第三章:遠き黒曜の背中と、風に生まれる翡翠の絆(後半)
ルミナスたちとの遭遇からしばらく進んだ、盆地の奥。
「オーキス・レクスを音もなく従えるなんて……」とミリアが未だにおびえていると、突然、頭上から凄まじい風圧が吹き下ろした。
キィィィィィン――ッ!!
空を切り裂くような高い鳴き声と共に、岩陰から猛烈な速度で飛び出してきた影があった。
それは、全身を翡翠色の美しい鱗で覆われた中型の飛竜――『ゲイルランナー(嵐を駆ける超駿竜)』だった。しかし、そのゲイルランナーはひどく興奮し、苦しそうに激しく暴れていた。
よく見ると、右側の前脚の付け根に、魔王軍の残党が仕掛けたと思われる、黒鉄製の巨大な『狩猟用罠』が深く噛み込んでいた。罠には邪悪な闇属性の呪いが込められており、傷口から黒い煙を上げている。
苦痛で理性を失ったゲイルランナーが、真空の刃(風魔法)を撒き散らしながら突進してくる。
「危ない! 下がれミリア!」
ノインが前に出、大盾を地面に突き立てて突風を防ぐ。
「ミリア、風の緊縛術式だ! ほんのひと滴の魔力で、正確に!」
「はいっ……! 『風の枷』!!」
ミリアの超高密度に純化された一滴の魔法が、ドラゴンの翼を完璧に縛り付ける。
「いっけえぇぇ! アンヴィル!」
リンが槍の柄でドラゴンの背を叩き、地面へと押さえつけた。三人が作った、わずか三秒の隙。
「グガガァァッ!?」
完全に動きを封じられたゲイルランナーの右足へ、アンヴィルが滑り込む。
アンヴィルは職人の眼で、罠の構造の「最も脆い一点」を瞬時に見抜いた。そこへ、父から教わった鍛冶の技術――鉄の「結晶の節目」を正確に捉え、バルカンの剣を刃筋正しく叩き込んだ。
ガキィィィィン!!!
火花が散り、黒鉄の罠が木っ端微塵に砕け散った。
せき止められていた翡翠色の美しい魔力が一気にドラゴンの全身へと循環し、呪いの黒煙が霧散していく。
「ふぅ……! 間に合った……」
アンヴィルはその場にへたり込んだ。
「グルル……?」
解放されたゲイルランナーは、その場にパタリと倒れ込むと、自分の足を見つめ、それからゆっくりと首をもたげてアンヴィルを見つめた。そこには深い感謝の色が宿っていた。
ゲイルランナーは、のっそりとアンヴィルに近づくと、その大きな頭を、アンヴィルの胸元へと「すりすり」と何度も愛おしそうに擦り付け始めた。
「わっ、わとと! くすぐったいよ。もう大丈夫だからね」
アンヴィルが笑顔でその頭を撫でる。
「……フン、大した大捕物だな」
突然、街道の先から滑らかな声が響いた。驚いて振り返ると、先ほど走り去ったはずの『暁の星』の豪華な竜馬車が、いつの間にか戻ってきていた。やはり音は一切していなかった。
どうやら、魔王軍の残党を追う過程で、ドラゴンの暴れる気配を察知し、彼らの戦いを馬車の中からじっと見届けていたらしい。
「あ、あんたたち、まだいたの……!?」
リンが警戒するが、馬車から降り立ったルミナスは一歩前に出ると、アンヴィルにすり寄るゲイルランナーに視線を向け、フッと妖艶に口元を緩めた。その瞳が、一瞬だけまた琥珀色の縦長スリットへと変化する。同じ竜の血を引く竜人族である彼女には、ドラゴンの心の声がはっきりと聞き取れるのだ。
「安心しなさい、もう戦う気はないわ。……少年、そのゲイルランナーが何と言っているか、知りたくはない?」
ルミナスが静かに髪をかき上げ、ゲイルランナーの声を翻訳するように語りかける。
後ろに控える回復術士のセリアが「お見事です。ドラゴンの魔力を傷つけることなく、罠の呪いだけを正確に破壊するとは」と感嘆の声を漏らし、弓使いのレイヴンも「あの速度で動く標的の急所を正確に叩くなんてね」と、それぞれのプロの視点からアンヴィルの卓越した技術を称賛している。
「その嵐を駆ける超駿竜はね、お前にこう言っているわ。――『冷たい鉄の呪いから、僕を救ってくれてありがとう。僕は君がとても気に入った。命の恩人である君に、どうしても恩返しがしたい。僕を君の旅の連れにしてほしい』……ってね」
「恩返し……僕の連れに?」
アンヴィルが驚いてゲイルランナーを見ると、ゲイルランナーはルミナスの翻訳を肯定するように、嬉しそうに「ウオォォン!」と一鳴きし、激しく尾を振った。
それを見たノインが、顎をさすりながらニヤリと笑った。
「おい、アンヴィル。あいつらのオーキス・レクスには及ばねぇが、最高の『馬』が見つかったんじゃないか? あいつの脚力と体力なら、あの重い黒鉄の荷台なんて、羽毛を引くようなもんだぞ」
「あ……そっか! ……よし、これからよろしくね!」
アンヴィルが手を差し出すと、ゲイルランナーはその手のひらを優しく舐めた。
ルミナスは、そんな彼らの様子を愛おしそうに見つめた後、御者席に座り黒曜竜のたてがみを優しくポンと叩いた。
「行くわよ、ヴィト。残党の足跡が消える前に追いつくわ」
『グルルゥ……』
ルミナスの言葉に応じるように、ヴィトと呼ばれた黒曜竜が短く知性的な鳴き声を返す。
ルミナスは最後にアンヴィルへと言い残した。
「野生のゲイルランナーが人間にここまで懐くなんて、前代未聞よ。少年、お前には単なる剣の腕ではない、命の、そして物の『本質』を見抜く不思議な力があるようね。ヴィトのように信頼し合える名をつけてやりなさい。……お前たちの旅の行く末、陰ながら興味深く見守らせてもらうわ」
リーダーのガルバドも「フン、精進しろよ」と不器用な激励の笑みを浮かべ、Sランクパーティーの面々は、再びヴィトの引く竜馬車へと乗り込み、風のようにその姿を消した。
◇
「ヴィト、か……。あんなに強いドラゴンなのに、ちゃんと名前で呼んで、相棒として接しているんだな……」
去り行く最高峰の背中を見送りながら、アンヴィルはぽつりと呟いた。格の違いに圧倒されながらも、どこか彼らの「プロとしての流儀」に深い感銘を受けていた。
「アンヴィル、私たちもこの子に名前をつけてあげようよ!」
ミリアが目を輝かせながらゲイルランナーの隣にしゃがみ込む。
「そうだな。僕たちの旅の大事な仲間だ。これからよろしく、という意味も込めて……」
アンヴィルは、ゲイルランナーの美しく透き通った翡翠色の鱗と、荒野を駆け抜ける爽快な風を思い浮かべ、その輝く瞳をまっすぐに見つめた。
「君の名前は……『シルフ』。風の妖精みたいに、僕たちをどこまでも遠くへ運んでくれるように。どうかな?」
「シルフ……! 綺麗で、この子にぴったりな名前ね!」
リンが嬉しそうに尻尾を揺らす。
名前を呼ばれたゲイルランナー――シルフは、自分の名前をひどく気に入ったようで、「キュィィィン!」と高く心地よい鳴き声を上げると、アンヴィルの頬を嬉しそうにペロペロと大きな舌で舐め回した。
「わわっ! くすぐったいってば、シルフ!」
アンヴィルの弾けた笑顔に、その場が温かい笑い声で包まれる。最高の相棒との、本当の意味での出会いの瞬間だった。
◇
数時間後。
新しく手に入れた黒鉄の頑丈な荷台には、神話時代の激重の胸当てと、四人分の荷物がしっかりと積み込まれていた。
その荷台を引くのは、特製の革鉄の馬具を装着した、翡翠色に輝くシルフだ。
御者席に座るアンヴィルが「よし、行こう、シルフ!」と声をかけると、シルフは力強く地を蹴った。
ビュォォォォン!!
「ひゃあぁぁぁ!? 速すぎますーー!」
ミリアの悲鳴が響き渡る。
普通の馬車ならガタガタと激しく揺れるはずの黒鉄の荷台は、ノインの精巧な調整と、シルフ自身がまとう「風の結界」によって、驚くほど滑らかに、かつ矢のような速度で荒野を駆け抜けていく。
「あははは! 最高じゃない! これなら次の街まであっというまね!」
リンが風に白銀の髪をなびかせ、上機嫌で大笑いする。
手引きのボロ台車を押し、ドロドロになっていた旅路は完全に過去のものとなった。
頑丈な黒鉄の荷台と、風のように速い新たな相棒シルフ、そして伝説のSランクパーティーからの予期せぬ注目。最高の「旅の足」を手に入れたアンヴィルたちのパーティーは、賑やかな歓声を上げながら、世界の命運を懸けた次なる舞台へと、猛烈な速度で突き進んでいく。




