第26話 踊る村 ― 呪いと呼ばれた麦
【今回の謎】村人が踊り出し、幻を見て、そして指が黒く腐る。
患者全員に共通していたのは――今年の麦だけである。
呪いと呼ばれるものの九割は、まだ名前のついていない中毒だ。
残りの一割は、名前のついた悪意である。
村に着く前から、音が聞こえていた。
笑い声のようで、笑い声ではない。喉の奥から漏れる、断続的な音。
広場で、十数人が踊っていた。手足が勝手に跳ね、目は焦点を失い、口の端から泡が垂れている。
その輪の外で、母親が幼子の手首を握り、必死に押さえつけていた。押さえていなければ、その子も輪に入ってしまうからだ。
東の交易路沿いの村、リンデン。
そこから届いた報せは、荒唐無稽だった。
「村人が、踊り続けている」
使者は震えながら語った。ある日突然、村人たちが手足を痙攣させ、身をよじり、まるで狂ったように踊り出す。幻を見て叫ぶ者もいる。そして──何人かは、手足の指が黒く腐り落ちたのだと。
「悪魔憑きです! 村は聖火で焼くべきだと、地方の神官が……!」
俺は、ミカゲと数名の生徒を連れて、即座に馬を飛ばした。
村に着くと、光景は報告以上だった。広場で、数人が奇怪な動きで身をよじっている。家の中では、老人が虚空に向かって「火が! 火が来る!」と叫んでいる。そして──俺は、一人の若者の手を取った。
踊っているように見えた少年は、笑っていなかった。歯を食いしばり、勝手に跳ねる腕を父親が後ろから抱き締めている。
「燃やすなら、家ではなく俺を先に」
父親の声を聞いて、これは奇病の謎解きである前に、間違った答えを急ぐ者から村を守る戦いだと分かった。
指の先が、乾いて黒く、木炭のように変色していた。
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【VINDICATE】対象:村人(男・22)
四肢末端:乾性壊疽 〈血管が締まりすぎて血が届かず、指先から黒く枯れて死んでいく〉
中枢:痙攣、幻覚、興奮 〈脳が誤作動を起こし、踊るように動き、幻を見る〉
他患者にも同様所見。地域集積性あり 〈同じ土地の人だけに起きている〉
人から人への伝播:なし 〈うつる病気ではない〉
最有力:麦角中毒 〈麦に生えた特定のカビが作る毒による中毒〉
起因:カビの生えたライ麦の摂取 〈毒はパンの中にあった〉
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(──麦角菌。ライ麦に生える黒い菌核。血管を極限まで縮ませ、指を腐らせ、脳を狂わせる。前世の中世ヨーロッパで"聖アントニウスの火"と呼ばれ、悪魔憑きとして人が焼かれた病だ)
「悪魔じゃない! パンだ!」俺は叫んだ。「村の貯蔵庫を開けろ! 全てのライ麦を、今すぐ検めろ!」
貯蔵庫の麦袋の中には──黒く、角のように歪んだ粒が、無数に混じっていた。
「この黒い粒が原因だ。この麦で焼いたパンを食った者が、こうなる。──今日から、この村の麦は全て焼却。食糧は同盟が緊急支援する」
村の司祭が、震えながら言った。「し、しかし……我らは何十年もこの麦を……」
「今年だけ、湿った夏だったからだ」俺は答えた。「湿気がこの菌を増やす。──神が村を呪ったんじゃない。天気が、麦を腐らせただけだ」
治療は、麦を断つこと。そして──
「エリスの光では、腐った指は戻らない」俺は生徒たちに厳しく告げた。「壊死した組織は、切除するしかない。だが、まだ生きている部分を見極めろ。切りすぎれば、この人たちは働けなくなる」
ミカゲが、真っ青な顔で俺の袖を掴んだ。
「学長。……この村の麦、どこから来たのですか」
「?」
「私の国では、麦角は"薬"にも使われます。ごく微量で、産後の出血を止める。……ですが、扱いを誤れば、こうなる。これほど大量に混じるのは──」
彼女の言葉に、俺は貯蔵庫の記録を漁った。そして、見つけた。
村のライ麦の、仕入れ先。
あの商会。市価の三分の一で、危険な薬草を大陸中に流していた、あの商会だった。
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【アナリティクス】流通経路 追跡解析
当該商会の取扱品目:ジギタリス様薬草(過量ロット)/ライ麦(麦角混入)/その他 12品目
流通先:同盟加盟の診療所 31箇所、村落 47箇所
共通点:全て、大陸医療同盟の"記録ネットワーク"に登録された地域
⚠ 推定:同盟の記録網を、"どこに何が届くか"の地図として利用されている
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俺は、羊皮紙を握りつぶした。
(……そうか。俺が作った仕組みが、逆に使われている。俺は、どの村に何人いて、何が足りないかを、全部記録して公開した。善意で。それは、毒を効率よく撒くための、完璧な配送地図でもあったんだ)
背筋が凍る。前世でも、同じことがあった。技術も情報も、それ自体は中立だ。使う者の意志が、それを薬にも毒にも変える。
「学長……」トトが、不安げに俺を見た。「僕たちの記録が、悪用されたんですか」
俺は、しばらく目を閉じた。そして、開いた。
「ああ。──だが、記録を止めるつもりはない」
「え?」
「刃物が人を刺せるから、外科医がメスを捨てるか? 違う。刃物の管理を厳しくして、それでも救い続けるんだ。……記録網は、毒の配送地図にもなる。だが同時に──」
俺は、地図上に浮かび上がった流通経路を睨んだ。
「──毒を追跡する、最強の武器にもなる」
俺は、第九条を書いた日のことを思い出していた。
〈加盟診療所は、薬の入荷元・産地・納入価格を記録に残すこと〉
誰も重要だと思わなかった、あの一行。
――今日、それが牙を剥く。
【今回のカルテ】
麦角中毒:穀物に付く菌の毒で、痙攣・幻覚・血流障害を起こし得る。
【たとえるなら】麦角中毒は、パンに"知らないうちに毒キノコが混ざっていた"状態。作った人にも、食べた人にも、悪意はない。だから誰も気づけない。
【次回】第27話「甘い眠りの薬 ― ミカゲの過去」
大陸中で売れている「甘眠散」。痛みを消す夢の薬の正体を、一人の少女だけが知っていた。




