第27話 甘い眠りの薬 ― ミカゲの過去
【今回の症例】飲めば痛みが消え、多幸感が訪れる白い粉。副作用の報告は、ゼロ。
――報告が"ゼロ"であること。それ自体が、最大の異常である。
この世界で最もよく売れている薬は、たいてい、最もよく調べられていない薬だ。
甘眠散を初めて見た時、俺は正直に言って、美しいと思った。
絹のように白く、細かく、光を含んで見える粉。
――前世で、これと同じ美しさを持つものを、俺はいくつも知っている。そのどれもが、人を殺した。
商会の追跡を始めて、二週間。
俺たちは、想像していたより遥かに深い闇を掘り当てた。
同盟の記録網が、次々と報告を上げてきたのだ。各地の診療所で、ある「新しい薬」が急速に広まっているという報告を。
〈甘眠散〉。
痛みを、たちどころに消す。眠れぬ者を、深く眠らせる。不安を、綿のように包む。──「万能の鎮痛薬」として、東方から来た行商人が、驚くほど安く売り歩いている。
「学長、これは素晴らしい薬では?」若い生徒が、無邪気に言った。「うちの診療所でも仕入れては……」
俺は、その粉末を一目見て、匂いを嗅いだ瞬間、凍りついた。
隣にいたミカゲが、一歩だけ後ずさった。ほかの生徒は気づかなかったが、その目は薬を見ているのではない。過去を見ていた。
俺は問いたださなかった。患者が話せる時を選ぶ権利は、病名を知る側にも奪えない。
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【VINDICATE】検体:甘眠散
主成分:ケシ由来アルカロイド(アヘン様物質)、高純度
作用:強力な鎮痛・鎮静・多幸感 〈痛みを消し、眠らせ、強い幸福感を与える〉
⚠耐性形成あり 〈使い続けると同じ量では効かなくなり、量が増えていく〉
⚠身体依存形成あり 〈やめると体そのものが悲鳴を上げる。意志の強さの問題ではない〉
⚠過量で呼吸停止 〈量を誤れば、そのまま息が止まる〉
判定:極めて有用、かつ極めて危険な薬物
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「……絶対に、無制限に流通させるな」
俺は、全診療所に緊急の通達を出した。
「この薬は、確かに効く。末期の患者の痛みを取るには、これ以上ない薬だ。だが──使い続けると、身体が薬を欲しがるようになる。量が増える。やめられなくなる。そして、量を間違えれば息が止まる」
「では、禁止に……?」
「いや」俺は首を振った。「禁止は、最悪の答えだ」
生徒たちが驚く。俺は、前世で嫌というほど議論されたテーマを、噛みしめるように語った。
「痛みで眠れず、死にたいと願う患者がいる。この薬は、その人を救える。禁止すれば、その人は苦しみ抜いて死ぬ。……だが、野放しにすれば、依存で人生を壊す者が大量に出る。俺の世界でも、この選択を誤って、何十万人も死んだ国がある」
俺は、板に書いた。
〈この薬の敵は"薬そのもの"ではない。"管理のない流通"だ〉
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【レジャー】規制薬物管理制度 構想
①免許制:甘眠散を扱えるのは、同盟認定の医師のみ
②処方記録:誰に、いつ、どれだけ渡したかを全件記録し、同盟で照合
③適応の限定:末期の激痛、大手術後など、明確な適応のみ
④依存者の保護:既に依存した者は、罪人ではなく患者として扱う。段階的減量プログラムを設置
⑤闇流通の追跡:記録網の異常な消費パターンから、非正規流通を検出
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「特に、④を忘れるな」俺は強調した。「依存になった人間を、罰したり、意志が弱いと責めたりするな。あれは、脳の仕組みが薬に書き換えられた病気だ。責めれば隠れる。隠れれば、もっと悪い薬に手を出す。──手を差し伸べて、初めて助けられる」
その夜。診療所の裏で、ミカゲが一人、膝を抱えて座っていた。
「……どうした」
彼女は、しばらく黙っていた。そして、震える声で言った。
「私が入学した、本当の理由を、聞いてくれますか」
俺は、隣に座った。
「……父は、毒見役でした。ですが、殺されたのではありません。毒に、殺されたのでもない」
彼女は、両手を見つめた。
「毒見を重ねるうち、父は身体を壊しました。痛みで眠れなくなった父に、ある薬師が"よく効く薬"を売りに来ました。それが──甘眠散でした」
俺は、息を呑んだ。
「最初は、よく眠れると喜んでいました。でも、だんだん量が増えて……父は、薬のために家財を売り、母を殴り、そして最後は……薬を飲みすぎて、朝、息をしていませんでした」
彼女の頬を、涙が伝った。
「村の人は言いました。『意志が弱かったのだ』『毒見役の家の因果だ』と。──ですが、私は納得できなかった。なぜ、父はやめられなかったのか。なぜ、父の心は薬に負けたのか。……その"なぜ"を知りたくて、私はここに来ました」
俺は、しばらく言葉を選んだ。そして、言った。
「──君のお父さんは、意志が弱かったんじゃない」
ミカゲが、顔を上げた。
「あの薬は、脳の中で"生きるために必要なもの"を感じる場所を、直接乗っ取る。水を飲むな、息をするなと言われるのと同じレベルの命令を、脳に書き込む。……あれに抗えというのは、根性の問題じゃない。病気に、精神論で勝てと言うのと同じだ」
ミカゲの目が、大きく見開かれた。
「……父は、病気だった、のですか」
「ああ。そして──治療できる病気だった。適切な減量計画と、支える人間がいれば。……君のお父さんに足りなかったのは、意志じゃない。周りの知識と、仕組みだ」
ミカゲは、両手で顔を覆い、声を殺して泣いた。十年以上、彼女が背負ってきた「父は弱かった」という重荷が、ようやく降りた音だった。
やがて彼女は、涙を拭い、立ち上がった。その目には、炎が灯っていた。
「学長。──私に、その"依存者を救う仕組み"を作らせてください」
「担当教官はエリスだ。厳しいぞ」
「望むところです」
こうして、大陸初の依存症治療部門が、一人の少女の手で立ち上がることになる。
──だが、その矢先。同盟の記録網が、異常を検出した。
甘眠散の消費が、ある一箇所だけ、爆発的に増えている。
帝都アルデバラン。皇宮の、内部で。
ミカゲは、話し終えるまで一度も俺の目を見なかった。
「……私、十四の時から使っていました」
彼女の細い腕には、点々と痕が残っている。真夏でも長い袖を着ていた理由が、それだった。
「やめられたのは、私が強かったからじゃありません。港で行き倒れていた私を、拾って、殴って、縛って、三月そばにいてくれた婆さまがいたからです」
そこで彼女は、初めて顔を上げた。
「意志の問題じゃないんです。誰かが、そばにいるかどうかの問題です」
――俺は、その言葉を、そのまま治療方針の一行目に書き写した。
【今回のカルテ】
依存症:意志の弱さではなく、身体・心理・環境が絡む治療対象である。
【たとえるなら】依存症は、意志の弱さではなく、脳の"報酬の目盛り"が書き換えられた状態。目盛りを戻すには、時間と、そばにいる人が要る。
【次回】第28話「影の薬師団 ― 病を制する者」
皇女の腕に、針の跡。そして敵の頭領が、ついに姿を現す。




