第34話 もう一人の転生者
【今回の対決】同じ国から来た、同じ知識を持つ男。
違うのは目的ではなく――配り方だった。
異世界で最も手強い敵は、悪人ではない。
自分と同じくらい正しい理屈を持った、もう一人の善人だ。
商会の門前の行列は、五百人を超えていた。
抱えられた老人。布にくるまれた赤ん坊。並んでいる者の半分は、去年まで俺の同盟の診療所を頼っていた人々だった。
(……責められるか? 効くと言われた薬に、並ばずにいられる親が、どこにいる)
南への帰路は、行きの半分の日数で駆けた。
俺たちが辿り着いた王都は、変わり果てていた。
大通りには、白い法衣を纏った信徒たちが行列を作っている。彼らが崇めているのは、教会でも聖女でもない。一人の商会の門だった。
「聖医ヤシロ様の、白き粉を!」
「これさえあれば、どんな病も!」
そして──俺は、その商会が売る「白き粉」の一包を手に入れ、匂いを嗅いだ瞬間、確信した。
────────────────
【VINDICATE】検体:白き粉
主成分:青カビ由来の抗菌物質(粗精製)
──俺たちが北で見つけたものと、同種
純度:低い/不純物:多い/用量表示:なし
────────────────
「……同じものだ」俺は呻いた。「だが、こっちは──なんの制限もなく、万病の薬として売られている」
(風邪にも、腹痛にも、頭痛にも。効かない病に、片っ端から。──最悪の使い方だ)
俺は、その足で商会に乗り込んだ。
そして、奥の間で、その男に会った。
絹の衣。整えられた黒髪。四十そこそこの、洗練された物腰の男。彼は俺を見るなり、笑った。
日本語で。
「──やっぱり。あんたが"医神"か。同じ日本人だろ?」
懐かしい言葉の響きだけで、胸の奥が不意に緩んだ。
味噌汁の匂いも、駅の発車音も、深夜のコンビニも、この男なら知っている。その事実だけで握手したくなる自分と、目の前の薬包を取り上げろと叫ぶ医者の自分が、同時にいた。
俺は、息を呑んだ。何年ぶりだろう。この世界で、母国語を聞くのは。
「……あんた、何者だ」
「社代康介。四十二歳。元・大手製薬会社の事業開発部長。──過労とストレスで、会社の会議室で心筋梗塞をやって、気づいたらこの世界にいた」
彼は、優雅に椅子を勧めた。
「あんたの噂は聞いてる。剣崎アラタ。外科医で、データサイエンティストで、MBA持ち。……俺たち、ほとんど同業者じゃないか」
「……」
「なあ、嬉しくないか? この世界で、FDAもPMDAも治験費用も株主も存在しない。日本にいた頃、俺は新薬一つ出すのに十年と千億かけて、それでも承認が下りずに、何度もチームが解散するのを見てきた。救えたはずの患者が、制度の中で待たされて死ぬのを見てきた」
彼の目に、初めて熱がこもった。
「だがここでは違う。明日から売れる。今日苦しんでる患者に、今日届く。──俺は、この一年で、少なく見積もっても数千人を救った。あんたの丁寧な"記録"や"教育"が届く前に、俺は薬を届けた」
「──その薬が、耐性菌を生むと知っていて、か」
社代の笑みが、止まった。
「……知ってるよ。当たり前だろ、俺は製薬にいたんだ。AMR(薬剤耐性)は業界の常識だ」
「知っていて、風邪の患者に売っているのか」
「それが、需要だからだ」
彼は、身を乗り出した。
「剣崎さん、あんたは理想論者だ。俺はあんたの記録網も医学校も、素晴らしいと思ってる。だがな──あんたの仕組みには、決定的な欠陥がある」
「……なに?」
「誰も、新しい薬を作らなくなる」
俺は、言葉に詰まった。
「あんたは全部を公開する。知識を無料で配る。美しいさ。だが金にならないなら、誰が命がけで新しい薬を探す? 誰が十年かけて、危険な実験をする? ……この世界の連中は、あんたが与えた知識を"使う"だけだ。新しく"作る"人間は、一人も育たない」
彼は、白い粉の包みを掲げた。
「俺は、独占する。高く売る。その金で、次の薬を作る。それがイノベーションの原資だ。──日本で俺が学んだ、たった一つの真実だよ。善意だけでは、新薬は生まれない」
(……痛いところを突かれた)
俺は、認めざるを得なかった。この男の言っていることは、半分は正しい。
前世で、俺自身が悩み抜いたテーマだ。知識の公共性と、開発のインセンティブ。特許か、オープンアクセスか。何十年も、世界中の頭脳が答えを出せずにいる問題。
俺は、静かに息を吸った。
「──社代さん。あんたの問題提起は、正しい」
「だろ?」
「だが、あんたの答えは、間違っている」
俺は、彼を見据えた。
「そして俺は、その両方を成立させる仕組みを、提案しに来た」
【今回のカルテ】
適正使用:効く病気・量・期間を守ることが、薬の価値を長く保つ。
【たとえるなら】薬の適正使用とは、火を消すのに"必要な分だけ"水を使うこと。多すぎても少なすぎても、次の火事の時に効かなくなる。
【次回】第35話「特許か、公共財か ― 二人の日本人の交渉」
紙と、炭と、二つの頭脳だけ。前世でも誰も答えを出せなかった問いに、決着をつける。




