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聖女様、その回復魔法では患者が死にます ~45歳の外科医が異世界転生したら、チートは『診断』『統計』『経営』でした~  作者: 東雲 諒杏
第二章 西方の眠り病(第11〜20話)

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第15話 湿地の真実 ― 引き金を引いた者


【今回の謎】放置された水路からの距離と、発症率。相関係数、-0.81。

 ――これは「神罰」か、それとも「人災」か。



 疫病には、必ず引き金がある。


 そして引き金には、たいてい――指がついている。


 その夜、ヴィオラ皇女は人払いをした部屋に、燭台を一本だけ残した。


 権力者が明かりを減らす時は、たいてい、明るい場所では言えない話をする時である。


 皇女ヴィオラの話は、こうだった。


 三年前、帝都南部の広大な湿地帯を、ある大貴族──辺境侯モルドレッドが、皇帝から下賜された。彼はそこを干拓し、大農園にする計画を進めていた。


「だが、その干拓が中途半端に止まっている」ヴィオラは地図を指した。「予算を横領した、という噂がある。掘りかけの水路が、あちこちで放置され──」


「──水が、澱んだ」俺は続きを引き取った。「動く水には、蚊は湧きにくい。だが、掘りかけて放置された水路は、最高の蚊の繁殖池になる。三年かけて、蚊が爆発的に増えた。そこに人が住み続けた。……これは神罰でも、呪いでもない。人災だ」


 怒鳴りたかった。横領した者の名を広場に晒し、百十二の棺の前に跪かせたかった。


 だが怒りは、原因を指すことはできても、水路を流すことはできない。患者に必要なのは俺の正義感ではなく、次の夏までに蚊の湧かない町だった。


 俺は「アナリティクス」に、干拓地の位置情報を追加した。結果は、残酷なほど明快だった。


────────────────


【アナリティクス】追加解析:干拓放棄水路との距離相関


眠り病発症率は、放棄水路からの距離に反比例(相関係数 -0.81)

 〈相関係数=二つの数字がどれだけ連動しているかの指標。0なら無関係、±1に近いほど強く連動する〉

 〈マイナスは「片方が増えると、もう片方が減る」。水路から遠いほど、病人が減っている〉


水路から500歩以内:発症率 38%/2000歩以遠:発症率 2%


結論:感染源の中心=モルドレッド侯の放棄干拓地


────────────────


「……証拠は、揃いました」俺はグラフをヴィオラに示した。「これで、蚊の繁殖池を潰せます。水路を埋め戻すか、水を流して淀みを無くす。来年の夏には、発症を激減させられる」


 だが、ヴィオラの顔は晴れなかった。


「そう簡単ではない。モルドレッド侯は、帝国軍の三分の一を握る実力者。彼の失政を公にすれば──宮廷は割れる。下手をすれば、内乱だ。父上(皇帝)は、それを恐れて口を噤んでおられる」


 (……そうか。真実を突き止めることと、真実を"使える"ことは、別問題だ。前世でも同じだった。データが正しくても、それを政治が握りつぶすことは、いくらでもある)


 俺はしばらく考え、そして口を開いた。


「皇女殿下。──モルドレッド侯を、告発する必要はありません」


「なに?」


「彼を"犯人"にする代わりに、"救世主"にすればいい。こう布告するのです。『モルドレッド侯は、眠り病の元凶が自領の水にあると憂い、私財を投じて水路を改修し、帝都を救う』と。……侯にとっても、悪い話じゃない。横領を追及されるより、英雄になって干拓を完成させる方が、遥かに得だ」


「そなた……侯の罪を、見逃すというのか」


「見逃すんじゃない。取引するんです」俺は静かに言った。「正義感で侯を糾弾して内乱になり、その混乱でまた千人が死ぬなら──俺は、侯に花を持たせて、水路を埋め戻させる方を選ぶ。医者の仕事は、犯人を裁くことじゃない。一人でも多く、生かすことだ」


 ヴィオラは、長いこと俺を見つめていた。やがて、深く息を吐いた。


「……そなたは恐ろしい男だな、剣崎。剣も魔法も持たぬのに、宮廷の力学を、盤上の駒のように動かす」


「MBA──いや、経営学というのですが、前の世界でそれを学びました。『交渉とは、双方が"勝った"と思える着地点を探す技術だ』と。……不思議なもので、それが今、二百人の命を救う道具になっている」


 その夜、俺は宿の窓から、帝都の灯りを見下ろした。


 無数の灯りの下で、人々が眠り、目覚め、生きている。前世の俺は、この「灯り全体」を治したかった。個人の腕では届かない、社会そのものを。


 (届き始めている。……ここでなら、俺は本当に、"仕組みごと"救えるのかもしれない)


 だが、俺はまだ知らなかった。


 モルドレッド侯との「取引」が、俺を帝国の政治の最深部へと引きずり込むことを。


 そして──その渦の中心で、俺自身の「胸の古傷」が、再び疼き始めることを。


 (……もっとも)


 (引き金を引いた指を折ったところで、病は一人も治らない)


 (俺が欲しいのは、罰ではない。水路が直ることだ)


 第16話「英雄になった犯人」へ続く


 湿地に立った時、俺は長靴の底から伝わる感触に、少しだけ吐き気を覚えた。


 柔らかい。腐った草と、動かない水。水面には虹色の油膜が張り、無数の細かい影が、日を浴びて舞い上がっている。


 三年前、ここは畑になるはずだった。


 (……人の怠慢というのは、こんなにも静かに、こんなにも大量に、人を殺すのか)




【今回のカルテ】


相関と因果:数字の関連を、時系列・機序・追加証拠で因果へ近づける。


【たとえるなら】相関は"一緒に動いている"だけ。因果は"押したから動いた"。この二つを混ぜると、無実の人を犯人にしてしまう。


【次回】第16話「英雄になった犯人」

 犯人を裁かない。むしろ、英雄に仕立てる。――アラタの取引は、正義の反対側にある。


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