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聖女様、その回復魔法では患者が死にます ~45歳の外科医が異世界転生したら、チートは『診断』『統計』『経営』でした~  作者: 東雲 諒杏
第二章 西方の眠り病(第11〜20話)

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第14話 眠れる者を死なせない ― 集中治療の思想


【今回の問い】治す薬がない病で、人はなぜ死ぬのか。

 ――その答えが分かれば、百人以上が助かる。



 「治せない」と「死なせない」は、まったく違う言葉だ。


 その差に、二百十四人分の命がかかっていた。


 人が眠ったまま死ぬのを、見たことがあるだろうか。


 劇的なことは、何も起きない。


 水を飲めないから乾き、動けないから背中が腐り、飲み込めないから唾が肺に落ちる。それだけだ。


 ――脳炎が殺しているのではない。放置が、殺している。


 原因が「蚊が運ぶ脳炎」だと帝国中枢が認めた。予防は始まった。だが──既に眠っている214名は、放っておけば全員死ぬ。


 脳炎そのものを治す魔法も薬も、この世界にはない。俺の魔眼をもってしても、脳の中の炎症を消すことはできない。


 だが、俺には確信があった。


「眠り病で死ぬ者の、直接の死因は脳炎じゃない」俺は隔離施設で、エリスと生徒たちに講義した。「脱水、飢餓、そして誤嚥性肺炎と床ずれだ。つまり──脳が眠っている間、身体を『生かし続ける』ことができれば、炎症が引くのを待てる。運が良ければ、目を覚ます」


「目を、覚ます……?」修道女の一人が、縋るように聞いた。


「ああ。全員は無理だ。重症例は助からない。だが──適切な管理をすれば、生存率は跳ね上がる。俺の見立てでは、無処置で二割の生存が、六割まで上がる」


 俺は「集中治療」の思想を、この世界の道具で再現するプロトコルを組み立てた。


────────────────


【アナリティクス】眠り病 支持療法プロトコル(第1版)

 〈支持療法=病そのものを治す薬がない時、患者が自力で持ちこたえられるよう体を支える手当て〉

 〈プロトコル=誰がやっても同じ手順になるよう定めた手順書〉


①水分・栄養:羊腸の細管を鼻から胃へ通し、薄めた粥と補水液を少量ずつ持続的に(経鼻経管栄養)


②気道:三十度頭側挙上を常時維持し、二時間毎に体位変換(誤嚥・肺炎の予防)


③褥瘡:骨の出っ張りに羊毛を当て、四時間毎に体位変換


④回復魔法:エリスのヒールを「肺の炎症」「床ずれの初期」に限定投入(脳ではなく合併症に使う)


⑤記録:全患者に個票を作り、体温・脈・尿量・意識を一日三回記録


────────────────


「エリス、あんたの光の使い方が、この作戦の要だ。脳は治せない。だが合併症を、片っ端から潰していく。肺炎の芽を、床ずれの初期を、あんたのヒールで焼き払う。──あんたは、脳炎と戦うんじゃない。脳炎が連れてくる"二番目の死神"を、全部斬る」


 エリスは、両手を見つめ、そして頷いた。


「……分かりました。私はもう、『万能の光』を気取りません。限界を知った上で、最も効く場所に使う。それが、貴方の教えてくれた医学ですから」


 こうして、大陸初の「集中治療病棟」が、帝都の救貧院に生まれた。


 二百を超える寝台に、鼻から管を通された患者が並ぶ。体位変換の号令が、二時間おきに響く。生徒たちが個票を握って走り回り、エリスの淡い光が、あちこちの寝台で瞬く。


 十日後。


 最初の一人が、目を開けた。


 痩せ細った老女だった。うっすらと開いた目が、天井を、そして枕元で泣き崩れる娘を捉えた。


 その老女が、症例001だった。


 名を、マルタといった。豆のスープが得意で、孫が四人いる。


 俺たちは十八日間、二時間おきに彼女の身体を動かし、匙で水を含ませ、褥瘡の穴を洗い続けた。娘は毎日、母の髪を梳かしに来た。返事のない相手に、その日の天気を話しながら。


 十九日目の朝。


 その乾いた唇が、動いた。


「……お、かあ、さん……!」


 施設中の修道女が、生徒が、その光景に手を止めた。誰かがすすり泣き、それが伝播していく。「目覚めた」「あの人が、目覚めた」と。


 俺は個票に、静かに一行を書き加えた。


〈症例001:転帰──生存。神経学的後遺症、軽度。プロトコル有効性、証明〉


 数字を書き終えた俺の手に、老女の娘が両手で縋った。


「先生。母の名前も、書いてください」


 俺は個票の最上段へ、名前を記した。症例番号だけでは仕組みは作れても、救った理由を忘れる。


 (一人、救えた。──だが、これは"仕組み"だ。仕組みなら、複製できる。百人、千人に届く)


 だがその夜。皇女ヴィオラが、俺を人払いした一室に呼んだ。彼女の表情は、勝利の喜びとは程遠かった。


「剣崎。……そなたに、まだ話していないことがある。この眠り病──なぜ今年、これほど爆発したのか。その理由に、心当たりがあるのだ。政治の、闇の話だ」



【今回のカルテ】


支持療法:病原体を直接倒せなくても、回復するまで身体機能を支える。


【たとえるなら】支持療法とは、溺れている人を岸まで運ぶことではない。自力で泳げるようになるまで、浮き輪を渡し続けることである。


【次回】第15話「湿地の真実 ― 引き金を引いた者」

 なぜ今年だけ爆発したのか。相関係数、-0.81。数字は、一人の貴族を名指しする。


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