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聖女様、その回復魔法では患者が死にます ~45歳の外科医が異世界転生したら、チートは『診断』『統計』『経営』でした~  作者: 東雲 諒杏
第三章 東方の毒と、継ぐ者たち(第21〜30話)

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第23話 罰しない仕組み ― 医療安全の思想


【今回の要点】罰する文化は、ミスを消さない。

 ミスを"隠す"だけである。



 組織が事故を起こした時、最も安上がりな解決策は、誰か一人を差し出すことだ。


 そして、最も高くつくのも、それである。


 理事会の空気を、俺はよく知っている。


 誰にも悪意はない。ただ全員が、自分の組織を守るために最も安全な選択肢を選ぶ。


 その総和が、いつも決まって、一人の若者を切り捨てる形になる。


 三人の死は、大陸中に伝わった。


「医神の学校が、患者を毒殺した」──悪意ある噂は、正確な事実より遥かに速く走る。入学希望者の一部が辞退し、地方の診療所には抗議が押し寄せた。


 医学校の理事会(辺境伯、王国の使者、帝国の使者、教会代表)が緊急招集された。


「学長。責任者の処分を求める声が上がっている」王国の使者が、苦い顔で言った。「投薬した生徒を放校とし、学長も一時謹慎とすれば、世論は収まる」


 生徒たちが、廊下で息を殺して聞いているのが分かった。


 俺は立ち上がり、静かに、しかしはっきりと言った。


「──断ります」


 廊下の向こうで、誰かが息を呑んだ。トトだろう。


 彼を切れば、学校の評判は一時的に戻るかもしれない。だが生徒全員に「失敗したら隠せ」と教えることになる。その授業料は、次の患者の命で支払われる。安すぎる処分ほど、後で高くつく。


「なっ……」


「処分は、最も安易で、最も危険な解決策です。理由を説明します」


 俺は、板に図を描いた。


「トトを放校にすれば、世論は収まるでしょう。だが、その瞬間に、この学校の全ての生徒がこう学ぶ。『失敗したら、終わりだ』と。すると何が起きるか。──次から、誰もミスを報告しなくなる」


 理事たちが、顔を見合わせた。


「隠された小さなミスは、地下で育ちます。そして数年後、もっと大きな事故になって噴き出す。俺は前の世界で、それを嫌というほど見てきた。……罰する文化は、安全を殺すんです」


「では、どう責任を取る」辺境伯が問うた。


「三つで示します。──第一に、事実の完全公開。何が起き、なぜ起き、何を変えたか。三人のご遺族と、大陸全土に包み隠さず公表する。第二に、再発防止の仕組み。既に導入した『三つの確認』を、同盟加盟の全診療所に義務化する。第三に──」


 俺は、深く頭を下げた。


「──学長として、亡くなった三人のご遺族の前に、俺自身が出向き、詫びます。生徒ではなく、俺が」


 三日後。俺は三軒の家を回った。罵倒された。水をかけられた。当然だ。俺は言い訳をせず、何が起きたかを最後まで正直に説明し、頭を下げ続けた。


 三軒目、老いた妻を亡くした男が、最後にぽつりと言った。


「……あんた、逃げなかったな。医者ってのは、ミスを『寿命でした』って言うもんだと思ってたよ」


「言えば楽になります。でも──それを言った瞬間、次の誰かが同じ死に方をする」


 男は、長いこと黙っていた。そして。


「……女房の名前を、その"記録"とやらに、書いてくれ。あいつの死で、次が助かるなら」


 その言葉を、俺は生涯忘れないだろう。


 医学校に戻り、俺は新しい台帳を作った。表紙にはこう書いた。


〈有害事象記録簿──ここに記された全ての名は、未来の誰かを救うために記される〉


 その台帳の第一頁に、三人の名を書き入れている俺の背後で、声がした。


「……甘い、と言おうと思うたが」


 玄斎だった。老医師は、台帳を覗き込み、ふん、と鼻を鳴らした。


「ヤマトでは、薬を誤れば薬師は腹を切る。潔いが──記録は、残らぬ。同じ過ちが、五十年ごとに繰り返される」


 彼は、俺を見た。初めて、値踏みではない目で。


「……小僧。お主の"仕組み"とやら、少しだけ、面白い」


「ありがとうございます。──ところで玄斎殿。一つ、力を貸してほしい」


 俺は、例の商会の記録を差し出した。


「市価の三分の一で、致死量の薬草を、大陸中にばら撒いている商会がある。荷は、ヤマトから来ている。──心当たりは?」


 玄斎の顔から、笑みが消えた。


「…………まさか。あの者らが、海を渡ったか」


 その夜、俺は『有害事象記録簿』の一頁目に、三人の名を書いた。


 症例番号ではなく、名前を。


「……なぜ、名前まで残すのですか」トトが聞いた。


「番号だけでも、仕組みは作れる」俺は答えた。「だが――なぜ作ったのかを、そのうち忘れる」


 インクが乾くまで、俺たちは黙ってそこに座っていた。




【今回のカルテ】


心理的安全性:失敗や懸念を、罰を恐れず報告できる組織文化。


【たとえるなら】心理的安全性とは、"火事だ"と叫んだ人が怒られない職場のこと。叫べない職場は、火が天井に届いてから気づく。


【次回】第24話「気と科学 ― 東方医学との衝突」

 五十年の経験と、百二十例の数字。どちらが正しいかを決める方法が、この世界にはまだ無い。


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