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聖女様、その回復魔法では患者が死にます ~45歳の外科医が異世界転生したら、チートは『診断』『統計』『経営』でした~  作者: 東雲 諒杏
第三章 東方の毒と、継ぐ者たち(第21〜30話)

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第29話 学長、教壇を降りる


【今回の要点】創業者にとって最も難しい仕事は、事業を始めることではない。

 自分がいなくても回る形に、作り替えることである。




 俺は、この世界で「医神」と呼ばれていた。


 それは称号ではない。経営上の、明白な欠陥である。


 教壇を降りると決めた日、俺は生徒名簿を最初から最後まで読んだ。


 百七名。全員の顔と、得意なことと、失敗したことを思い出せた。


 ――思い出せてしまうことが、問題だった。


 黒羽と影の薬師団は捕縛された。だが、俺の戦いはそこで終わらなかった。


 本当の戦いは、ヴィオラ皇女を薬から取り戻すことだった。


「急に止めるのは、危険です」俺は帝国の重臣たちに説明した。「離脱症状で、痙攣や、命に関わる状態になる。──時間をかけて、少しずつ減らすしかない」


「どれほどかかる」


「半年。最低でも」


「半年も、皇女殿下を薬漬けのままにせよと!?」


「そうです」俺は引かなかった。「これは、意志で耐える戦いじゃない。設計で勝つ戦いだ」


 治療計画を立てたのは──ミカゲだった。


 まだ入学一年目の少女が、俺とエリスの監督の下、皇女の減量プログラムを設計し、帝都に住み込んだ。


「殿下」ミカゲは、震える皇女の手を握って言った。「苦しい日は、苦しいと言ってください。隠さないでください。隠されると、私は減らす速さを間違えます。……私の父は、隠して、死にました」


 ヴィオラは、この東方の少女に、初めて弱音を吐いたという。


 その頃、俺は──倒れた。


 帝都での交渉と徹夜の続いた朝、俺は執務机で、胸を押さえて崩れ落ちた。


────────────────


【VINDICATE】対象:剣崎アラタ


心房細動の持続化 〈時々だった不整脈が、常時続くようになった〉

心不全の初期兆候 〈心臓が血を送りきれなくなり始めている〉

警告:過労による増悪。即時の安静を要する


────────────────


 目覚めた時、俺は寝台の上で、エリスに睨まれていた。


「……主治医命令を、破りましたね」


「……すまん」


「謝罪はいりません。処方箋を出します」


 エリスは、羊皮紙を差し出した。俺は、そこに書かれた文字を見て、目を疑った。


〈処方:学長職の一時休職。ならびに、全ての現場業務の生徒への委譲。期間:三ヶ月。──主治医 エリス〉


 紙を持つ手が、ひどく重かった。患者には「休め」と言い続けてきたくせに、自分が休むことは敗北だと思っている。


 エリスは処方箋から目を上げなかった。聖女ではなく、俺の主治医として、拒否される余地を残さない顔だった。


「……エリス。今、帝国が大変な時に──」


「アラタ」


 彼女は、俺の言葉を遮った。その声は、静かで、しかし鋼のようだった。


「貴方が私に、最初に教えたことを、覚えていますか。『一人の英雄が燃え尽きて救う医療は、本物じゃない』と。『誰も燃え尽きずに、みんなが生き続けられる仕組みこそが医療だ』と」


「………」


「なら、証明してください。貴方がいなくても回る仕組みを作った、と。──貴方自身が、それを信じているのだと」


 俺は、言葉を失った。


 そして、ゆっくりと──笑い出した。


「……ああ、そうか。これが、最後の試験なんだな」


 黒羽に言った言葉が、そのまま自分に返ってきていた。「俺は、自分がいらなくなるために働いてる」と。──それを、証明する時が来たのだ。


 三ヶ月間、俺は一切の現場を離れた。


 これは、俺にとって、大陸で最も難しい治療より辛い試練だった。何度も口を出しかけ、何度もエリスに止められた。


 そして──学校は、回った。


 トトは第三病棟の主任として、若手を指導した。ミカゲは帝都で皇女の減量を成功させ、依存症治療の第一人者になった。玄斎は東方医学講座で、比較試験の設計まで自分で組むようになった。エリスは、副学長として全体を統括し、王国と帝国の間の調整までこなした。


 彼らが直面した困難な症例の記録を、俺は寝台の上で読んだ。


 判断を誤った例もあった。だが──誤りは記録され、共有され、仕組みが改善されていた。俺が教えた通りに。いや、俺が思いつかなかった改善まで、彼らは考え出していた。


 (……勝ったな)


 俺は、記録簿を胸に抱いて、天井を見上げた。


 (俺の負けだ。そして、それが俺の勝ちだ)


 最後の講義のあと、トトが職員室に来て、深く頭を下げた。


「先生。……僕は、まだ先生のいない病棟が、怖いです」


「怖いのは正しい」俺は言った。「怖くない奴に、人は預けられない。――だが、怖いまま、やれ。それが仕事だ」


 トトはしばらく黙って、それから小さく頷いた。


 その背中が扉の向こうに消えるまで、俺は椅子から立てなかった。



【今回のカルテ】


権限委譲:判断権限まで託し、創設者が不在でも回る組織を作る。


【たとえるなら】権限委譲とは、自転車の補助輪を外すこと。必ず転ぶ。だが外さない限り、その子は一生、親と一緒にしか走れない。


【次回】第30話「卒業式 ― 医神と呼ばれた男の、本当の望み」

 第三章、完結。二十七名が巣立ち、そして学長は、地図の外側へ向かう。


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