。


 もし違っていたら。もし針が別の場所を突いていたら。


 その恐怖が来なくなった医者から、順に人を殺し始める。


    ◇


 だが翌朝、俺を待っていたのは感謝状ではなかった。


 王宮に響き渡ったのは、神官長の怒声だった。


「王族の御身体を刃物で穢した大罪人、剣崎アラタを捕らえよ!!」


 牢へ引き立てられながら、俺は考えていた。


 (正しさは、それ自体では人を救わない)


 (救うのは、正しさを"通す仕組み"の方だ)


 ――なら、作るしかない。この世界に、まだ存在しないそれを。



【今回のカルテ】


膿瘍とドレナージ:膿の袋が大きい場合、針や管で排出する処置が必要になる。


【たとえるなら】膿の袋は、風船に溜まった汚水である。外から治す力をいくら注いでも、袋そのものは消えない。針を刺して、抜くしかない。


【次回】第4話「追放される外科医、微笑む」

 死罪、あるいは永久追放。判決を聞いたアラタは、なぜか笑った。「左遷先で新規事業を立ち上げるのは、二度目だ」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ