第三章:遠き黒曜の背中と、風に生まれる翡翠の絆(前半)
ガラガラ、ゴトゴト、キーー。
魔導鉱山都市フェルムの裏路地。昨夜の酒場の熱気とは裏腹に、アンヴィルたちのパーティーには、出発を前にして早くもどんよりとした暗雲が立ち込めていた。
原因は、目の前にある『魔導式運搬スクラップ台車』だ。
中には、第二章の旧遺跡で手に入れた神話時代の錆びついた胸当て(プレートアーマー)が載っている。簡易的な浮遊魔術がついているとはいえ、その異常な重量は台車のキャパシティを遥かに超えていた。
「これ、本当に次の街まで手で引いていく気……? 街を出る前に全員が筋肉痛で全滅するわよ」
リンが槍を杖代わりに突き立て、自慢の白銀の尻尾を不機嫌そうに揺らす。
「ごめん、リン……。でも、まさかここまで重いなんて……」
アンヴィルも額から冷や汗を流し、ノインと共に台車の取っ手を握りしめていた。ドワーフのノインですら「あと半日もすれば車軸が摩擦熱で焼き切れるぞ」と顔をしかめている。
「四人分の荷物も増えたし、手押し台車のまま旅をするのは絶対に無理だ。みんな、まずはこの街で『馬車』を探そう!」
アンヴィルの提案に、全員が限界を迎えた表情で深く同意した。
◇
四人はさっそく街の馬車商会を巡った。しかし、若き駆け出しの彼らにとって、屋根付きの立派な馬車はどれも金貨数十枚という目が飛び出るような高級品ばかりだった。
予算の少なさに困り果てていたところ、ギルドの片隅の商人が「それなら、車体(荷台)だけなら安く譲ってやるよ」と声をかけてきた。
案内された倉庫にあったのは、荷台の木製フレームを、頑丈な黒鉄の補強材でガチガチに固めた、少々無骨すぎるほどに頑丈な荷馬車用の荷台だった。
「これ、軍用として試作されたんだけどね。鉄を使いすぎて重すぎてさ、普通の馬じゃ三キロでへばっちまうんだ。いわば売れ残りの欠陥品だよ。金貨数枚でいいなら譲るが、引ける馬がいるかね?」
「……いや、むしろこの頑丈さなら、あの激重のプレートアーマーを載せても絶対に壊れない! 荷台はこれにしよう!」
アンヴィルは職人の眼でその堅牢さを見抜き、即決で購入した。
問題は、この重い黒鉄の荷台を引くための、並外れた体力を持つ「馬」が街のどこにも売っていないことだった。
「馬がいないなら、街の周りの荒野や森で、野生の地竜の若い個体でも探して捕まえるしかないな」というノインの提案を受け、四人はフェルムの街の郊外へと足を伸ばすことにした。
◇
フェルムの街の東側に広がる、切り立った岩場と突風が吹き荒れる盆地。
ボロ台車を必死に引きながら街道を進んでいたアンヴィルたちの前方に、いつの間にか、音もなく一つの影が現れていた。
「え……? あ、あの馬車、いつの間に……っ!?」
ミリアが息を呑み、魔導書を強く抱きしめる。
現れたのは、白銀の装飾が施された、まるで移動する宮殿のような高級竜馬車だった。
驚くべきことに、その巨体でありながら、街道の砂利を踏み鳴らす音すらほとんど立てず、滑るように滑らかに接近してくる。何より異常だったのは、馬車を一回り大きくした程度の引き締まった体躯でありながら、尋常ではない密度の魔力をまとって馬車を引いている「黒曜石の鱗を持つ竜」だった。
すれ違う、まさにその瞬間――。
ゴオォォォ……ッ!!!
足元を揺らす地響きなど一切ない。それなのに、周囲の空気が一瞬で凍りつき、胸を巨大な目に見えない質量で圧迫されるかのような「圧倒的な覇気」がアンヴィルたちを襲った。あまりのプレッシャーに、前衛のリンは息を吸うことすら忘れ、全身の毛を逆立てて硬直する。
恐怖で震えるミリアが、必死に魔導書の知識を絞り出し、掠れた声でその竜の解説を口にした。
「あ、ありえません……! アンヴィルさん、あれ、一般的な『アースドラゴン(地竜)』なんかじゃありません……っ! 地竜の最高位種にあたる――『オーキス・レクス(重鋼の黒曜竜)』です! 身体の重力を自在に制御する固有魔術を持っていて、本来なら歩くだけで周囲の地面を陥没させるほどの質量があるはずなのに……。それを、周囲に地鳴り一つ立てさせずに完全に御して、馬車馬代わりに手懐けているなんて……!」
馬車はアンヴィルたちを気にする風でもなく、ただ悠然とすれ違い、通り過ぎていった。
強烈な覇気から解放され、アンヴィルたちが「ふぅ……」と小さく安堵の息を漏らし、完全に通り過ぎたと思った、まさにその背後で、ピタリと竜馬車が止まった。
「おい。そこの雛鳥ども、足を止めろ」
低く、冷徹な声。馬車の天窓からいつの間にか姿を現した六人の影。彼らは完璧な陣形で、通り過ぎたと油断したアンヴィルたちの退路を完全に塞いでいた。
リンが冷や汗を流しながら、震える声でアンヴィルたちに耳打ちした。
「……嘘でしょ、背後を取られるまで気づかなかった。あいつら、ギルドの最高峰に君臨する、伝説のSランク冒険者パーティー『暁の星』よ……!」
リンは死線を前にした野生の緊迫感で、怪物たちの解説を口にする。
「中央のリーダーは、戦士のガルバド。『金剛不壊』の異名を持ち、軍隊一つを一人で防ぐ盾技のプロ。
その隣の美女は魔剣士ルミナス。『瞬閃』のルミナスと呼ばれていて、真の力を解放すると翡翠色の鱗と琥珀色の瞳が現れる竜人族よ。
後ろの青いローブは高位魔術師のクロード。一息で魔力を掌握する『深淵の紡ぎ手』。
聖杖の淑女は回復術士のセリア。致命傷すら瞬時に癒やす『聖天の慈雨』。
大弓のエルフは弓使いのレイヴン。一キロ先の羽虫を射抜く『百首狩り』のプロ。
そして気配のない男は、心音すら消す斥候のシャドウ……全員がその道のバケモノよ」
リーダーの戦士ガルバドが、アンヴィルの背負うバルカンの剣、そして台車の胸当てへと鋭い視を示す。
「その武具、魔王軍の残党が血眼になって探していた遺産に酷似しているな。ルミナス、確かめろ」
「了解」
ルミナスの冷徹で美しい声が響いた。
「なっ、違う! これは僕の父さんの形見と――」
アンヴィルが弁明しようとした瞬間、ルミナスの姿がかき消えた。
(速すぎる――!?)
気づいた時には、凄まじい風圧を伴うルミナスの拳が、アンヴィルの眼前へと迫っていた。
その瞬間、放たれた圧倒的な魔力によって擬態魔法が一部解除され、ルミナスの美しい頬や首筋に、硬質な翡翠色の**『ドラゴンの鱗』が瞬時に発現。その瞳が野生の肉食獣を思わせる怪しい『琥珀色の縦長スリット』**へと変貌する。
本能的な恐怖の中、数ヶ月間、リンの容赦のない突きを浴び続けてきたアンヴィルの肉体は、完全に思考を置き去りにして動いた。
アンヴィルは瞬時に腰を沈め、体幹の軸をブレさせずにバルカンの剣を抜き放ち、平らな刀身を盾のようにしてルミナスの拳の軌道へと滑らせ、完璧に受け流した。
ガキィィィンッ!!!
強烈な衝撃波が周囲の砂煙を吹き飛ばす。
しかし、ルミナスの拳から放たれた筋力と魔力は想像を絶していた。受け流した軌道の上から、さらに強引に力でねじ伏せるような第二の衝撃が襲う。
「くあぁぁっ!?」
アンヴィルは防戦一方のまま、地面を十メートル近く滑るように吹き飛ばされ、そのまま仰向けに倒れ込んだ。圧倒的な敗北だった。ルミナスの鱗と瞳は、何事もなかったかのように再び人間の肌へと溶けていく。
「アンヴィル!」
リンが突っ込もうとするが、リーダーのガルバドと斥候のシャドウが、微動だにしないまま視線だけでその動きを完全に牽制する。動けば一瞬で命がないことを、リンの野生の勘が告げていた。
ルミナスは静かに拳を引いた。
「見事な足運びね。凡夫であれば、今の初撃で首が消し飛んでいたわ。剣技の未熟さを、対象の『重心と力の流れ』を正確に見極める独特な眼で補っている。……ふん、魔王軍の内通者がそのような不器用な戦い方をするはずもないか。疑って悪かったわね」
背後の魔術師クロードが静かに告げた。
「ガルバド、彼らから魔族の瘴気は感じられません。ただの運の良い雛鳥たちのようです」
「ああ」と、巨漢のガルバドが頷く。「行くぞ。残党の追跡を再開する」
六人の伝説たちは、再びオーキス・レクスの引く高級竜馬車へと乗り込み、静寂の中にその姿を消した。
「はぁ、はぁ……っ……」
アンヴィルは痛む腕を押さえながら立ち上がった。
(あんな怪物みたいな人たちがいるのか……。あの綺麗な人、片手剣すら抜かずに、あんなに強い。それに、周囲に一切の迷惑をかけないであんな凄そうなドラゴンを完全に操るなんて……。僕たちなんて、まともに相手をする価値すら無いんだ……)
圧倒的な格の違い。アンヴィルは、美しいルミナスの圧倒的な強さと彼らの規格外のコントロールに、自分の無力さを深く痛感していた。
しかし、去り行く馬車の中で、ルミナスは心の中で自身の常識を揺さぶられていた。
(あの若さで、私の踏み込みに反応し、その威力を最小限の動きでいなしてみせた……? 面白い少年ね……)
ルミナスだけでなく、弓使いのレイヴンや斥候のシャドウ、そしてリーダーのガルバドもまた、去り際にアンヴィルが見せた「眼」と「驚異的な反応速度」に強い興味を抱き、明確にその記憶に刻み込んでいた。




