第四章:誰がための竜馬車(わだち)か、想い繋ぐ四つの軌跡 ②砂漠・火山編:金色に染まる谷、託された青き羅針盤
「ふぅ……あっちぃー……っ! 完全に選択を誤ったわ……! あんなギラギラした太陽の照り返し、一億歩譲ってもマシじゃないっ!」
リンはぐったりと耳を寝かせ、汗ばんだ白い尻尾を力なくパタパタと団扇代わりに振りながら、陽炎の立つ砂丘を見上げて恨めしそうに声を上げた。小麦色に焼けた肌が太陽の光を浴びてギラリと光り、首筋から胸元へと伝う汗の雫が、彼女の持つ野性的な生命力をどこか妖艶に際立たせている。
「は、はいぃ……っ。幽霊の正体がただのドワーフのおじいさんだと分かっているなら……暗くて不気味でも、ひんやり涼しい廃坑のほうが、絶対に天国でした……っ。ここまでの猛暑は生まれて初めて経験します……っ」
ミリアもすっかり干からびそうになりながら、大きな魔導書を日よけ代わりに頭の上に乗せ、一歩一歩砂に足を取られてフラフラと歩いている。
お気に入りの魔法使いのローブは内側に熱がこもりやすく、今の彼女はさながら『歩く蒸し風呂』状態。透き通るような白肌の両頬は熟れた果実のようにぽっと赤く染まり、じっとりと汗を吸った漆黒の衣装が、いつもより鮮明に彼女の華奢なボディラインを浮かび上がらせていた。ふぅふぅと熱い吐息を漏らしながら、湿った睫毛の奥の涙目で、必死にリンの後を追いかけていた。
「あーあ、ノインのやつ、今ごろ涼しい地下で『極楽極楽〜』なんて言いながら石を掘ってるんじゃないでしょうね? ああなると分かってたら、アタシがアンヴィルと一緒に行くって言えばよかったー!」
「うぅ、羨ましいです……。今すぐノインさんと交代して、あの薄暗い岩陰で涼みたいですね……っ」
お化けが出ない場所だと分かった途端、今度は目の前の灼熱地獄に全力で文句を言い合う現金な二人。しかし、文句を言いながらも、その足はしっかりと前を見据えて進んでいた。
二人が探しているのは、バザン親方が言っていた2つ目の素材――『熱砂の星砂』。
火山の熱を絶え間なく浴びることで、砂でありながら「熱を吸うほどに分子が結合して鉄より硬くなる」という特性を持った、星の形をした結晶質の砂だ。これがあれば、竜馬車の外殻の結合部をどんな風圧にも耐える強度で鋳固めることができる。
「文句ばっかり言ってても砂は降ってこないわね……。ミリア、魔導書で何か探知できない?」
「は, はいっ! やってみます! 『大地の息吹を求めし光よ、隠された秘宝の在処を語れ――“探知”』!」
ミリアが気力を振り絞って呪文を唱えると、魔導書のページがバサバサと捲れ、淡い光の矢が一本の不気味な谷筋――『流砂の谷』を指し示した。
◇
その谷へと足を踏み入れた瞬間、異様な風の咆哮が二人の鼓膜を打った。
火山の熱気が生み出す上昇気流と、砂漠の突風が狭い谷の中でぶつかり合い、狂ったような乱気流となって吹き荒れている。肌を刺すような熱風、そして皮膚を細かく叩く砂粒の痛み。息を吸い込むだけでも喉が焼けるように熱い。
「な、何ですか、この風……! 呼吸が上手くできませんっ!」
「ミリア、アタシの後ろに隠れて! ……って、あれは!?」
リンが目を細めた先、激しい熱風の渦のど真ん中で、奇妙なものが砂に乗り上げて大破していた。
それは、幾重もの風帆を取り付けた、鳥の翼のような形をした見たこともない木製の「砂上ソリ」だった。
一人の男が必死に剣を構えているのが見えた。
無精髭を生やし、砂と煤で汚れた高価そうなゴーグルを額に引っ掛けた男だ。仕立てのいい革の操縦服はあちこちが破れ、鋭い眼光だけが砂嵐の奥でギラギラと光っている。ただの商人の護衛や迷い人には見えない、独特の荒々しい空気をまとった男だった。
「キシャァァァァァッ!!」
不快な金属音のような鳴き声を上げ、大破した機体を囲んでいたのは、岩石のように硬い外殻に覆われた巨大なサソリ型の魔獣――『獄炎蠍』の群れだった。男はすでに片脚を負傷しているようで、迫り来る巨大なハサミを前に、死を覚悟したように歯を食いしばった。
「ちくしょう、俺の旅も、この狂った風の中で終わりか……!」
「終わりにするには早すぎるわよっ!!」
鋭い怒号が轟くと同時、砂嵐を強引に切り裂いて、一筋の「白銀の旋風」が乱入した。
疾風のごとき速度で滑り込んだリンが、男の頭上に振り下ろされようとしていた中型の蠍の巨大なハサミを、迎え撃つように愛用の長槍で鋭く突き上げる。
「風技――**『旋風払い』**っ!!」
槍の石突に高密度の風圧をまとわせ、下から斜め上へと叩き上げる一閃。凄まじい衝撃波を伴った打撃がハサミの関節部に炸裂し、中型の蠍の巨体が見事に横ざまに数メートルも吹き飛んだ。
「なっ……獣人の、娘……!? それに今の風は……」
「怪我人は下がってて! ここはアタシたちが引き受ける!」
操縦服の男が驚愕に目をみはる中、リンは長槍を滑らせて順手に持ち替え、周囲を囲む十数匹の蠍の群れを鋭い視線で睨み据えた。
まずは中型・小型の蠍たちの群れが一斉にカチカチとハサミを鳴らし、全方位からリンへ向かって砂を蹴立てて襲いかかる。
リンは長槍のリーチを活かし、襲い来る鋭いハサミを次々と弾き、電撃のような突きで雑魚の蠍たちを的確に突いて後退させていく。リン一人の手によって、男の周りに完璧な防衛線が敷かれていた。
だがその時、流砂の谷の中心が、ズズズ……と大きく陥没した。
群れの奥から、他の蠍たちとは二回りもサイズが違う、家一軒ほどもある巨大な主――ボスの『獄炎蠍』が、地響きを立てて姿を現したのだ。
ボスがその禍々しい尾針を天空へと突き上げると、ブワッ、と谷全体の熱気が不自然に数百度も跳ね上がる。ボスの体表から立ち上る圧倒的な熱量によって、周囲の黄金の砂がドロドロとした赤いガラス状の溶岩へと溶け始め、すり鉢状の谷全体を包み込んでいく。
「キシャァァァァッ!!」
ボスの熱波による蜃気流で空間がぐにゃりと歪む。足元は底なしの泥濘のようになり、リンの自慢の俊敏な足回りが完全に封じられてしまった。
好機と見た二匹の中型の蠍(雑魚)が、溶岩の足場を苦にすることなく、左右から同時にリンの死角を突いてハサミを突き出してくる。さらに、その背後からはボスの巨大なハサミが、リンを圧殺せんと正面から迫っていた。
「しまっ……足が……っ!」
完全に退路を断たれ、ハサミに挟み込まれる寸前――。
「リンさん、そのまま跳んでくださいっ!」
後ろで魔導書を構えていたミリアの、大音声が響き渡った。
「『大気に満ちる冷徹なる拒絶、熱狂を冷ます氷の壁よ――“氷壁”』!」
ドォォォン!!
リンが残る膂力を振り絞り、砂を蹴って真上へと跳躍した直後、彼女の足元を守るように分厚く強固な氷の壁が円形にそびえ立った。左右からの雑魚のハサミは氷の壁に激突して火花を散らし、正面から突進してきたボスの巨大なハサミをも、その頑丈な氷壁が真っ向から受け止める。
直後、火山の圧倒的な熱をまとうボスと、ミリアの放った絶対零度の冷気が激しく衝突した。
ズザァァァァッ!! と凄まじい水蒸気爆発が巻き起こり、谷の中に「黄金の対流」が生み出される。
その激しい熱対流の突風に煽られ、谷の底に眠っていた『熱砂の星砂』が、何億、何兆粒という光の結晶となって爆発的に舞い上がった。太陽の光を浴びた砂粒が、万華鏡のように光を乱反射し、視界のすべてを息を呑むような圧倒的な金色一色へと染め上げていく。
(綺麗……. でも、これなら見える。風の通り道が、アタシにははっきり見える……!)
普通なら水蒸気と砂嵐で視界を完全に奪われる空間。しかし、舞い上がる星砂の輝きの「流れ」によって、リンの目には、氷壁の向こうで足止めされているボスの脳天へとまっすぐに繋がる『一本の風の通り道』が完璧に見えていた。
リンは空中を舞う、大破したソリの翼の残骸を視認する。
落ちていくその木製の翼を、素足で強く、爆発的に蹴りつけた。
重力を置き去りにするように、自身の俊敏な魔力と風をその小さな身に限界までまとう。
黄金に染まる空から、標的であるボスの脳天へと真っ直ぐに急降下しながら、リンは長槍を頭上高くに掲げた。槍の穂先が、周囲の猛烈な熱風を急速に巻き込み、巨大な炎の渦をまとったドリルへと変貌していく。
「これで……終わりよぉぉぉっ! 獣技――『閃光蒼槍破』――!!」
彗星のごとく放たれた極大の刺突。
寸分の狂いもなく放たれた一撃は、ボスの最も硬い頭殻をいとも容易く貫通した。
パリィィィン! とまるで巨大なガラス細工が砕けるような美しい音が響き渡り、主である巨大な獄炎蠍の巨体は、一瞬で光の粒子となって熱風の中に霧散していく。
ボスが消滅し、残されていた周囲の小さな群れの蠍たちも、恐怖に駆られて蜘蛛の子を散らすように砂の奥へと逃げ帰っていった。
◇
熱風が収まり、静寂が戻った谷の底。
男は、大破した愛機の傍らに座り込んだまま、ただただ呆然と二人の少女を見つめていた。
「嘘だろ……。あの狂った熱風と砂嵐の中で、風の急所を見切って跳んだというのか……。あんな見事な風と、あの槍捌き……見たことがない……」
呟いた直後、男の破れたゴーグルの奥の目が、獲物を見つけた肉食獣のようにギラリと輝いた。さっきまで片脚を痛めて死にかけていたはずの男が、信じられない俊敏さで這いずり、リンとミリアの足元へズサァッと詰め寄る。
「おい、待て、待て待て待て! 今の、一体どうやったんだ!? 最初のハサミを弾いた風、あれはただの闘気じゃない、気流の『渦』の回転数を上回る逆位相の風圧をピンポイントでぶつけたな!? それにそっちのお嬢ちゃん! あのタイミングで熱膨張を相殺するだけの絶対零度の氷壁を作るなんて、一体どれだけの魔力計算速度をしてるんだ!? 普通なら水蒸気爆発が起きた瞬間に発生する乱気流で吹き飛ばされて終わりだろ! なのに何で垂直上昇気流の『芯』を正確に捉えて跳べた!? おい獣人の娘、まさかお前、体毛や耳の表面の微振動だけで秒速三十メートルの突風のベクトルを全部感知してんのか!? 最後にあのボスの頭殻をぶち抜いた一撃だって、火山の熱気流を槍の穂先に巻き込んで螺旋の推進力に変えてただろ!? 独学か!? 誰に教わった!? その槍の材質は何だ!? お前ら一体何者なんだよ!?」
息をもつかせぬ超高速の質問の弾幕に、リンとミリアは引き気味に一歩、いや三歩ほど後ずさりした。
「え、えーっと……おじさん、急に元気になりすぎじゃない……?」
リンは引きつった笑顔で長槍をガードのように体の前に構え、
「ひゃいっ!? あ、あの、魔力計算は独学というか、聖堂の教本をその、丸暗記したというか……うぅ、顔が近いですっ!」
ミリアは大きな魔導書で顔を隠しながら、完全に男の気迫に圧倒されている。
男はハッと我に返ると、あてられたように自分の頭をガシガシと掻いた。大きく一つため息をつく。
「……すまねえ、乗り物と風のことになると、どうも我を忘れるタチでね。……怪我の痛みも一瞬で忘れるところだった。あ痛たた……」
男は急に脚を押さえて砂に背を預け、自嘲気味の笑みをこぼした。ミリアがそっと歩み寄り、男の傷ついた脚の前に膝をついて、優しく治癒魔法の光を当て始める。ミリアの温かい魔法の光で痛みが引いていくのを感じながら、男は額のゴーグルを外して首にかけ、ぽつりぽつりと話し始めた。
「……助かったよ、お嬢ちゃんたち。俺の名はカイト。……こう見えても、かつては前線で『風』を操り、誰も見たことのない高みを目指して荒野を駆けていた、伝説の操縦士(御者)なんて呼ばれていた男さ」
カイトは愛おしそうに大破した翼に触れ、悔しそうに顔を歪めた。
「俺は、この火山特有の過酷な乱気流を越え、雲の上にあるという誰も見たことのない絶景を目指して、この試作機を走らせていたんだ。だが、見ての通り、この狂った風に俺の技術が耐えきれず大破しちまってね。運悪く、この谷の主たちのテリトリーに墜落して、命を落としかけていたってわけさ」
「……なるほど。幽霊の正体を探しに行かなくて、本当に大正解でしたね、リンさん」
「うん。あのまま涼しい炭鉱に行ってたら、このおじさん、サソリの餌になってたもんね」
二人が納得したように頷き合う中、カイトは我に返ったように不思議そうに二人を見た。
「……ま、俺のことはいい。それよりお嬢ちゃんたち、こんな化け物だらけの危険な谷で一体何をしてたんだ? 迷子って雰囲気じゃねえしな」
リンは背中の長槍をポンと叩き、足元に転がっている星型の美しい砂粒を指差した。
「アタシたち、ちょっと馬車の大改修に必要な素材を探しててさ。この谷にあるっていう『熱砂の星砂』を分けてもらいにきたんだ」
「星砂だと……?」
カイトは自分の手を見つめ、それから二人の少女を真剣な目で見据えた。彼の目には、夢に破れかけた男の諦念ではなく、先ほど二人が見せた「風の制御の答え」への深い感動が宿っていた。
「星砂なら、そこら中に落ちてる。いくらでも持っていきな。……だが、お嬢ちゃんたち。お前さんたちのその技、その連携、一体どんな乗り物に乗るために鍛えたものだ?」
ミリアが誇らしげに胸を張って答える。
「私たちの命を乗せて走る、最高の**【竜馬車】**です! 普段は普通の男の子なんですけど、物作りになると誰よりも一生懸命で、いつも使う人のことを一番に考えてくれる、大切な仲間が今、町で一生懸命作ってくれているんです!」
その言葉を聞いたカイトは、深く、深く息を吐き出した。そして、大破したソリの操縦席から、一筋の古びた革紐に繋がれた、美しい青色に輝く風の羅針盤を取り出した。
カイトはその羅針盤を、リンの手にそっと握らせた。
「俺の旅は、この機体と共にここで終わりだ。だが……熱風をいなし、氷の冷気で風を導いたお前たちのその連携ができるなら、お前たちの竜馬車なら……俺がどうしてもたどり着けなかった、あの狂った風の峰を越えて、世界の果てまでいけるかもしれない」
カイトは二人の目を見据え、熱い想いを託すように告げた。
「俺の夢の続きを、その竜馬車に乗せていってくれないか。……それと、一つ助言だ。風の力をさらに増幅して車体を安定させるつもりなら、この先にある高山地帯の『竜脈の古木』が必要になる。だが、あそこは風の気流がこの谷以上に狂っている。まずは、車軸を冷やす『氷輝結晶』を先に手入れな。冷気で駆動部の熱のバランスを整えてから挑むのが、あの狂風の峰を越えるための絶対の鉄則だ」
リンは受け取った青い羅針盤を強く握りしめ、カイトに向かってニカッと太陽のような笑顔を見せた。
「うん! おじさんの想いも、その羅針盤も、アタシたちの竜馬車が全部乗せて走ってあげる! ありがとね、おじさん!」
「ありがとうございます、カイトさん。必ず、良い竜馬車を完成させますっ!」
二人がペコリと頭を下げて歩き出そうとした瞬間、後ろから「おいちょっと待て!」とカイトの抗議の声が飛んできた。
「カイト『さん』は百歩譲っていいとしてだ。お嬢ちゃん、さっきからさらっと『おじさん』って連呼してないか!? 俺はまだ三十代半ばだ、せめて『お兄さん』って呼びな!」
「えー? 無精髭生えてるし、どう見ても立派なおじさんじゃん」
「これはお洒落髭だ! ったく、今時の若い娘は見る目がねえなぁ……。ほら、さっさと行きな。熱中症になっても知らねえぞ」
カイトはそう言って、照れ隠しのようにゴーグルをいじりながらシッシッと手を振った。リンはケラケラと笑い、ミリアも小さくクスクスと笑いながら、今度こそ彼に大きく手を振った。
手に入れた『熱砂の星砂』を袋に詰め、二人は確かな道標を胸にバザルトの工房へと歩き出した。
砂漠を渡る風はまだ熱かったが、二人の胸に灯った「誰かの夢を繋いで走る」という新しい決意は、何よりも心地よく、彼女たちの背中を力強く押し進めていた。




