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聖女様、その回復魔法では患者が死にます ~45歳の外科医が異世界転生したら、チートは『診断』『統計』『経営』でした~  作者: 東雲 諒杏
第三章 東方の毒と、継ぐ者たち(第21〜30話)

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第26話 踊る村 ― 呪いと呼ばれた麦


【今回の謎】村人が踊り出し、幻を見て、そして指が黒く腐る。

 患者全員に共通していたのは――今年の麦だけである。



 呪いと呼ばれるものの九割は、まだ名前のついていない中毒だ。


 残りの一割は、名前のついた悪意である。


 村に着く前から、音が聞こえていた。


 笑い声のようで、笑い声ではない。喉の奥から漏れる、断続的な音。


 広場で、十数人が踊っていた。手足が勝手に跳ね、目は焦点を失い、口の端から泡が垂れている。


 その輪の外で、母親が幼子の手首を握り、必死に押さえつけていた。押さえていなければ、その子も輪に入ってしまうからだ。


 東の交易路沿いの村、リンデン。


 そこから届いた報せは、荒唐無稽だった。


「村人が、踊り続けている」


 使者は震えながら語った。ある日突然、村人たちが手足を痙攣させ、身をよじり、まるで狂ったように踊り出す。幻を見て叫ぶ者もいる。そして──何人かは、手足の指が黒く腐り落ちたのだと。


「悪魔憑きです! 村は聖火で焼くべきだと、地方の神官が……!」


 俺は、ミカゲと数名の生徒を連れて、即座に馬を飛ばした。


 村に着くと、光景は報告以上だった。広場で、数人が奇怪な動きで身をよじっている。家の中では、老人が虚空に向かって「火が! 火が来る!」と叫んでいる。そして──俺は、一人の若者の手を取った。


 踊っているように見えた少年は、笑っていなかった。歯を食いしばり、勝手に跳ねる腕を父親が後ろから抱き締めている。


「燃やすなら、家ではなく俺を先に」


 父親の声を聞いて、これは奇病の謎解きである前に、間違った答えを急ぐ者から村を守る戦いだと分かった。


 指の先が、乾いて黒く、木炭のように変色していた。


────────────────


【VINDICATE】対象:村人(男・22)


四肢末端:乾性壊疽 〈血管が締まりすぎて血が届かず、指先から黒く枯れて死んでいく〉

中枢:痙攣、幻覚、興奮 〈脳が誤作動を起こし、踊るように動き、幻を見る〉

他患者にも同様所見。地域集積性あり 〈同じ土地の人だけに起きている〉

人から人への伝播:なし 〈うつる病気ではない〉


最有力:麦角中毒 〈麦に生えた特定のカビが作る毒による中毒〉

起因:カビの生えたライ麦の摂取 〈毒はパンの中にあった〉


────────────────


 (──麦角菌。ライ麦に生える黒い菌核。血管を極限まで縮ませ、指を腐らせ、脳を狂わせる。前世の中世ヨーロッパで"聖アントニウスの火"と呼ばれ、悪魔憑きとして人が焼かれた病だ)


「悪魔じゃない! パンだ!」俺は叫んだ。「村の貯蔵庫を開けろ! 全てのライ麦を、今すぐ検めろ!」


 貯蔵庫の麦袋の中には──黒く、角のように歪んだ粒が、無数に混じっていた。


「この黒い粒が原因だ。この麦で焼いたパンを食った者が、こうなる。──今日から、この村の麦は全て焼却。食糧は同盟が緊急支援する」


 村の司祭が、震えながら言った。「し、しかし……我らは何十年もこの麦を……」


「今年だけ、湿った夏だったからだ」俺は答えた。「湿気がこの菌を増やす。──神が村を呪ったんじゃない。天気が、麦を腐らせただけだ」


 治療は、麦を断つこと。そして──


「エリスの光では、腐った指は戻らない」俺は生徒たちに厳しく告げた。「壊死した組織は、切除するしかない。だが、まだ生きている部分を見極めろ。切りすぎれば、この人たちは働けなくなる」


 ミカゲが、真っ青な顔で俺の袖を掴んだ。


「学長。……この村の麦、どこから来たのですか」


「?」


「私の国では、麦角は"薬"にも使われます。ごく微量で、産後の出血を止める。……ですが、扱いを誤れば、こうなる。これほど大量に混じるのは──」


 彼女の言葉に、俺は貯蔵庫の記録を漁った。そして、見つけた。


 村のライ麦の、仕入れ先。


 あの商会。市価の三分の一で、危険な薬草を大陸中に流していた、あの商会だった。


────────────────


【アナリティクス】流通経路 追跡解析


当該商会の取扱品目:ジギタリス様薬草(過量ロット)/ライ麦(麦角混入)/その他 12品目


流通先:同盟加盟の診療所 31箇所、村落 47箇所


共通点:全て、大陸医療同盟の"記録ネットワーク"に登録された地域


⚠ 推定:同盟の記録網を、"どこに何が届くか"の地図として利用されている


────────────────


 俺は、羊皮紙を握りつぶした。


 (……そうか。俺が作った仕組みが、逆に使われている。俺は、どの村に何人いて、何が足りないかを、全部記録して公開した。善意で。それは、毒を効率よく撒くための、完璧な配送地図でもあったんだ)


 背筋が凍る。前世でも、同じことがあった。技術も情報も、それ自体は中立だ。使う者の意志が、それを薬にも毒にも変える。


「学長……」トトが、不安げに俺を見た。「僕たちの記録が、悪用されたんですか」


 俺は、しばらく目を閉じた。そして、開いた。


「ああ。──だが、記録を止めるつもりはない」


「え?」


「刃物が人を刺せるから、外科医がメスを捨てるか? 違う。刃物の管理を厳しくして、それでも救い続けるんだ。……記録網は、毒の配送地図にもなる。だが同時に──」


 俺は、地図上に浮かび上がった流通経路を睨んだ。


「──毒を追跡する、最強の武器にもなる」


 俺は、第九条を書いた日のことを思い出していた。


 〈加盟診療所は、薬の入荷元・産地・納入価格を記録に残すこと〉


 誰も重要だと思わなかった、あの一行。


 ――今日、それが牙を剥く。



【今回のカルテ】


麦角中毒:穀物に付く菌の毒で、痙攣・幻覚・血流障害を起こし得る。


【たとえるなら】麦角中毒は、パンに"知らないうちに毒キノコが混ざっていた"状態。作った人にも、食べた人にも、悪意はない。だから誰も気づけない。


【次回】第27話「甘い眠りの薬 ― ミカゲの過去」

 大陸中で売れている「甘眠散」。痛みを消す夢の薬の正体を、一人の少女だけが知っていた。


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