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聖女様、その回復魔法では患者が死にます ~45歳の外科医が異世界転生したら、チートは『診断』『統計』『経営』でした~  作者: 東雲 諒杏
第二章 西方の眠り病(第11〜20話)

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第12話 帝都の沈黙 ― 眠る者たちの街


【今回の謎】眠り病は、井戸からも、食べ物からも、人からもうつらない。

 夏の終わりに急増し、初霜と共に消える。そして南部の湿地沿いに集中する。――犯人は、誰か。


三百人、という数字は遠い。


 だが、眠ったままの少女が握った布人形の"にぎり癖"を見た瞬間、それは統計ではなくなる。


 帝都に入って、最初に気づいたのは音だった。


 音が、無い。


 大陸随一と謳われる都市に、市の呼び声も、子どもの喧嘩も、犬の吠え声もない。石灰の撒かれた通りを、俺たちの馬の蹄だけが叩いていた。


 十日の行程を七日で駆け、俺たちは帝都アルデバランに入った。


 大陸随一と謳われる巨大都市。だが、その空気は異様だった。市場は半分が閉まり、通りには石灰が撒かれ、家々の窓は固く閉ざされている。時折すれ違う人々は、皆おびえた目でこちらを見た。


 案内されたのは、帝立の「救貧院」を転用した隔離施設。──そこに、地獄があった。


 扉をくぐった瞬間、俺は思わず息を止めた。


 褥瘡の匂い。排泄物の匂い。そして、それを覆い隠すために撒かれた石灰の匂い。


 寝台が、床が見えなくなるほど並んでいる。誰も動かない。誰も喋らない。


 二百を超える人間が同じ部屋にいて、聞こえるのは呼吸の音だけだった。


 寝台の一つで、眠ったままの少女が布の人形を握っていた。傍らの父親は、毎朝「起きた時に怖がらないように」と髪を梳かしているという。


 三百人という数字では遠い。だが一人の指に残る力を見れば、これは統計ではなく、三百通りの帰りを待つ家族の話だと分かる。


 数百の寝台に、眠り続ける人々が横たわっていた。老人、女、そして子供。皆、穏やかな寝顔で、しかし決して目覚めない。痩せ細った腕。乾いた唇。介護する修道女たちも、疲弊しきっている。


「これは……」エリスが息を呑んだ。


 俺は最寄りの寝台に歩み寄った。眠っているのは、まだ十代の少年。俺の魔眼が起動する。


────────────────


【VINDICATE】対象:眠り病患者(男・16)


意識:昏睡 〈強く刺激しても目を開けない、最も深い意識障害〉

体温 微熱/項部硬直(+)

 〈項部硬直=首の後ろが固まり、顎を胸につけられない。脳を包む膜の炎症を示す〉

眼球運動異常/筋緊張の左右差 〈目の動きが揃わず、手足の硬さが左右で違う〉


V血管性:△ I感染性:◎ N腫瘍性:×…… 〈原因は「感染」が最有力〉


最有力候補:中枢神経系の感染症(脳炎/髄膜脳炎) 〈脳そのものの炎症〉

※単なる「毒」や「呪い」では、この項部硬直と局所神経症状は説明できない


────────────────


 (脳をやられている。髄膜、あるいは脳実質の感染……。この昏睡パターン、発熱の先行、そして「眠り込む」という特徴──前世の記憶が、一つの病名を囁く。嗜眠性脳炎、あるいは何らかの媒介性の脳炎だ)


「アラタ様!」疫学班の生徒が、記録板を手に駆け寄った。「救貧院の名簿を写しました! 患者の住所、発症日、年齢、全部です!」


「よくやった。それが一番の武器だ」


 俺は、その場に膝をつき、生徒たちと共に帝都の地図を広げた。患者の家を、一つ一つ点で打っていく。「アナリティクス」が、無数の点から意味を紡ぎ出す。


────────────────


【アナリティクス】眠り病 症例分布 n=214


空間解析:井戸との相関──なし 〈水を介してうつる病気ではない〉

食物との相関──なし

人から人への感染──家庭内二次感染率が低く、飛沫感染は考えにくい

 〈家族に次々うつっていない。咳などでうつる病気でもない〉

時間解析:発症は夏の終わりに急増、初霜と共に新規発症が激減

 〈暑い時期に増え、寒くなると止まる〉

環境相関:症例は帝都南部の湿地・水路沿いに集中


統計的示唆:媒介生物(ベクター)による伝播の可能性・大

 〈ベクター=病原体を運ぶ生き物。虫が運んでいる可能性が高い〉


────────────────


「……水じゃない。飯でもない。人から人でもない」俺は呟いた。「季節と、湿地。夏に増えて、寒くなると止まる。──虫だ」


「虫、ですか?」カサンドラが眉をひそめる。


「蚊だ。おそらく。湿地で繁殖し、人を刺し、脳をやられる病を運ぶ。前世に日本脳炎という病があった。……症状が、あまりに似ている」


 (ワクチンはない。特効薬もない。この段階の脳炎は、前世でも対症療法しかなかった。──だが)


 俺は立ち上がった。頭の中で、戦略が三層に組み上がっていく。


「聞け。俺たちの戦い方は三つだ。第一に、これ以上刺されないようにする(予防)。第二に、既に眠っている者を、脱水と飢えと肺炎で死なせない(管理)。第三に──なぜ今年これほど爆発したのか、その"引き金"を突き止める(原因究明)」


 だがその時、施設の扉が開き、豪奢な法衣の男が供を連れて現れた。


 帝国教会の大司教。そして、その隣には──帝立医療院の院長を名乗る、痩せた老医師。


「異国の追放者風情が、我らの領分で何をしている」大司教が冷ややかに言った。「これは神罰である。虫の仕業などと、神を冒涜するか」


 (──来たか。縄張り争い。前世でも、疾病より人間の政治のほうが、よほど厄介だった)


 俺は静かに、しかし全員に聞こえる声で言った。


「では大司教殿。神罰なら、なぜ南部の湿地沿いにだけ落ちるのですか? なぜ初霜と共に止まるのですか? 神は、地図と暦を使って人を裁くのですか?」



【今回のカルテ】


媒介感染:蚊などの生物が病原体を人から人へ運ぶ感染経路。


【たとえるなら】媒介感染は、犯人が自分では歩かず"運び屋"を雇う手口。運び屋を捕まえれば、犯人は動けなくなる。


【次回】第13話「縄張り、あるいは百人の命 ― 帝立医療院との対決」

 円卓の敵は、病ではなく人間である。武器は、この世界の誰も見たことがない一枚のグラフだった。


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