第25話 世界初の臨床試験 ― 数字は誰の味方でもない
【今回の賭け】慢性頭痛、百二十名。東方の針 対 見せかけの施術。
――あなたなら、どちらに賭けるだろうか。
試験を設計する時、俺はいつも同じ問いを自分に投げる。
――「この結果が自分に不利でも、俺は受け入れるか?」
受け入れられないなら、それは試験ではなく、儀式だ。
くじを引く箱を作ったのは、トトだった。
木の札に、赤と青。中身が見えないよう、布を二重に張ってある。
「先生。……こんなもので、五十年の医術を裁くんですか」
「裁くんじゃない」俺は言った。「守るんだ。効くと証明された技は、もう誰にも否定できなくなる」
試験の設計に、俺は三日を費やした。
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【アナリティクス】臨床比較試験 設計書(第1版)
対象:慢性頭痛の患者 120名(同盟加盟の三診療所から集約)
割付:くじによる無作為割付(A群:玄斎式施術/B群:見せかけの施術)
〈無作為割付=誰をどちらの群に入れるかを、くじで決めること。医者が選ぶと結果が歪む〉
遮蔽:患者・評価者ともに、どちらの群か知らされない
〈本物を受けたか偽物を受けたか分からなくする。思い込みによる差を消すため〉
主評価項目:4週間後の疼痛スケールの変化量
〈主評価項目=何をもって「効いた」と判定するかを、開始前に一つだけ決めておく約束〉
〈疼痛スケール=痛みを本人が0〜10で申告する物差し〉
副次項目:日常生活への支障度、有害事象の発生
事前登録:開始前に、この設計と評価方法を封書にして理事会に預ける
──結果が出てから評価基準を変えることを、禁ずるため
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「なぜ、そこまでするのですか」ミカゲが、設計書を覗き込んで聞いた。
「人間は、自分が信じたいものを見てしまう生き物だからだ」俺は答えた。「玄斎殿も、俺も、"効いてほしい"と思っている。だからこそ、自分の願望が結果を歪められない仕組みを、先に作る。……これは、玄斎殿を疑う仕組みじゃない。人間の弱さを、みんなで受け入れる仕組みだ」
四週間。玄斎は、一日も休まず針を打ち続けた。彼は、どの患者が本物の群かを知らされない役目の医師を通じて、ただ黙々と手を動かした。
そして、結果の開封の日。
大講義室に、理事、教員、生徒、そして東方の使節団が詰めかけた。俺は、封を切り、集計を「アナリティクス」に通した。
数字が、浮かび上がった。
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【アナリティクス】試験結果 n=118(脱落2名)
A群(玄斎式施術):疼痛スケール 平均 −3.8
B群(見せかけ):疼痛スケール 平均 −1.9
差:−1.9(統計学的に、偶然では説明が困難な差)
〈同じことを何度繰り返しても、まぐれではこれほどの差はまず出ない、という意味〉
有害事象:A群で軽度の内出血 4件、重篤事象 0件
──判定:慢性頭痛に対し、玄斎式施術は有意な効果を持つ
※追加解析:「腹部の激痛」を訴える患者群への施術(玄斎殿が併せて主張していた適応)
A群 vs B群:差なし。──当該適応には、効果を認めない
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俺は、その両方を、そのまま読み上げた。
「──結論。玄斎殿の針は、頭痛に効く。これは事実として証明された」
講義室が、どよめきに包まれた。ヤマトの使節が、涙ぐんでいる。
「そして同時に──腹痛への効果は、証明されなかった。この適応については、東方医学は主張を取り下げるべきです」
沈黙が落ちた。玄斎の弟子たちが、色をなして立ち上がりかけた。
だが、「……座れ、たわけども」
玄斎だった。老人は、ゆっくりと立ち上がり、俺の前まで歩いてきた。そして──深々と、頭を下げた。
否定された半分ではなく、証明された半分を抱えて立つ玄斎の姿に、講義室の空気が変わった。
数字は冷たいのではない。人の願望に忖度しないだけだ。だからこそ、出自も権威も越えて、本物の技に居場所を与えられる。
「小僧。……いや、剣崎殿」
「玄斎殿……」
「五十年、わしは腹痛にも針を打ってきた。効いたと思うておった。……じゃが、効いたのは患者が勝手に治った時だけだったのかもしれん、と、心の底では疑っておった。誰にも言えずにな」
彼の声は、震えていた。
「お主の"数字"は、残酷じゃ。わしの半生を、半分否定しおった。──だが」
顔を上げた老人の目には、涙が光っていた。
「半分は、認めてくれた。……五十年で初めてじゃ。わしの技が、迷信ではなく、確かなものだと、証明されたのは」
俺は、彼の手を取った。節くれ立った、五十年分の手を。
「玄斎殿。──この学校に、東方医学講座を作らせてください。あなたが初代教授だ」
「わしが……お主の学び舎の、教授?」
「効くものは、出自を問わず取り入れる。効かないものは、身内のものでも捨てる。それが科学だ」俺は微笑んだ。「東も西も関係ない。患者にとって効くかどうか、それだけが基準です」
その夜、玄斎は俺の部屋を訪ねてきた。酒を一本、提げて。
そして、盃を空けてから、ようやく彼は口を開いた。
「……剣崎殿。話すべき時が来たようじゃ。──あの商会のことよ」
「ヤマトから毒をばら撒いている、あの?」
「うむ。"影の薬師団"という」
玄斎の目に、深い怯えが宿った。
「わしと同じ、ヤマトの医の家系よ。じゃが奴らは──病を治す道を捨て、"病を作る道"を選んだ。毒を売り、疫を放ち、そして……それを治す薬もまた、自分たちだけが握る」
「──マッチポンプか」
「奴らの狙いは、金でも国でもない。奴らはこう言うておった」
玄斎は、盃を握りしめた。
「『病を制する者が、世界を制する』とな。……剣崎殿。奴らが今、大陸に渡ったのは、偶然ではない。お主が作った"医療同盟"という仕組みを、乗っ取るためじゃ」
(乗っ取る、か)
(――なるほど。俺の作った記録網は、大陸で最も精密な"配送地図"でもある)
背筋が凍ったのは、酒のせいではなかった。
第26話「踊る村 ― 呪いと呼ばれた麦」へ続く
【今回のカルテ】
比較試験:治療群と対照群を比べ、思い込みや自然回復の影響を減らす。
【たとえるなら】盲検化とは、審査員に応募者の名前を伏せること。名前が見えると、人は腕より先に評判で点をつけてしまう。
【次回】第26話「踊る村 ― 呪いと呼ばれた麦」
村人が踊り続け、指が黒く腐り落ちる。「呪い」の正体は、パンの中にあった。




