第二章:心の枷と、目覚めぬ遺産(後半)
◇
旧遺跡の最深部。薄暗い石造りの大広間は、すでに魔王軍の残党によって制圧されていた。
そこにいたのは、第一章で村を襲ったあの不気味な魔狼『ガルグハウンド』の群れ。
そして大広間の奥、紫色の不気味な魔力光を放つ触手を蠢かせ、禍々しい漆黒の法衣を纏って鎮座していたのは、魔王軍の術士部隊を率いる上位魔族**『ダークプリースト(影穢の魔導僧)』**だった。
彼らは自らの影から紡ぎ出した負の感情を、高密度の闇属性魔法に変換して放つ高位の術者だ。その放たれる魔弾は直撃すれば肉体を内側から腐食させ、周囲の空間すら歪めるほどの破壊力を持ち、後方から冷酷に戦場を支配する、冒険者にとって極めて厄介な天敵であった。
「ミリア、ノイン! 怖がらないで、僕たちの背中を見ていて!」
アンヴィルは父の鉄の剣を抜き放ち、リンと共にガルグハウンドの群れへと突っ込んだ。
特訓の成果は確実に現れていた。リンが鋭い槍捌きで敵の注意を引き、隙が生まれた瞬間、アンヴィルが体幹を低く沈めて鋭い一撃を叩き込む。ガルグハウンドの一体が悲鳴を上げて吹き飛んだ。
しかし、魔王軍の連携は巧妙だった。
前衛のガルグハウンドが文字通り盾となり、アンヴィルたちの動きを一瞬止めたその隙を、後方の『ダークプリースト』は見逃さなかった。
骸骨のような異形の杖が怪しく光り、渦巻くような漆黒のエネルギー球――闇属性魔法**『ダークバレット』**が、凄まじい速度で共闘していたリンの足元へと着弾した。
ズドォォォン!!
「しまっ……! くっ!」
「リン!?」
空間を爆ぜさせるような闇の衝撃波に煽られ、リンの体勢が大きく崩れる。そこへ、巨大な爪をむき出しにした別のガルグハウンドが、リンの首元を狙って上空から襲いかかった。アンヴィルの位置からは間に合わない。
「させない……、させるかあぁぁっ!」
激しい金属音が遺跡に響き渡った。
割り込んだのは、ノインだった。大柄な体躯をさらに丸め、大盾を地面に突き立ててガルグハウンドの強烈な突撃を真正面から受け止めたのだ。
「がはっ……! げほっ……!」
衝撃でノインの口から血が漏れる。それでも、彼は盾を引かなかった。
「俺は……もう、誰も失いたくないんだ! 目の前で仲間が傷つくくらいなら、この身体が砕けたっていい!」
「ノイン!」
アンヴィルが叫ぶ。ノインの必死の防御によって、リンは辛うじて直撃を免れたが、ノインの盾にはピキピキと亀裂が入り、限界が近づいていた。
それを見た後方の『ダークプリースト』たちが、その醜悪な顔を歪めて嘲笑い、一斉にノインとミリアへ向けて、先ほど以上の質量を持った『ダークバレット』の詠唱を始める。遺跡の空気が凍りつくような不吉な魔力が、彼らの手元で何倍にも膨れ上がっていく。
「ミリア、今だ! 魔法を放って!」
アンヴィルが必死に叫ぶ。しかしミリアは恐怖で魔導書を握りしめ、ガタガタと震えていた。
「無理です……! 私の魔法じゃ、あんな強い魔族に傷一つつけられない……!」
「違うんだ、ミリア!」
アンヴィルはガルグハウンドを剣で牽制しながら、喉が裂けるほどの声でミリアへ届くように叫んだ。
「君の魔法は、魔力が足りないんじゃない! 逆だ! 鍛冶仕事で火床の熱効率を見るから分かる……君の**『魔力の通り道(器)』**は、普通の魔法使いの『十分の一の魔力』で、100%の魔法を発動できちゃうんだよ!」
「え……?」
ミリアの目が見開かれる。
「普通の人が必死に込める魔力を、君の術式はほんの少しで引き出してしまう。だから、君が必死に『全力』で魔力を込めると、器に対して熱が強すぎて、中で術式が完全に焼き切れて霧散してたんだ! 蝋燭の火みたいになってたのは、不発の残りカスだったんだよ! 落ちこぼれなんかじゃない……君は、誰よりも無駄のない、最高の効率を持つ魔法使いなんだ!」
アンヴィルの言葉が、ミリアの脳裏に雷鳴のように轟いた。
周囲から「使えない」「燃費が悪い」となじられ、必死になればなるほど魔法が出せなくなっていた絶望の理由。それが、鍛冶師の息子の目から見れば、世界で一番美しい**「究極の省エネ」**という、あまりにも早すぎた天才の証明だったのだ。
「だからミリア! 必死に込めちゃダメだ! 限界までリラックスして、いつもの『十分の一』、ほんのひと滴だけの魔力を、その術式にそっと流し込むんだ!!」
「十分の一……の、魔力……!」
恐怖に震えていたミリアの身体から、すっと強張りが抜けた。
いつもなら「もっと、もっと込めなきゃ」と必死に内側の泉を絞り出していた。それを、今はただ静かに、風をまとうように、指先からほんのわずかな魔力だけを魔導書へと滑らせる。
その瞬間、噛み合うはずのなかった歯車が、完璧に静まり返ってロックされた。
極限まで絞られたミリアの魔力は、彼女の特異な体質によって、一滴の無駄もなく100%の出力へと瞬時に変換、いや、それすらも通り越して限界を超えた超高密度へと圧縮・純化されていく。
魔導書がまばゆいばかりの紅蓮の光を放ち、遺跡の天井を焦がさんばかりの熱気が渦巻いた。
「いきなさい……ッ! 『圧縮爆炎弾』!!」
放たれたのは、不発の残り火などでは断じてない。
一滴の無駄もない超純度の魔力が生み出した、遺跡の空間を埋め尽くすほどの、巨大で、圧倒的な密度の純紅の太陽だった。
それは、ダークプリーストたちが放とうとしていた漆黒の『ダークバレット』を圧倒的な光で塗りつぶし、正面からすべてを飲み込んだ。
轟音と共に放たれた大爆発が、上位魔族であるダークプリーストたちを一瞬にして圧殺し、その漆黒の肉体ごと塵へと変えていく。遺跡全体が激しく揺れ、立ち込める爆煙の中、魔王軍の残党は跡形もなく消え去っていた。
「はぁ、はぁ……。私、できた……?」
ミリアは自分の両手を見つめ、信じられないといった様子でその場に座り込んだ。
大盾を支えに息を切らせていたノインも、その圧倒的な光景に呆然と立ち尽くしている。
アンヴィルは剣を鞘に収めると、泥だらけの顔で二人に近づき、最高の笑顔を向けた。
「ほら、言っただろう? 君たちは、凄く強いんだ」
◇
魔族を退け、静まり返った遺跡の最深部。
アンヴィルたちの目の前に立ちはだかったのは、周囲の粗削りな石壁とは明らかに異なる、息を呑むほど厳かな「封印の扉」だった。
かすかに白金の輝きを帯びた、大理石よりも遥かに硬質な『神白石』で造られた巨大な門。この遺跡に眠る神話時代の武具を狙う者は後を絶たなかったが、誰もこの美しくも強固な扉に傷一つ進めることすらできず、何百年もの間、完全な未踏の地として封印され続けていたのだ。
「ここが、神話の武具が眠る部屋……。でも、鍵穴も隙間もないわ。一体どうやって開けるのよこれ」
リンが槍を背負い、白銀の耳をピクリと動かしながら扉に近づくが、門はただ静かに、拒絶するようにそびえ立っている。
しかし、アンヴィルがその扉の一歩手前まで近づいた、その瞬間だった。
ゴゴゴ……と不気味な地鳴りが響き、純白の扉の表面に、赤く燃えるような光の文字が浮かび上がってきた。
「……! なんだこれ、文字……? いや、これは――」
アンヴィルは息を呑んだ。それは、人間の文字ではなかった。
幼い頃から実家の工房で、父バルカンが図面や古い鍛冶の書物で見せてくれた、力強く角ばったルーン文字――**『ドワーフの古代文字』**だったのだ。
アンヴィルは浮かび上がった文字を、一字一字なぞるように読み上げた。
「『神の衣を望む者、門の前に立ちて、老いたる旅人の“瞳”を掲げよ』……老いたる旅人の、瞳……?」
「老いたる旅人の瞳? 一体何のことよ」と首を傾げるリン。
その言葉に、アンヴィルは脳裏に電撃が走るような衝撃を覚えた。
(待てよ……。村を出るとき、僕の旅立ちをじっと見ていたあの見知らぬ老人が、『お守りだ』って言って無理やり握らせてきた、あの奇妙な玉……!)
効果も使い道も分からず、ただのガラス細工か何かだと思って懐に放り込んでいた、歪な、しかし鈍い輝きを放つ『不思議な玉』。
アンヴィルが半信疑のまま、その玉を懐から取り出し、燃え盛るドワーフの文字に向けてそっとかざしてみた。
次の瞬間、玉の内部から幾筋もの青白い光のラインが走り出し、白金の扉に刻まれたルーン文字と完璧に融和した。
カシャァァァン!!
と、数千年の凍りついた時を砕くような硬質な音が響き渡り、巨大な神白石の扉が左右へとゆっくりと開き始める。部屋を覆っていた絶対の封印が、ドワーフの技術と老人の玉によって、静かに解き放たれたのだ。
埃の舞う部屋の奥。ついに姿を現した伝説の防具――重厚な胸当て(プレートアーマー)の前に、アンヴィルたちは足を踏み込み入れた。
それは、一般的な騎士が身につけるような、美しく磨き上げられた白銀の鎧などでは断じてなかった。
全体を構成しているのは、まるで深海の底から引き揚げられたかのような、赤黒く、酷く錆びついた未知の古鉄。表面には、神話時代の戦いの苛烈さを物語るように、無数の深い爪痕や刃の傷跡が刻み込まれており、その佇まいは神々しいというよりも、どこか不気味なほどの威圧感を放っている。
だが、胸の絶妙な傾斜、肩口を守る頑強な造形、速度や機動性を犠牲にしない完璧な曲線は、かつてこれが世界の覇者の肉体を守っていたという、確かな風格を漂わせていた。
「すごいな……。錆びついているのに、まるで生きているみたいだ……」
アンヴィルが恐る恐るその胸当てに手を触れ、持ち上げようとした瞬間、期待は奇妙な違和感へと変わった。
神々しい輝きもなければ、魔力の波動すら感じられない。そして持ってみると、信じられないほどに異常に重かった。ただ鉄を固めただけのような、これでは動きを阻害するだけの、錆びついた鉄クズ同然の代物だったのだ。
長い年月の間に、武具はその神威を完全に失い、深く眠りこけてしまっていたのだ。それは伝説の防具というよりも、ただ異常に重いだけの「錆びついた鉄クズ」だった。
しかも、成人男性が数人がかりでも持ち上がらないほどの凄まじい重量があり、このまま手で持って遺跡を出るなど到底不可能だった。
「……アンヴィル、これを使ってくれ」
見かねたノインが、遺跡の入り口付近に放置されていた、炭鉱用の『魔導式運搬スクラップ台車』をガラガラと引いて持ってきた。
車輪に簡素な浮遊の魔術が組み込まれた、鉱石を運ぶための頑丈な鉄箱だ。アンヴィルとノイン、二人の怪力でなんとか胸当てをその中に放り込むと、台車はきしんだ音を立てながらも、どうにか伝説の防具を乗せて動き出した。
「助かったよ、ノイン。これならなんとか街まで運べそうだ」
「気にするな。……よし、魔王軍の残党も片付いたし、閉じ込められていた調査隊も先に出口へ向かったみたいだ。俺たちも早くこの不気味な遺跡から出よう」
アンヴィルは、重い台車を押し、背中にバルカンの形見の剣を背負って、仲間たちと共に遺跡を後にした。
(父バルカンが遺したあの剣と、この眠れる神話の武具に、一体どんな繋がりがあるのか――少年はまだ、知る由もなかった。)
◇
その夜。魔導鉱山都市フェルムの裏路地にある、活気溢れる酒場『黒鉄の拳亭』。
遺跡の危機を救ったアンヴィルたちは、ギルドから支払われた破格の報酬を使い、ミリアとノインを誘ってささやかな打ち上げの席を設けていた。
テーブルの上には、豪快に焼かれた肉料理や、なみなみと注がれた大麦のハチミツ酒、ミリアのための甘い果実水が並んでいる。
「ぷはぁーっ! 生き返るわね! やっぱり戦いの後の酒は最高だわ!」
リンがジョッキを豪快に干し、白銀の尻尾を上機嫌に揺らす。
「あの時、ギルドで私たちを見捨てずに遺跡へ連れていってくださらなかったら、私たち今頃……。アンヴィルさん、リンさん、本当にありがとうございました!」
ミリアが、心からの感謝を込めて何度も頭を下げた。
「ふん、私はただアンヴィルに押し切られただけよ」
リンがハチミツ酒のジョッキを傾けながら、ばつが悪そうにそっぽを向く。だが、その白銀の尻尾は機嫌よさそうに揺れていた。
「そんなこと言って、リンだって二人のこと助けてくれたじゃないか」
アンヴィルは苦笑いしながら、それから少し照れくさそうに、でも嬉しそうにリンを見た。
「それにミリアのあの魔法……すごかった。ほら、リン。ギルドを出るときに言った僕の見立て、やっぱり間違ってなかっただろ?」
リンはジョッキを置き、白銀の耳をぴこぴこと動かしてアンヴィルをじっと見つめると、フッと小さく笑った。
「……まあ、今回はあんたの職人としての『眼』が役に立ったみたいね。その観察眼だけは、少しは褒めてあげるわ」
師匠からの言葉に、アンヴィルはホッと口元を緩めた。それを見て、ノインとミリアも嬉そうに顔を見合わせた。
ここでアンヴィルは、以前から気になっていた疑問を二人に投げかけてみた。
「そういえばさ、二人はどうして一緒にパーティーを組むようになったの? 息がぴったりだったから、前からずっと知り合いだったのかなって思って」
アンヴィルの質問に、ノインとミリアは顔を見合わせ、少し寂しげな、それでいてどこか懐かしそうな苦笑いを浮かべた。
語り始めたのは、ノインだった。
「いや、俺たちはさ、ほんの一ヶ月くらい前にこの街のギルドの……ほら、誰もやりたがらない雑用依頼ばかりが残ってる、通称『落ちこぼれ掲示板』の前で出会ったんだ。……俺はさ、子供の頃からずっと、物語に出てくるような勇敢な冒険者に憧れてた。ドワーフの里を出て、やっと夢を叶えるスタートラインに立てたと思ったのに、過去のトラウマで武器が振るえなくなって……。どのパーティーからも『図体ばかりで戦えない役立たず』って追い出されて、あそこに突っ立ってたんだ」
「私の方も、似たようなものでした」
今度はミリアが果実水のカップを両手で包み込みながら、ぽつりぽつりと、これまで誰にも話さなかった自身の素性を明かし始めた。
「実は私……実家が少し名の知れた魔法使いの家系で、周りはみんな、派手で強力な大魔法を扱えるエリートばかりだったんです。でも、私はいくら必死に魔力を込めても、術式が暴発するか蝋燭の火みたいに不発になるかで……。親からは『一族の恥、燃費の悪い不良品』だと見限られて、実質、破門されるような形で家を追い出されて、この街へ流れてきたんです」
ミリアは少しだけ寂しそうに目を伏せたが、すぐに隣のノインを見て微笑んだ。
「身一つで放り出されて、ギルドの掲示板の隅っこでどうしていいか分からなくて泣きそうになっていた時に、ノインが声をかけてくれたんです。大怪我をさせるのが怖くて斧を握れないノインが、『お前の不発の爆発なら、俺の盾でいくらでも守れる。誰も組んでくれないなら、二人で組まないか』って」
「あそこでのミリアの姿が、どうしても他人事には思えなくてさ」
ノインが少し照れくさそうに頭を掻きながら、言葉を繋いだ。
「夢を諦めきれない俺と、必死に自分の居場所を探していたミリア。お互いに不器用で、周りからは散々笑われた凸凹コンビだけど……今日、アンヴィルが俺たちの戦い方に、力に意味をくれたんだ。ミリアのあの魔法が、誰よりも無駄のない最高の努力の結晶だってことも証明してくれた」
そこまで一気に話すと、ノインは意を決したように立ち上がり、椅子から一歩退いて、アンヴィルとリンに向かって深く頭を下げた。
「アンヴィル。……俺は、お前の言葉に救われた。まだ武器を振るうのは怖い。だけど、お前たちが目指すその旅の果てを、この盾で守らせてくれないか。子供の頃に憧れた本物の冒険者に、俺も、お前たちの横でならなれる気がするんだ!」
「ノイン……!」
「私……私、行きたいです!」
ミリアもまた、立ち上がって席を乗り出し、強い光を宿した瞳で願い出た。
「アンヴィルさんが私の魔法の価値を教えてくれた。私を切り捨てた一族を見返したいなんて言いません。でも、もっと自分の力を知りたい、お二人の力になりたいんです! 私の魔法で、今度こそ大切な仲間たちの道を切り開かせてください!」
熱い眼差しを向けてくる二人。アンヴィルは胸が熱くなるのを感じ、隣のリンを見た。リンはハチミツ酒のジョッキを弄びながら、白銀の耳をぴこぴこと動かし、フッと意地悪く笑った。
「賑やかになるわね。足手まとにになったら、すぐに置いていくから」
ツンとした口調ながらも、その目は優しく細められていた。完全に許可のサインだ。
「うん! よろしく、ノイン、ミリア! 一緒に魔王を倒しに行こう!」
アンヴィルが右手を差し出すと、ノインの大きな無骨な手と、ミリアの小さな手がしっかりと重なり合った。
こうして、心に傷を抱えていた二人の仲間が、正式に旅の連れに加わった。
フェルムの街で手に入れた「重すぎる眠れる遺産」を、ノインの引く魔導台車に乗せて。さらに賑やかになったアンヴィルたちの旅路は、世界の命運を懸けた次なる舞台へと、大きく動き出すのだった。




