音村 暁人 7
視界が、ぐらぐらと揺れている。
耳の奥で、心臓の鼓動だけがやけにうるさく鳴り響いていた。
「……あきと♡ ほら、腕上げて?」
悠里の甘ったるい声がする。
手錠を外され、ハサミで切り裂かれた服を剥ぎ取られ、濡れたタオルで身体を拭かれている。それでも俺は、抵抗する気力すら湧かず、ただ焦点の合わない目で天井の染みを見つめていた。
(……俺の、せいだ)
脳裏にこびりついて離れないのは、先ほど悠里が見せてきた、あの残酷すぎる写真。
薄暗い廃墟で、服を破られ、無数の男たちに囲まれて倒れていた三人の姿。
空の、太陽みたいに無邪気で可愛い笑顔が。
翼の、気高く傲慢だけど、俺にだけ見せてくれた甘い顔が。
桃花の、ギャルらしい明るい声が。
全部、汚された。
俺が守らなきゃいけなかった彼女たちの人生が、尊厳が、未来が……見知らぬクズどもの暴力によって、ズタズタに引き裂かれた。
(全部……俺が悪いんだ)
俺が、悠里を裏切って浮気なんかしたから。
俺が、欲望に流されて、色んな女に中途半端な優しさを見せたから。
俺という「疫病神」に関わってしまったせいで、彼女たちはあんな地獄を味わうハメになった。
『男たちからも好評だったよーw 人生で一番最高の日だってさww』
悠里の嘲笑う声が、フラッシュバックする。
あの時、彼女たちはどれほどの恐怖と絶望を感じただろうか。助けを呼んだだろうか。俺の名前を呼んで泣き叫んだだろうか。
なのに俺は、のこのこ悠里に騙されて薬を盛られ、こんなベッドの上で無様に寝転がっているだけ。
(死にたい……)
いや、俺なんかに死んで逃げる資格すらない。
彼女たちの受けた痛みを思えば、俺の命なんて軽すぎる。指を一本ずつ切り落とされても、生きたまま皮を剥がれても、まだ足りない。
いっそ、このまま意識も感情もすべて消え失せて、ただの石ころになってしまいたかった。
俺はもう、何も考えたくない。何も、見たくない。
「あははっ、大人しくなったねぇ。可愛い……♡」
悠里が、俺の胸に頬をすり寄せてきた。
「これでやっと、本当の暁人に戻ったね。もう、あの汚い女たちのことなんて考えなくていいんだよ? これからは私が、ぜーんぶ暁人のお世話をしてあげるから」
ちゅっ、と唇に生温かい感触が落ちる。
それでも俺の顔の筋肉はピクリとも動かず、瞬きすら忘れたまま虚空を見つめ続けていた。完全に心が死に絶え、俺はただ呼吸をするだけの肉の塊になっていた。
「ふふっ……暁人のこの虚ろな目、すっごくエッチ……。ねぇ、これからいっぱい、二人だけで……」
悠里が俺の身体に覆い被さろうとした、その時だった。
――ドガァァァァァァンッ!!!!
突然、凄まじい爆音が響き渡った。
「え……っ!?」
悠里が弾かれたように顔を上げる。
ドガンッ! メキメキッ……ガァンッ!!
玄関の方から、重い金属がひしゃげる音が連続して聞こえたかと思うと、分厚い鉄のドアが蝶番ごと無惨に吹き飛ばされ、廊下側に叩きつけられた。
「な、なに!? 何なの!?」
悠里が悲鳴を上げた瞬間、土足のまま部屋になだれ込んできたのは、黒いスーツに身を包んだ数名の巨漢たちだった。
彼らは一切の躊躇なく寝室に踏み込むと、悲鳴を上げる悠里の腕を掴み、一瞬にして床へと冷酷に押さえつけた。
「きゃああっ!! 痛っ! 離して! 何なのアンタら!! 警察呼ぶわよ!!」
「……」
黒服のボディーガードたちは無言で悠里を押さえ込み、ゆっくりと道をあけるように左右に分かれた。
破壊された玄関から、悠々と歩みを進めてきたその人物は――。
「ずいぶんと低俗なお遊戯をしてるじゃない、小鳥遊さん」
「……え」
床に押さえつけられた悠里が、信じられないものを見るように目を見開いた。
絶望の底に沈み、ピクリとも動かなかった俺の目にも、その姿がぼんやりと映り込む。
そこには、一糸の乱れもない完璧な制服姿の『一条翼』が立っていた。
彼女の身体には、傷一つ、汚れ一つ、存在しない。俺が悠里に見せられたあの凄惨な画像とは似ても似つかない、気高く美しい絶対的な女王が、そこには君臨していたのだ。
「い、一条……翼……!?」
悠里がギリッと歯を食いしばり、床から睨み上げる。
「なんで……なんでアンタがここにいるのよ!! アンタは今頃、男たちにぐちゃぐちゃに……!」
「私が? 下等な有象無象に?」
翼は鼻で笑うと、ゴミを見下ろすような極寒の視線を悠里に向けた。
「あの程度の底辺の小悪党を数人雇ったくらいで、この一条翼をどうにかできると本気で思っていたの? ……あなた、自分の見えている世界がどれほど狭くて滑稽か、まだ気づいていないようだね」
「ふざけんな!! 離せ!! 暁人は私のだ! 私が……私がやっと手に入れたのに!!」
わめき散らす悠里を完全に無視して、翼はベッドに横たわる俺のそばへと腰を下ろした。
「……つ、ばさ……?」
掠れた声が、無意識に俺の口から漏れた。
幻覚じゃない。目の前にいるのは、無傷の翼だ。
じゃあ、あの画像は……? 空や、桃花は……?
翼は、冷たい顔をスッと和らげ、まるで壊れ物を扱うように、俺の頬にそっと優しく手を添えた。
「――迎えに来たよ、暁人。もう、大丈夫だからね」
その圧倒的な安心感と、翼の体温。
俺の目から、せき止められていた涙が、ボロボロと止めどなく溢れ出し始めた。




