第28話 影の薬師団 ― 病を制する者
【今回の対決】「病を制する者が、世界を制する」
――敵の理屈に、アラタは魔法でも剣でもなく、"仕組み"で答える。
人を支配する薬は、たいてい、最初は優しい顔をしている。
だから俺は、優しい薬ほど疑うことにしている。
皇宮の廊下は、静かすぎた。
衛兵の数が減っている。侍女が目を合わせない。
宮廷というものは、権力の重心が動くと、真っ先に人の視線の向きが変わる。
帝都に急行した俺を待っていたのは、最悪の光景だった。
皇女ヴィオラが、寝台に横たわっていた。虚ろな目。針の跡のある腕。そして──俺を見ても、焦点が合わない。
帝都で最も鋭かった瞳が、今は何も捉えていない。
黒羽への怒りで喉が焼けた。だが怒りのまま投与を止めれば、彼女を殺す。敵が憎い時ほど、治療者は手順に従わなければならない。俺は拳を開き、まず呼吸数を数えた。
「……ヴィオラ殿下!」
「あ、ら……剣崎……久しぶり、ね……」
彼女は、ふわりと微笑んだ。その微笑みが、俺の背筋を凍らせた。
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【VINDICATE】対象:ヴィオラ皇女(22)
縮瞳 〈瞳孔が針の先ほどに縮んでいる。アヘン様物質に特有の徴候〉
呼吸抑制の兆候 〈呼吸が浅く、遅くなってきている〉
アヘン様物質の慢性投与状態
経過:半年前より「不眠治療」として投与開始。用量、漸増 〈少しずつ量が増やされている〉
依存度:重度。急な中断は離脱症状(危険)
〈離脱症状=急にやめた時に起きる激しい不調。発汗、震え、痙攣。時に死に至る〉
投与指示者:帝立医療院・新任侍医「黒羽」
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(──やられた)
カサンドラが、隻眼から涙を流しながら説明した。
半年前、ヴィオラは眠り病の後始末と政務の激務で、不眠に苦しんでいた。そこに現れたのが、東方から来た名医「黒羽」。彼が処方した「秘薬」で、皇女はよく眠れるようになり──そして、彼なしでは、もう政務も生活も成り立たなくなった。
今や帝国の政策は、実質「黒羽」の助言で動いているという。
「病を制する者が、世界を制する」
背後から、静かな声がした。
振り返ると、長身の男が立っていた。東方の衣。整いすぎた微笑。そして、感情の欠けた目。
「お初にお目にかかります、剣崎殿。──影の薬師団、当代の頭領、黒羽と申します」
「……皇女を、薬漬けにしたな」
「人聞きの悪い。私は、苦しむ方の痛みを取っただけです」黒羽は微笑んだ。「あなたと、同じことをしている」
「違う」
「何が違います?」彼は首を傾げた。「あなたも私も、医の知識で人を動かしている。あなたは記録と仕組みで大陸を動かし、私は薬で皇族を動かす。手段が違うだけだ」
「──目的が、正反対だ」
俺は、はっきりと言った。
「俺の作った仕組みは、俺がいなくても回るように作ってある。俺が死んでも、生徒が続ける。記録は公開され、誰でも検証できる。──俺は、自分がいらなくなるために働いてる」
黒羽の微笑が、初めて、僅かに揺らいだ。
「だがお前の仕組みは、お前がいないと崩れるように作られてる。薬を握り、依存させ、離れられなくする。……それは医療じゃない。支配だ。医の技を使った、ただの支配」
「……支配の何が、悪いのです」黒羽の声が、初めて熱を帯びた。「愚かな民は、放っておけば汚れた水を飲み、腐った麦を食い、勝手に死ぬ。ならば賢い者が握り、正しく管理してやるべきだ。あなたは村人に手洗いを教えた。私は教えずに管理する。──どちらが確実です?」
「教える方だ。圧倒的に」
俺は、即答した。
「なぜなら──教えられた人間は、あんたの毒にも気づけるようになるからだ」
俺は、懐から一枚の紙を取り出した。同盟の記録網が吐き出した、集計表。
「あんたの負けだ、黒羽。もう、詰んでる」
「……何を」
「あんたは、俺の記録網を"配送地図"に使った。賢いやり方だ。だがな──同じ網が、あんたの荷物を全部数えていた」
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【アナリティクス】非正規流通 追跡結果
甘眠散・過量ジギタリス・麦角混入ライ麦:全ての流通経路を特定
主要中継拠点:7箇所(帝都・港湾・辺境の3ルート)
資金の流れ:帝国財務の"眠り病対策予備費"から不正流用(皇女の署名を利用)
現在:モルドレッド侯率いる帝国軍が、7拠点を同時制圧中
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黒羽の顔から、初めて笑みが消えた。
「……いつから」
「あんたが、皇宮の消費量を隠さなかった時からだ。一箇所だけ異常に増える数字ほど、目立つものはない。──あんたは"病を制する者が世界を制する"と言った。だがあんたは、一番大事なことを知らなかった」
俺は、静かに告げた。
「制するべきは病であって、人じゃない。人を制しようとした瞬間、あんたは医者じゃなくなったんだ」
その時──寝台から、掠れた声がした。
「……剣崎。……その男を、捕らえよ」
ヴィオラだった。震える手で寝台の縁を掴み、脂汗を流しながら、彼女は身を起こしていた。虚ろだった目に、かつての刃のような光が、必死に戻ろうとしていた。
「私は……帝国の、皇女だ。……薬に、国は……渡さん……!」
黒羽が逃げようと身を翻した瞬間、扉が開いた。
隻眼の女騎士カサンドラの剣が、彼の喉元に突きつけられていた。
【今回のカルテ】
オピオイド過量:意識低下、瞳孔縮小、呼吸抑制が重要な徴候となる。
【たとえるなら】意識が落ち、瞳孔が小さくなり、呼吸が浅くなる――この三つが揃った時、体は"眠っている"のではない。"止まりかけている"のである。
【次回】第29話「学長、教壇を降りる」
敵は捕らえた。だが本当の敵は、アラタ自身の"かけがえのなさ"だった。




