幕間I 聖女エリスの手記 ― 十二回、祈った夜
【幕間について】各部の終わりに、主人公以外の視点で語られる一話を置いています。
本編を読んでいなくても単独で読めます。そして読むと、本編がもう一度おいしくなります。
私は、十二回、祈った。
王女ソフィア様の寝室で、香が三度焚き替えられる間、私は膝をついたまま祈り続けた。
一回目の祈りで、熱が下がった。皆が歓声を上げた。
二回目で、また上がった。
三回目で、少しだけ下がった。四回目では、何も起きなかった。
五回目からは、誰も歓声を上げなくなった。
六回目で、宮廷医が部屋を出ていった。
七回目で、王妃様が私を見る目が変わった。
八回目。九回目。十回目。
十一回目の祈りの途中で、私は自分が何をしているのか分からなくなった。
私は治しているのか。それとも、治しているふりをしているだけなのか。
十二回目の祈りを終えた時、王女様は、もう私を見なかった。
そこへ、あの男が入ってきた。
黒い髪の、疲れた顔をした異国の男。四十半ばだろうか。目の下に隈があり、爪は短く切り揃えられていた。
彼は部屋に入るなり、鼻に皺を寄せた。
――香の匂いを、嫌がったのだ。
私たちが十日かけて焚き続けた、聖なる香を。
そして彼は、私の祈りの手を見て、こう言った。
「聖女様。その回復魔法は、今すぐ止めてください」
私は、耳を疑った。
「──患者が、死にます」
その瞬間、私の中で何かが割れた。
怒りだったと思う。あるいは、恥だったのかもしれない。
十二回。私は、十二回祈ったのだ。喉が焼けるまで。指の感覚がなくなるまで。それを、この男は「止めろ」と言う。
私は叫んだ。何を叫んだかは、よく覚えていない。
彼は、叫ばなかった。
ただ、静かに、私が知らない言葉を並べた。膿。袋。四センチ。排出。
言葉の意味は、半分も分からなかった。
でも一つだけ、はっきり分かったことがある。
――この人は、私を否定していない。
私の光を、否定していないのだ。
彼が否定したのは、「使う順番」だった。
処置は、三分で終わった。
三分。
私の十二回の祈りが、三分に負けたのではない。
私の十二回の祈りは、その三分がなければ、永遠に届かなかったのだ。
その夜、王女様は五日ぶりに眠った。
私は、廊下で膝をついた。誰も見ていない場所で。
教義には、こう書かれている。「光は、信ずる者を癒す」と。
では、信じても癒えなかったあの子たちは。
私が救えなかった、あの何十人もの子たちは。
――信仰が、足りなかったのか。
ずっと、そう思っていた。自分を責めてきた。
違った。
足りなかったのは信仰ではない。知識だった。
翌朝、あの男は捕らえられた。
王族の身体を刃物で穢した大罪人として。
私は、何もしなかった。
教会の筆頭聖女として、何一つ、言えなかった。
――だから、これは私の記録である。
いつか彼に会えたら、私はまず、こう言わなければならない。
「手の清め方を、教えてください」
そして、その次に、こう言うのだ。
「あの夜、あなたを庇わなかったことを、謝らせてください」と。
【今回のカルテ】
聖女の光は無力ではない。使う順番が間違っていただけである。
【たとえるなら】祈りは"乾燥機"、外科は"配管工"。詰まりを取らずに乾かせば、汚れごと固まってしまう。
【次回】第11話「西方より来たる眠り病」から、第2部が始まります。
国境の向こうで、三百人が眠ったまま目を覚まさない。
<第1部・完>
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
第1部は「一人の外科医が、信用ゼロの辺境で居場所を作るまで」の物語です。ここで読み終えても、一つの話として完結しています。
もし続きが気になったら、第2部『帝都の眠り病編』へどうぞ。舞台は辺境から、大陸最大の都市へ移ります。
# 【第2部】帝都の眠り病編(第11〜20話+幕間II)
第1部を読んでいなくても、ここから読めます。
前提:主人公は異世界転生した外科医。魔法は使えず、武器は『診断』『統計』『経営』のみ。
辺境に医学校を建てたところから、この部は始まります。
舞台は大陸最大の都市アルデバラン。三百人が眠ったまま目を覚まさない「眠り病」に、
開校三ヶ月の医学校が挑む、疫学調査と政治交渉の十話。
読みどころ:アウトブレイク調査/円卓のプレゼン/集中治療/主人公自身の病の発覚




